Wヤング

空前の漫才ブームで活躍した若手漫才師たちが目標としていたのが、希代の天才漫才師Wヤングであった。数々のギャグやテンポのいい舞台は、ビートたけしをもってして勝てないと言わしめたほどであった。
しかし、中田治雄が79年に福井・東尋坊で飛び込み自殺を図り、Wヤングは伝説となった、はずであった。
残った平川幸雄は、吉本新喜劇座員の佐藤武志を誘い、新生Wヤングとして再スタートした。それから二十余年。私は改めてその技量に驚愕した。
間、息、テンポ、全てが完璧に噛みあったしゃべくり。平川はすでに齢六十をとうに越えているはずだが、舞台狭しと走りまくり、強烈などつきをかます。喋って笑わし、動いて笑わし、客をいじり、相方をいじり。正直、私のお笑いの中にWヤングというコンビが今まで欠けていたことを恥ずかしいと思った。
相方や弟子を悲劇的な形で失った平川だが、新しい相方とのWヤングがようやく呪縛から解き放たれようとしている。ヤングというには程遠い二人だが、この大ベテランのこれからに注目である。