この作品のために、我が家にビデオデッキの導入を急かしたのは事実である。まだハイファイが高級機だったころの話だ。テレビコードギリギリで破裂する敵の様子をぜひコマ送りで見たかったのだ。しかし、よくもこんな作品をゴールデンタイムに放送していたものだ。今なら不可能に違いない。
確か当時、スプラッターホラーのブームが来ていたような気がする。内蔵飛び散るあれである。まさか北斗の拳がそのブームに乗ったわけではないだろうが、相手を殴って倒すのではなく、秘孔を突いて内部から破壊するという発想は素晴らしい。リアル志向で勧善懲悪ものが減っていた時代、これだけ完膚なきまでに悪を倒すケンシロウの姿は勇ましかった。
作画も東映動画だけあって常にハイレベルに保たれ、見やすい作品になっている。加えて、神谷明の起用は他に選択肢がないほどピッタリであった。この作品は彼の代表作の一つにもなっただろう。
199X年はとっくに過ぎたが、今なお沸々とどこかで噂を聞く、北斗の拳である。あたぁーっ。
月: 2004年11月
重戦機エルガイム
全国のアニメファンがその一挙手一投足に注目していた富野由悠季。ダンバインの不甲斐ないラストを受けたのか、エルガイムでは主導権を永野護に譲った。彼の世界観が存分に発揮され、富野色はかなり薄められた。
ずんぐりむっくりのメカとキャラに慣れていた我々は、永野の創り出す流麗なメカニックや個性的なキャラクターに翻弄され、また虜にさせられた。中世ヨーロッパのエッセンスが漂うその世界観は、エルガイムならではのものである。
その斬新なメカニック故、スポンサーのうけはあまり良くなかったように思うが、それほど影響はなかった。それもそのはず、このエルガイムの後には、あのビッグタイトルが潜んでいたのだ。だから黙っていたのだろうか。
劇中に登場するメカ、ヘビーメタルが使用する、背丈程もある射撃兵器バスターランチャーは、後に他のいろいろ作品でも登場するほどの人気となった。リアルロボットと謳っておきながら、こんな取り回しにくい兵器などナンセンスなのだが。
京一会館
名画座と呼ばれた劇場が駆逐されている。京都も中規模の劇場が相次いで閉館し、シネコンに生まれ変わった。私は映画を必ず一人で観に行くので、シネコンの騒々しい雰囲気は嫌いである。指定席制も大きなお世話だ。観たい映画があっても、シネコンへは観に行かない。もっとも、子供やカップルがうようよいる映画は観ないが。
しかし、やはり京都というところは、映画産業で発展したところもあって、まだまだ映画館も多く、名画座も少なくはなったが残っている。
高校生の頃、足しげく通った映画館があった。京都の北の方、裏通りの商店街のようなところにあった、京一会館である。二本立て、三本立ての映画を、一週間単位で上映していた。なにより料金が安い。会員になれば、たった500円で二本も三本も映画が観られるのである。バイトもしていない高校生にとっては実にお買い得である。
名画のスチールが貼られた階段を上っていくと、こぢんまりしたロビーにチラシやポスターの類いが置いてある。お世辞にもきれいな劇場ではなかった。中に一足踏み入れると、足の裏がねちゃっとしたりする。名画座とはいえ、月の半分は成人映画がかかっていたためでもある。だからスケジュールを間違えるととんでもないことになるのだ。
実は満席になったのを見たことがない。恐らく200人くらいは入ると思うが、隣に誰か座ることはまずなかった。20人くらいいると、今日は人多いなあという感じである。だからこそ、どっぷりの映画の世界に浸れたわけである。
私はこの劇場で、映画の知識のほとんどを吸収したと言ってもいい。小津安二郎、溝口健二、大島渚、寺山修司、ヒッチコック、エイゼンシュテイン、タルコフスキー。寺山修司の二本立てなどはかなりヤバかった。よくハマらなかったと思う。朝から夕方まで、それこそ映画三昧の休日であった。
