もう十五年経った。私は直接被災したわけではないが、震災直後に被災地に赴いた貴重な体験がある。
とはいえ、当時の職場が神戸だったので、もし地震が半日ほど早かったら、私もガレキの下敷きになっていただろう。
地震当日、私は和歌山の友人宅にいた。前日遅くまで遊び歩き、就寝したのは2時3時だったと思う。
地震の時刻、私は音で目が覚めた。周りで何かがガタガタと音を立てている。しばらくして、起き出した友人と今のが地震であったことを確かめ合った。
テレビをつけると、信じられない光景が飛び込んできた。
昼過ぎにようやく電車が動いたので、私は当時住んでいた守口市のマンションに戻った。
マンションもかなり揺れたようで、積み重ねていたビデオテープが軒並み倒れていた。
立てかけ式のハンガーも倒れて、フローリングの床に大きな傷がついていた。
職場は大丈夫なのだろうか。みんなは大丈夫なのだろうか。当分仕事はないだろう。その夜に、職場の友人から電話があった。とりあえず、関係者は全員無事だった。
その一週間後、一月分の請求書を届けに、私は神戸の職場へ赴いた。
JRは芦屋までしか開通していないので、そこから神戸まで2号線を徒歩で歩いた。
あのときの光景は今でも忘れられない。
目の高さに屋根があるのだ。形を保っている建物は皆無である。
筒状の鋼材で組まれたものが、マンションの前に横たわっている。それが螺旋階段だと気付いたとき、私は気が狂いそうになった。
3時間ほど歩いただろうか。職場のみんなの元気な姿を見て安心した。
で、請求書を置いて帰るわけである。やりきれない気分だった。
一年に一度、せめて今日くらいは、震災のことを思い出してほしい。
日本に住んでいる限り、明日はわが身なのだ。