高校時代、のべつまくなしに映画を観ていた私にとって、名画座の存在は非常にありがたかった。京都の北のほう、繁華街から遠く離れたところに京一会館という劇場があった。京都の映画フリークなら、その名を知らぬ者はいないだろう。たった500円で三本も映画が観られるのである。高校生の少ない小遣いでは、月にロードショー1、2本観るのが限界だが、京一会館はだいたい二週間交代で映画を掛けてくれていた。ただし、たまに成人映画があるので日を間違えるとえらいことになる。
私はそこで、ほんとにいろんな映画を観た。小津も寺山も大島も、チャップリンもヒッチコックも、果てはエイゼンシュテインまで。寺山修司の二本立てなどは、私がモラトリアム期だったらヤバかったかもしれない。
その中で、私が最も感銘を受け、なおかつ強烈な衝撃を与えてくれたのが、タルコフスキーの「ストーカー」である。
今でこそ小規模な配給会社が世界に埋もれているマイナーな名画を紹介してくれるが、当時はアメリカのメジャーな映画しか劇場には掛からず、ヨーロッパの映画はレイトショーや劇場以外での公開が多かった。「ストーカー」は、京大の近くにある日本イタリア京都会館で観た。今となっては、どうやってその封切情報を手に入れたのか定かではないが、おそらく新聞の地方欄にでも載っていたのだろう。そこは、劇場というより、上映会のノリに等しかった。学校の教室の半分くらいの部屋に、三十人分ほどの椅子が並べられていた。平日の夜だったので、私は学校帰りに制服のまま出掛けていった。
冒頭のシーンで、それがただの映画ではないことがわかった。プロットを追うのも忘れさせるほどの映像が、私を眩ませた。これほど美しい映画を、私は観たことがない。プロットが難解で追えない分、その映像が強烈に焼き付いた。
映画監督になろうとか、映画を撮ろうとかはっきりと思ったり口に出したことはないが、例えばビデオカメラやスチールカメラを覗くとき、私の脳裏の奥深くには、いつもタルコフスキーの映像が焼き付いている。
歌って踊る、ガンアクションたっぷりの美しい映画。きっと私が撮るのはそんな映画だ。カンヌは獲れないだろうが、「シベリア超特急」には勝てるかもしれない。