昭和63年4月、京一会館は惜しまれながら閉館した。私が芸大へ進めたのも、京一会館があったからこそであった。わずか数年ではあったが、京一会館で過ごした日々は、大切な思い出である。
まぼろし映画館・京一会館博覧会
http://homepage2.nifty.com/bkbn/hakurankai.html
蒼き流星SPTレイズナー
サンライズのリアルロボットものは、この作品で一応の区切りをつける。テレビアニメというコンテンツが限界に来ていたのだ。時代はオリジナルビデオアニメ、OVAへとその主流を移していく。
毎週その回のセリフを挟むオープニングは、スタッフ内では不評だったらしい。つまり、お金がかかるのだ。しかし、ファンには好評であった。作り手と受け手の温度差はかなり開いていた。
ネタばれになるが、ロアンの裏切りの寝返りは、最後の最後までハラハラさせてくれた。たぶん寝返って味方に戻ることはわかっていたが、ぎりぎりまでやっぱりだめなのかと思わせてしまう演出は素晴らしい。
ボトムズで育ったメカニック系の作画もかなりパワフルである。あのスカルガンナーとの戦闘シーンは秀逸であった。この作品は谷口守泰作監なので、メカのいい日はキャラが悪い、なんてことはなかった。
この作品も打ち切りの影響で話がまとまらず、物語の結末はそのOVAに委ねることになる。
日本の周りの二つの国
あまり政治的なことはブログでやりたくないが、少しだけ触れておきたい。
まず、東シナ海に置ける原潜の領海侵犯について。
結局この原潜の船籍は中国海軍であるということになった。スタンドアローンで行動する海軍艦船などない。ということは、この原潜は何らかの作戦行動中であったと思われる。中国側は誤って入ったと釈明しているが、当然詭弁である。まさか、作戦行動中だとは口が裂けても言えまい。
国際法上、潜水艦が他国の領海に侵入する際は、浮上して国旗を掲げなければならないが、当該艦船はそれをしていない。中国の原潜は、日本の領海を堂々と侵犯して帰っていったわけだ。
東シナ海のガス田や尖閣諸島問題に関する威嚇のための行動であるのは明白だが、それはそれで構わない。一番問題なのは、日本政府の対応である。
領海を侵犯させておきながら、当事国に毅然とした態度で対処することをせず、関係悪化だけを懸念してのらりくらりとやり過ごす。一体いつまでこんな外交を続けるつもりなのだろうか。事は日本の安全保障に関わる問題なのだ。
この一件で関係悪化になったとしても、事の発端は相手国の領海侵犯である。おそらく靖国を引き合いに出してくるだろうが、それはそれ、これはこれとなぜはっきり言わない。
相手の顔色を窺いながら進める外交が国民の利益につながらないということを、いつになったらわかってくれるのだろうか。
もう一つは、北朝鮮の拉致問題について。
被害者家族の方が、「次はないつもりで」とおっしゃっていたが、残念ながら「次はない」つもりでやるなら、韓国軍と在日米軍で北朝鮮を包囲してからでなければならない。
拉致は、戦争行為と同意である。その拉致問題と引き換えに、北朝鮮は支援を要求している。盗んだものと引き換えに何かくれと言っている国と、日本は国交を結ぼうとしている。愚かである。
北朝鮮に関する問題を解決する方法は一つ。国を滅ぼす以外にない。あの国が存在している限り、あの国に存在している問題も存在し続ける。「次はない」つもりであの国と交渉するには、それくらいの覚悟がこちらにも必要なのだ。
返して言えば、日本に問題解決能力はない。萎縮と恐縮だけの外交に、何ができるだろうか。外交で強い態度に出るには、軍事力が必要である。そういう意味で、日本がアメリカの傘に入るのは、今のところ正しい選択である。憲法が軍事力の保持を認めない限り、当分従属状態も続くだろう。
結局世の中モノを言うのは力と金。何世紀経っても変わることはないだろう。
MTJ #11
「Maybe Blue」UNICORN
