その名は知らなくても、その音は誰もが知っている。聞き込んだ者なら、ちょっとしたフレーズでもすぐにわかる。鈴木さえ子の音楽活動の大半は、CMにあるといっても過言ではないだろう。
数少ない女性ドラマーとして、1979年松尾清憲率いるシネマに参加。83年にはソロアルバム「I wish it could be Christmas everyday」をリリース。ムーンライダースの鈴木慶一と結婚し、夫婦で音楽活動を共にした。「Visinda og Leyndardomur」は、2枚目のアルバムとなる。
(科学と神秘)と名付けられたそのアルバムは、前作のほのぼのファンタジー路線(それでも「フィラデルフィア」のビートは圧巻)から一転、ちょっとダークな、ともすれば怪奇とも思わせるサウンドが展開する。何か軽い毒のような、ちょうど童話に出てくる残酷な魔法使いのような、そんな感じである。
そのダークな怪奇感を演出しているのが、立花ハジメの視覚デザインであり、後に私が多大な影響を受けるサエキけんぞう(当時佐伯健三)の詞である。
ライブでは、ドラムとともにマリンバもよく演奏されていた。当時のライブ映像を見た私は、さえ子嬢が両手に二本ずつバチを持って演奏する姿に驚愕したものだ。ドラムもマリンバも叩くものに違いはないということか。
最後のソロアルバム「STUDIO ROMANTIC」が出たのは87年。90年に市川準監督「ノーライフキング」のサウンドトラック、出演を期に、鈴木さえ子は表舞台から姿を消した。しかし、その音は、いつまでも我々の耳に残っている。CMから流れるあの曲、あのフレーズ。
春を待つカエルのように、田植えを待つホウネンエビのように、私もいつまでも鈴木さえ子の音を待つことにしよう。
RAL-8815 DEARHEART/RVC 19840621