いろいろとネットで調べていると、大半が批判的な記事であった。にもかかわらず、放送は続く。なぜか。視聴率がいいからである。
私が憤慨しているのはテロップであり、ネタぶち切りであって、出ている若手芸人には一切の非はない。彼らはむしろ被害者だ。ああいうネタ見せ番組は彼らのために必要であるが、それはオンエアバトルのように切磋琢磨の場でなければならない。
ではなぜテロップがだめなのか。
テレビは実に便利である。野球も観られるし、オリンピックも観られる。もちろん、現地で観戦するに越したことはないが、それほどみんなヒマじゃないしお金もない。
こんな話がある。念願叶って初めて野球の試合を球場で観た人が、何か物足りないことに気づいた。そう、実況である。球場に実況は流れない。歓声とバットにボールが当たる音が響くだけだ。ずっとテレビばかり観ていたせいで、本物の良さが感じられないのだ。
エンタの神様の視聴者層は、局が想定していたよりずっと若く、ほとんどが十代である。テロップでガチガチに演出されたお笑いを観て育った視聴者が、実際に舞台でお笑いを観てどう思うだろうか。
「テロップがない」
若く腕のない芸人で視聴率を取ろうとすれば、そのままネタを流していては到底無理である。芸人のためにネタを繰り、テロップでフォローし、継続した出演で露出度を高める。
つまり、若手芸人を芸人としてでなく、視聴率のための一部品として扱っているのだ。オンエアバトルでオンエアされなかった芸人のネタを、おもしろおかしく演出して流すような、エンタの神様がやっていることは、まさにそういうことである。
ネタを面白くしてやっている、放送してやっている、出演させてやっている。芸人を芸人として扱わない、このテレビの傲慢さに私は憤慨している。スタッフやスポンサーも含めてだ。
そこに前回言及した、お笑いに対するスタンスが関係してくる。日常からお笑いに接している関西人は、お笑いに対して厳しい反面、芸人を尊敬している。もしエンタの神様のスタッフに関西人がいたら、遺伝子が拒否するはずである。
確か東京にも、落語や漫才などで大師匠がおられたはずだ。芸能や大衆文化に対する畏敬の念は、それほど薄かったのか。それとも、やはり君たち都会人は、感性や個性を持ち合わせない烏合の衆なのか。
レベルの低いテレビ向けのお笑い芸人を養成し、自分達のいい様に使い回し、挙句の果てに使い捨てる。かつて、野球を知らない人々に巨人軍を押し付けたように、笑いを知らない人々に稚拙な笑いを押し付けているのが、エンタの神様である。
番組が改善、あるいは終了するまで、批判は続けていく。我々は真摯に危機感を持たなければならない。