戸川京子 「O'Can」

テッチーという音楽雑誌があった。当時私がはまっていたパール兄弟やピチカートファイヴの記事が、他の音楽雑誌より格段に多く、それ以外にも私が興味を持っているミュージシャンが多数掲載されていた。テッチーという名前から察する通り、テクノポップやそれから派生する音楽を取り扱った雑誌であった。この雑誌は突然何の予告もなしに廃刊となり、非常に残念な気持ちになったのを覚えている。
そのテッチーで、ピチカートファイヴの小西康陽が、戸川京子のアルバムに曲を提供という記事を見た。戸川京子は、同じくテッチーの記事でピチカートファイヴの大ファンであることを公言していた。私が彼女のアルバムを買うのに抵抗はなかった。
88年のファーストアルバム「涙」に提供されたその曲「動物園の鰐」は、そのワンフレーズが「ピチカートマニア」にも収録されていることから、紛れもなくピチカートファイヴの曲であった。その後も、戸川京子はピチカートファイヴのアルバムにゲストヴォーカルとして参加するなどして関係が深まり、90年にセカンドアルバムを発表する。
名目上は林哲司のプロデュースとなっているが、全作詞を小西氏が手がけ、そのサウンドはまったくピチカートサウンドである。「O'Can」(おきゃん)と銘打たれたタイトル通り、彼女のキュートな魅力が詰まった珠玉の作品と言えるだろう。
このアルバムを聴いて、私は第3期ピチカートファイヴのヴォーカルは、戸川京子であろうと確信していた。私が思い描いていたピチカートファイヴの理想は、まさに彼女であった。もしその通りになっていたら、渋谷系というムーブメントもなかったし、今の音楽業界も少しは変わっていただろうか。誤解して欲しくないのだが、私は野宮真貴がよくないと言っているのではない。野宮真貴のピチカートファイヴは、まさに史上最強のピチカートであり、異常なまでに激ハマリしているのだから。それはまた、別の項で触れることにしよう。
2002年7月。その報に接したとき、私は残念と思うと同時に、悔しいとも思った。2枚のアルバムは今でも大事に聴いている。それが、私にできるせめてもの供養になればと思う。
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みかつう

ツイッターは@crescentwroksだよん

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