4月の連休直後に悪性リンパ腫が発覚。
当時既にもう余命が週単位だったのだがなんとか持ちこたえた。
一定のクールで入院しては数日退院してすき焼きを食べ、というのをしばらく繰り返していた。
9月の連休前にまた一時退院し、すき焼きを食べ、明日ははもの天ぷらだ、鮎だ、王将の餃子だ、と言っていたが、日に日に食が細くなっていった。
これはおかしいというので緊急入院。
そこで主治医からもって一週間、最悪で三日と言われたのがちょうど80の誕生日。
その後またなんとか持ちなおして、また主治医を死ぬ死ぬサギ扱いさせるのかと思っていたが、容体が急変してとうとう力尽きた。
この歳になると、親が死ぬと悲しいというより寂しいという感情の方が大きい。
せっかく鍋の季節なのに(なんかまだまだクソ暑いけど)、だんだん人数が減っていく。
とりあえずおとん、ぽっくり死んでくれてありがとう。
生まれ変わってもまたよろしく(おかんが嫌がってるみたいやけどw)
カテゴリー: 家族
かぜひいてまんねん
インフルエンザが全国的に最高レベルで蔓延している。
うちのおとんが先日A型にかかった。
そして私は昨日から調子が悪い。
昨日は何とか持ちこたえたというか、熱はほぼなかったのだが、今日は絶好調に上がっている。
一時間ほど前、食後に計って37.6℃。けっこうヤバめだ。
たぶん今頃38℃オーバーの予感だが、計るのが怖い。
ルルも切れた。
明日の朝どうなるかだな。
月も替わることだし、有給使えるからまあええか。
はっ、明日から二月だった(ぞぞー
母のいない母の日
おかんのいない母の日である。
もうこれからずっとそうだ。
身内が亡くなるというのは、悲しいというより寂しいという感情が大きい。
なんか抹茶のお菓子でも買ってくるか(あとで食べるけど)。
しかしまあ、毎日の夕食が大変だ。
マジで朝起きて考えることはその日の夕食の献立だ。
おかんはこれを50年近くやってきたのだからすごい。
私は今後死ぬまでこれをやるのか。
嫁はん欲しいなあw
おかん、暁に死す
脳梗塞で倒れてからもしぶとく生き残ったおかんだったが、とうとう力尽きた。
私にとってはもう倒れたときにおかんは死んでいるので、寂しいのは寂しいが悲しさはあまりない。
おかんとして頼ることができなくなったとき、おかんはもう死んだのだ。
そのことは私を少しだが成長させてくれたと思う。
おかんは死んでも、私の半分はおかんでできている。
そしてたぶん、部屋の天井の隅っこで私のことをじっと見守っているはずだ(ぞーっw
もう一度みなさんに申し上げたい。
保険には絶対入っとけ。
壊れかけのOKAN
8日の夜に、おかんが脳梗塞で倒れた。
ここ数年はずっと乳がんの治療をしていて、この日も抗がん剤を処置してきたところだった。
脳梗塞の範囲は右脳全体に及び、なおかつ一週間ほど前に発症していた脳梗塞も見つかったので、処置は不可能と言われた。
救急救命医と脳神経外科医が言うには、来週までもつかどうかはわからないと。
おかんの死がすぐそこにやってきた。
去年の暮れから一層体調が悪くなって、今年に入ってもしかしたら一年もたないかもなとは薄ら思っていた。
倒れて二日ほどはまだ意識もあり、呂律は回らないがなんとか意思疎通は可能だった。
しかし奇しくも結婚記念日、それも銀婚式を迎えた日、だんだん意識がなくなって、眠ったようにいびきをかくばかりになった。
これはもう最期だと私は仕事を休み、毎日見舞いに行きつつ、家事をこなさなければならなくなった。
そして10日経ち、おかんはまだ生きている。
最近は薄目を開けてこちらの呼びかけに反応するような感じも見受けられるようになった。
しかし、これ以上の回復は恐らくない。
大脳が半分壊死し、左半身は麻痺、がんの進行もまた始まるだろう。
どの道おかんは死へとまっしぐらなのだ。
もうとっくに覚悟はできているし、準備もしている。
その日がいつ来るか、明日かもしれないし、一年後かもしれない。
そんな私からみなさんに言いたいことがある。
生命保険には絶対入っとけ!!
人生は何より金である。つくづくそう思う。
明日の晩飯何にしよう。
おかんってえらいなあ。
そうくるか
今日は年に一度の焼肉の日である。
毎年自腹で食っていたが、今年は事情があっておとんとおかんが肉代を出してくれることになった。
ありがたい話である。
誕生日でも仕事はあるので、おやつを我慢して帰宅すると、台所に白菜が置いてあったのが見えた。
「たれ買った?」と訊くと、「何の?」と言われた。
私は焼肉をするつもりでいたのだが、どうもすき焼きと思っていたらしい。
若干ふてくされつつ、しかしなんと贅沢なふてくされの理由だろう。
どっちでもええやないかw
また今年も焼肉は自腹のようだ。
おとんおかんありがとう。
来月は寿司食わしたる。