大日本人

やはりというか、予想通り、劇場用ショートコントであった。
だからこそ、カンヌへ持っていったのは全く意味がない。日本人で、しかも松本人志の笑いを知っている人間でないと、あの映画を理解することはできない。
恐らくそのカンヌ関係者は、北野武に匹敵する日本の天才お笑い芸人が映画を撮ったと聞いて、映画の内容を理解しないままに出品を決定したのだろう。
北野作品と比較するのはお門違いもはなはだしい。そもそも、大日本人は映像本位の映画ではない。完全に笑いを取りに来ている映画だ。
大日本人にスポンサーがついて、そのスポンサーがカトキチだったという、これはフランス人には絶対にわからない笑いだ。
ごっつの頃から、ショートコントの枠に囚われず、アドリブで展開するような長いコントをやりたいといっていた。それが「トカゲのおっさん」である。この映画でも、板尾怪獣とのやりとりはまさにそれであった。
そしてあのラストの実写シーン、あれは完璧にショートコントの域である。
日本のマスコミにも、大ヒットを礼賛する一方で、理解不能だという意見も多い。
人は理解不能なものを見せられたときに、なんとか持っている知識で解読しようとするのだが、松本人志の笑いを知らない者にとって、所詮それは無駄骨である。
確かに、北朝鮮らしき敵と戦い、アメリカらしきヒーローに救われ、日本よもっとがんばれという憂国的な表現はあるが、それはあくまでも笑いのための展開であって、思想的大義は皆無である。考えるだけ無駄なのだ。
松本人志の映画の才能については、残念ながら高いとは言えないレベルだ。しかし、表現者として笑いを追及する能力は超一級である。
問題は二作目だ。大日本人はご祝儀相場として、二作目をしっかりつくらないと、世間はついてこないだろう。
ファンとしては、それでも全然嬉しいのだが。