大雪警戒


何も週末でなくても、という嘆きが全国の受験生から聞こえてきそうだ。
沖縄を除いて、ほぼ全国的に日曜日は低温、強風、積雪に注意だ。
受験生諸君は、交通情報に充分注意し、予定より早めに家を出よう。
そしてもし困ったことがあったら、遠慮なく周りに助けを求めよう。今なら伊達直人がきっと助けてくれるぞ。

Twitraq

昨日の記事を書いた後にTLでちらっと見かけたので、何かなと調べてみると、ツイッターの解析だった。
解析ログフェチなので早速登録。
自分の発言の分析や、フォローフォロワーの分析などがわかりやすく図解されて分析できる。
便利なのは、フォロワーの中でリフォローしていない相手を探せるのだ。その逆で、フォローをいつの間にか外されていたときもクリック一つでわかるようになっている。
まあ独り言の多いこと多いことw

ツイッターで気をつける二、三の事柄

Tweetdeckを導入してからというもの、ヒマな時間はTLばかり眺めている。
ツイッターはブログよりリプライの敷居が低いので、好きな有名人から返事がきやすいのだ。竹中直人さんからRTが来たときは震えるほど嬉しかった。
一応方針として、来るものは拒まず去るものは追わずというのが、私のフォローの考えだ。
しかし、そこはインターネットの世界、どのインフラにもスパムというのが存在している。
一番初めに来たのが、女性のアカウントを装って、ツイートがアマゾンのアフィだらけのやつ。これは速攻でブロックだ。
出会い系や風俗系のアカウントもあった。これもブロックしたほうが無難だろう。
あと、スパムではないのだが、やたら大量に挨拶ツイートを送ってくるアカウントがあった。最初は放置していたが、そのうちやたら乾杯ツイートを大量に流してきて、申し訳ないがアンフォローさせていただいた。
宗教や自己啓発系も警戒しておいたほうがいい。DMをよこしてこようものなら即ブロックしよう。
つぶやきは自由なのだが、あまりに内容のないツイートをしかも大量にされるとちと困る。
じゃお前のツイートはどうなんだ、と突っ込まれないようにはしたい。

さっぶいのー



冬の寒さは得意なほうだが、さすがに昨今の寒さはこたえる。
今日などは、日差しが照っているにも関わらず、冷たい北風で相殺されて完全に身体を冷やしてしまった。
人間というのは、常に細菌やウイルスに晒され、攻撃を受けている。
それでも身体が大丈夫なのは、免疫機能がしっかり働いているからだ。
しかし、睡眠不足や過労などで免疫機能が衰えたときに、身体がウイルスに負けて病気になってしまうのだ。
年始に体調を崩した方も多いと思う。まだまだ冬はこれからなので、体調管理は万全に、睡眠を充分にとろう。
うがい手洗いも忘れずに。

それは自己顕示か、純粋な善意か

各地で相次いで出没している伊達直人は、子供たちに次々とランドセルを贈っているようだ。
これを単純な美談で済ませていいのだろうかと、あえて火中の栗を拾いたい。
私はボランティア活動には全く興味がない。
エレベータのボタンを押し続けたり、出入り口で鉢合わせた赤の他人のために扉を開けて待っていたりはするが、被災地などに赴いてどうのこうのというのには全く興味がない。
友人に食事を奢ったりすることはあるが、見ず知らずの他人に身銭を切ることは絶対にしない。
今回の伊達直人騒動に関して、もちろん純粋な善意で感化されて行動を起こした方もいるだろう。
だが、私には、テレビのニュースを指差して、あれはわしがやったんや、とほくそえむジジイの姿が浮かんで仕方ないのだ。
ボランティアは、人知れず行うものだと私は思っている。
もし、純粋な善意でランドセルを寄付したいのなら、伊達直人の名を使わずに、そっと玄関先に置いていけばいいだけだ。
なぜそこに伊達直人の名を書くのか。それは善意の奥に、少なからず自己顕示欲が潜んでいるからではないだろうか。
それに、支援や寄付にはいろんな手段があるはずだ。にも関わらず、各都道府県で雨後の筍のように次々と伊達直人が現れる。これではまるで模倣犯である。
ボランティアというのは、決して対価を求めず、全ての情操を内に秘めるものだと私は思う。その無秩序な善意が、時には他人に迷惑をかけることもあり得るのだ。
しかし今回の騒動、最初の人物の本名が伊達直人だったというオチを、私は密かに期待している。

成人の日雑感

昔は成人の日が1月15日だったということを、もしかしたら新成人は知らないかもしれない。
その日は小正月といって、この日に元服(古来の成人の儀式)を行っていたために近代に成人の日となった。
だから今の第2月曜日は何の意味もないわけだが。
私はというと、成人の日はバイトをしていた。成人になる前から、スーツを着ていっちょ前に仕事をしていたわけだ。
まさか未だにそのバイトをしているとは、神も思うまいw
成人の日があるからといって、その日から成人になるわけではない。しかし人間、何事もけじめが必要だ。
そういった儀式を行うことによって、心新たに明日を迎えるというのは、今も昔も同じだ。
というわけで、新成人諸君。君たちにロクな未来を用意してやれなかったことを





ほんとにすまないと思う。