Romi 「Transparence」

本名を成田路実という。東レの水着キャンペーンガールであり、グラビア系のタレントとして活動し、映画にも出演している。同じ人物だとわかったのは、かなり後になってからだった。
「silver moonlight」のビデオクリップを初めて観たときから、強烈に気に入ってしまった。ルックスもそうだが、切ない声がいい。サウンドイメージとしてはダークな方だが、Romiのそれはネガティブではない、上向きのベクトルを感じさせるものである。
仕事柄、彼女は神戸に縁があるようで、地元のFM局でパーソナリティを務めるなど、私にとっては身近な存在であった。街で偶然会わないかなと、用もないのに元町あたりをうろうろしたものだ。
CDに入っていたハガキを送ったところ、事務所からDMや会報が来るようになった。たまに来るポストカード状のDMは、裏面がRomi嬢のポートレートだった。それらは季節の節目毎に届いていたが、やがて来なくなり、Romiの歌手としての活動も止まってしまった。
好きだった女の子が知らないうちに引っ越していったような、そんな心境だった。彼女の笑顔が見られないのは残念だが、その歌はいつでも聴ける。最近の活動がないかと探っていたら、松尾貴史氏のウェブサイトに名前があった。いつの日か、また彼女に会える日が来るのだろうか。
APCA-160 APOLLON 19960521

pizzicato five 「Bellissima!」

オリジナルラヴの田島貴男をヴォーカルに迎え、第2期ピチカートファイヴがスタートしたが、私は内心不安でいっぱいだった。正常な男の子としては、ピチカートファイヴは佐々木麻美子であるべきであった。男臭いピチカートファイヴなんぞ御免である。
前作から一転、汗臭くないソウルという、まるでマットビアンコみたいな謳い文句のアルバムだったが、そのサウンドはどこか探り探りな印象を受けた。「カップルズ」で展開されたソフトなメロディーに、田島のヴォーカルがそのまま乗る。あれ、違うぞ、と感じたのは、私だけではないはずだ。
しかし、その懸念は次のアルバムで払拭される。「女王陛下のピチカートファイヴ」は、バート・バカラックに傾倒している小西が作り上げた、映画のない映画音楽だった。
田島のヴォーカルにどっしり重きを置いていた「ベリッシマ」に比べ、中心は小西&高浪のサウンドへ移った。加えて、様々なゲストミュージシャンの参加で、バラエティ豊かなアルバムになった。これは次の「月面軟着陸」へとつながり、ピチカートファイヴのサウンドが確立され始めた。
しかし、ここで田島貴男がオリジナルラヴの活動に専念するということで脱退。第2期ピチカートファイヴの終焉である。
次のヴォーカルは誰か。私は、戸川京子あたりが有力だと思っていた。彼女自身、ピチカートファイヴの大ファンであり、「月面軟着陸」にもゲストヴォーカルとして参加、また彼女のアルバム「O'can」では、全詞を小西氏が書いている。
誰しも待ち望んでいた次のヴォーカル、それは、意外にも元ポータブルロック、野宮真貴だった。ピチカートファイヴ、怒涛の第3期の幕が開ける・・・。
32DH5126 CBS/SONY 19880921

映画の三師匠 #1 ジーン・ケリー

「いつも上天気」(It's always fair weather)というミュージカル映画をテレビでやっていた。当時、高校生だった私は、「今夜は最高」の映画パロディがわからないという理由で、名作と言われている映画を手当り次第に鑑賞していた。ジーン・ケリーという名前は知っていた。「雨に唄えば」などは、よくパロディにもなる作品である。殊に、ミュージカルともなればタモリ氏の風当たりもきつい。そんなせいか、どことなくミュージカル映画が気になっていた。
三人の帰還兵が、昔の約束で久しぶりに再会したものの、友情はすっかり壊れ、それぞれ自分の生活で手一杯だったが、やがてトラブルを解決していって友情を取り戻すというようなプロットだった。ミュージカル映画、ストーリーなどあって無きが如し。私は、劇中のジーン・ケリーのタップに圧倒された。
音楽に合わせて軽やかに、優雅に、力強く、たくましく。流れるような彼の動きに、私はたちまち虜になった。翌日から、レンタルビデオのラインナップはミュージカル一色となった。
「巴里のアメリカ人」「踊る大紐育」「私を野球につれてって」「ハロードーリー」「錨を上げて」などなど。まだ戦争が終わって間がないという時代に、こんな映画をつくっていたのだがら、日本が負けるわけである。
ハリウッドの評価はフレッド・アステアのほうが高いようだが、私はバレエの要素を軸としたジーン・ケリーのダンスが好きである。所作がきっちりとしていて、彼の方が銀幕に映えるのだ。
今の私を知っている人が、私がミュージカル映画好きと聞けば首を捻るかもしれない。しかし、高校の卒業文集に「歌って踊れるビジュアリストを目指す」とまで書いていたのだ。残念ながらそれは叶わなかったが、今でもジーン・ケリーは私の映画の師匠の一人である。