バンドブーム全盛である。ユニコーンはソニーオーディションでメジャーデビューの道を得た。調べてみれば、このソニーオーディションは、J-POPアーティストのほとんどを輩出していると言っても過言ではないくらいすごいオーディションである。一発屋量産オーディションではない、後に流れを残すような実力派がほとんどなのだ。ユニコーンも多分に漏れず、素晴らしいバンドの一つである。このクリップで、幻の女性キーボードの姿が見られる。民生若ーい。
「Remember」PERSONZ
子供の8mm映像から始まり、印象的なギターのイントロが流れる。アップテンポだがどことなく郷愁を誘う。パーソンズは、ヴォーカルのJILL姉ぇのカリスマ性も手伝って、バンドブームの中では比較的集客が多かった。ブームに乗ってつくられたサウンドではあったが、実力はちゃんとあった。私はこの曲が一番好きである。
「I'm Gettin' Blue」ZIGGY
バンドブームの一番の大物ではないだろうか。グラムっぽい外見とは裏腹に、実にメロディアスな曲を奏でてくれる。好みの音ではなかったが、聴くたびに何か惹かれるものがだんだん増えていく。そんなバンドだった。デビューして20年。嬉しいことにまだまだ現役である。
「FASHION」ZIGZAG
こぶしの回るヴォーカルである。男5人編成で、演歌ロックなどと呼ばれていたそうな。CDこそ買わなかったが、好きな曲が結構あった。この曲は一番ハードなナンバー。夜撮にスモーク、クリップもハードなカッティングで攻め立てる。カラオケで熱唱すると気持ち良さそうだが、誰も知らないだろう。
「Be My Baby」COMPLEX
このユニットができたとき、巷ではかなり大騒ぎになっていたが、その筋からすればごく平凡な成り行きである。吉川晃司のツアーメンバーに、ボウイを解散した布袋寅泰が入り、そのままやろうか、みたいな感じである。背の高い二人が並ぶもんだから、カメラも下から煽って撮っていたりする。今考えてもそうだが、当時でもかなりビッグな組み合わせである。いろんな意味で。
マーガリンとツナ
ネオソフトロールというパンがある。山崎製パンのロールパンの中に雪印ネオソフトというマーガリンが入ったコラボ商品である。
私はこれが好きで、かなりの頻度で食べていた。朝食によし、おやつによし、小腹によし。そのままでもよし、ちょっとだけ焼いてもよし。価格的にもリーズナブルなので、常に家にあったと思う。
そんなある日、私は突然下痢に悩まされた。もともと下痢症なのだが、今度のは毎日のように続いている。だが、ならない日もあるので、何か食べ物が原因なのかと考えた。
私のおなかを苦しめていたのは、マーガリンであった。ネオソフトロールを朝食べた日は、昼過ぎに必ず下痢を起こすのだ。どうやら生のマーガリンがだめらしい。焼いた食パンに塗ったマーガリンなど、少しでも加熱してあるのは大丈夫なのだが、ネオソフトロールのマーガリンは生、原因はそれであった。
残念ながら、それ以降ネオソフトロールを買うことはなくなった。断腸の思いである。食べたい、でも下痢をしてしまう。それだけ私の身体が歳を取ってしまったのだろう。
ツナもまた同じである。某所で仕事をしていたとき、昼休み抜きで作業をするときもあるので、小腹が空くと職場のおねえちゃんに何か買ってきてもらっていた。ある日食べたツナサンドがおいしかったので、何か買ってきてと言えばツナサンドであった。
それがある日である。この間までなんともなかったのが、ぴーごろごろっと来てしまった。原因を突き止めたところ、ツナサンドであった。たぶんツナの油と私の相性が悪くなったのだろう。ツナサンドも諦めるしかない。
年を重ねることによって食べられなくなる物があるというのは辛いものだ。嗜好が変わったのなら諦めもつくが、身体に合わないという理由で食べられないのは実に歯痒い。たまに欲望に負け、覚悟を決めて食べることもあるが、ああやっぱりとトイレに駆け込むのがオチである。人生あと半分、せめて食欲だけは全開でいきたい。