小物とはいえ、蜂は結構人気あり。狩人用に3回くらい篭ってビースティンガーゲット。
命中ピアスを落とす根っこは、なかなか沸かなかった。狩りようが悪かったのか。
そんな空気を察してか、一発でドロップ。
もう北グスタに用はないw
Stinging Sophie
Maighdean Uaine
at North Gustaberg
小物とはいえ、蜂は結構人気あり。狩人用に3回くらい篭ってビースティンガーゲット。
命中ピアスを落とす根っこは、なかなか沸かなかった。狩りようが悪かったのか。
そんな空気を察してか、一発でドロップ。
もう北グスタに用はないw
Stinging Sophie
Maighdean Uaine
at North Gustaberg
駅で特急待ちをしていたとき、後ろに親子がやってきた。
小学校低学年らしき女の子が、待機している電車の、圧力バルブの開放音らしき「プシュー」っという音を聴いて「電車のあくびや」と言い放った。
親は両親とも特になんの返しもなかった。褒めることもなく、その会話を続けるようなこともなかった。
私は聞き耳を立てながら、「それは違うやろ」と思った。私が親ならこう言うだろう。
あくび?あくびはちゃうやろ?
あくびってどんなんや?やってみ。
ふあーあ、やろ?
今のはプシューやんか。全然眠たそうとちゃうやん。
プシューって、これから走るで、って感じやんか。
あくびはちょっと違うな。
こんな親も嫌だろうが、何の返しもない親もどうかと思う。
菅野よう子はコンポーザーであって歌っているのは違うアーティストだが、クレジットはなぜかこうなっている。
攻殻機動隊S.A.C. 2nd GIGのテーマソングだ。
菅野よう子といえば、久しぶりに名前を見たのはカウボーイビバップだった。それ以前は、どこかにも書いたがてつ100%というジャズファンクバンドのキーボードだった。
今や、アニメ業界には欠かせないコンポーザーの一人になっている。
ビバップもそうだが、聴いただけで背筋がぞくぞくっとくるような曲はそうない。
この曲も、聴いただけであのS.A.C.2ndのシーンが呼び起こされる。
ガンダムで育った世代が、どんどん一線で革新的な作品を作り出している。ジャパニメーションの裾野が広がっていくのは喜ばしいことだ。
そういう作品において、菅野よう子の曲が浸透して作品世界を広げていくこともまた、喜ばしいことである。
直前になって先生の出席がドタキャンになった。年度末は忙しいらしい。25年ぶりに正式に声を掛け合った同窓会だけに実に残念だ。
25年も経つと地元を離れている者も多く、出席は半数以下に止まったが、それでも遠方から足を運んで来てくれた。
年末に会った者もいれば、本当に25年ぶりに会った者もいる。しかしみんな、男女問わず何の躊躇もなくすっと喋りあえるというのは、同級生ならではである。
次回は恩師のスケジュール優先で開催したいものだ。
さて本題だが、やはり日ごろギャンブルで運を小出しにしていない分、こういうときに強運が巡ってくる。
席順のくじで、乾杯の音頭役でもある1番を引いたのだが、その席は、周りの連中いわく両手に花というか、その場で考えうる最高の割り当てだったのだ。
詳細は差し控えるが、25年前のかわいいどころに囲まれているわけだ(ま、今でも充分かわいいがw)。今後につながらないのが残念だが、内心ガッツポーズである。
ほとんどが家庭を持ち、子供を持ち、それぞれに生活している。それが同窓生という括りで、いろんなしがらみや関係を飛び越えて一つになれるというのは、素晴らしいことだと思う。
年に一度とは言わないが、定期的に会を設けたいものだ。幹事くんご苦労さん。
いつも誰かが見張ってるリジーたんといつも放置されているヒツジくんだ。
とはいえ、リジーは2回ほど偶然遭遇して倒している。もちろんドロップなし。
ヒツジは素材集めをしていたらレーダーに引っ掛かり、ブログのために倒しにいった。
これで今日の記事ができるぞ。よかったよかった。
Leaping Lizzy
Carnero
at South Gustaberg
ニューヨークで、道路横断中のiPod使用を禁止する条例が提出されるそうだ。なんでも、音楽に夢中で車に轢かれて死んだ少年がいるとか。
決定的瞬間みたいな番組で、立て篭もり犯と警官隊が対峙しているところへ、ヘッドフォンで音楽に夢中な若者が気づかずに通り過ぎようとして、警官に引きずり出される映像があった。
ニューヨークの件は行き過ぎかも知れないが、音楽を聴きながら街を歩いていて、誰かが大声で注意しているのが聞こえずに、上から落ちてきた鉄骨に頭を潰されても文句は言えないと思う。
私は、この種のプレイヤーを持ったことがない。携帯以上に、私には必要のないものだ。
街には、街の音がある。電車の中にも、電車の音がある。鳥のさえずりであったり、水のせせらぎであったり、風のざわめきであったり。
音楽は好きだが、それらに耳を塞いでまで、音楽を聴こうとは思わない。