ヒロシ

ピンは難しい。ギャラは分けなくても済むが、板の上では一人しかいない。ネタを間違えても誰もフォローしてくれないし、誰も突っ込んではくれない。
何が難しいのか、それは間である。漫才は、呼吸やテンポさえあっていれば、ある程度喋りでごまかすことができる。だが一人ではそうはいかない。間の取り方を一つ間違えば、ネタふりやオチ運びが全て台無しになる。
その間の取り方がうまいと思う芸人は二人いる。マギー審司とヒロシだ。マギー審司の間は絶妙である。本来マジシャンに間などいらないが、あの間の取り方は関西芸人も見習うべきだ。
ヒロシは、いわゆる独白一行ネタ型のピン芸人である。実は最も危険な芸だ。過去に何人も沈んでいる。つぶやきシロー然り、ふかわりょう然り。
方言を使っているところはつぶやきシローのようだが、訛り具合はやや浅い。ネタは恐ろしく自虐的で愚痴に近いが、伏目がちで絶対にカメラや客席を見ず、しかも泣きそうな顔で終始演ずるので、客はネタに集中できる。加えて元ホストというルックスのよさが、余計に哀れみを誘う。
終始伏目がちという彼のスタイルが、絶妙な間を取らせた要因でもある。客と目線を合わせないということは、客は必然的に演者に集中する。彼が次に何を言うのか、客は期待する。ここでの次のネタへの間は重要である。どのネタで盛り上げるかという計算も必要だし、一つ一つのネタの受け具合で、間も変えていかなければならない。
喋りネタのピン芸人は厳しい。イラストや小物に逃げるピン芸人が跋扈する中で、久々に出てきた本格派ではないだろうか。

pas de chat 「ずうっと」

好きになる曲というのは、最初の10秒で決まる。イントロが終わってヴォーカルが入って何も感じなければ、その曲は私の耳から永遠に遠ざかる。pas de chatの場合、5秒で決着がついた。
藤原美穂のヴィヴィッドな、ともすればキーンとも形容し得る声を聴いて、私は知らずして記憶の底を手繰り始めた。この声、知っている。
彼女は昔、Chocolate Lipsというバンドを組んでいた。84年頃にアルバム(ネット上にデータなし)を発表、黒人男性2人に女性ヴォーカルという珍しい構成だったが、彼らのソウルフルなコーラス(曲はポップス系だったが)が妙にマッチしていた。
それからおよそ十年、藤原美穂というピースは、時を超えて再び私の感覚にはまったのである。
ファーストアルバム「pas de chat」は、残念ながら気に入った曲が少なく、セカンドアルバムは見送った。テレビドラマのテーマソングが無条件にヒットした時代、pas de chatがその時代に埋もれていくのを見るのが辛かったのは正直なところだ。
先日、メンバーの中野雅仁が児童買春容疑で逮捕された。平井堅やMISIAなど、着実にヒットメーカーの道を歩んでいただけに、残念である。
藤原美穂は、現在も精力的に活動中である。失礼を覚悟で言うなら、女性は姿形が老いても、声は老いることはない。あのキュートな歌声は、たぶん健在なのだろう。
そう、仔猫の軽やかな足音のように。
藤原美穂 pas de chat オフィシャル http://pasdecat.hp.infoseek.co.jp/
なんと、お店も経営されてらっしゃる http://tatata.net/siurana/
ALCA530 ALFA 19931021

青木さやか

久々に現れた、ヒール(悪役)の女性芸人である。女性芸人で、ピンで、ヒールというポジションは、過去にもなかなかいない。
テレビでは女子アナを標的にしているところをよく見かけるが、彼女もなまじ声がいいだけに、その様子は迫力がある。
今後、おそらくネタ見せよりもそういった女子アナいじめみたいなポジションでバラエティに使われるだろう。かなり強烈な毒を吐くので、インパクトもあっていいのではないだろうか。
実際のところ、私も彼女のテレビ的なポジションを忘れて腹が立つこともあるのだ。まあ、それだけ彼女のロールプレイが優れているということだが、私生活に影響が出るので心配である。ヤバイ連中にいじめられないようにね。
ファンサイト http://metti.velvet.jp/

ポータブルロック 「ダンス・ボランティア」

80年代も後半を過ぎると音作りはすっかり電子化して、テクノポップの音楽ジャンルとしての境界線はかなり曖昧になってきていた。ポータブルロックも、分類上はテクノ系らしいが、充分立派なガールポップである。
鈴木智文、中原信雄という80年代ニューウェーヴを支えた二人が、キュートなヴォーカル野宮真貴を擁して日本のミュージックシーンに挑んだ。「ダンス・ボランティア」は、ポータブルロックの2枚目のアルバムである。
全曲を通して、詞が秀逸である。ガールポップにありがちなべたべたした内容ではなく、この時期にしては珍しい女性上位で、微妙に揺れ動く細かな心情が描かれている。今にして思えば、これが野宮真貴のキャラクターの確立ではないだろうか。
曲も一段と洗練され、緻密な音作りは野宮の透明感あるヴォーカルと相まって、ポータブルロックの完成形ともなった。
折りしも世間はバンドブームが盛り上がっていく頃であったが、ガールポップにはあまり寛容ではなかった。商業ベースに乗れなかったバンドは次々と沈み、ポータブルロックもその憂き目にあってしまった。
がしかし、私にとっては意外な形で、もう一度野宮真貴の声を聴くことになる。それはあまりにも衝撃的であった。
32JC-235 JAPANRECORD 19870625