采状ヒダ

あの悪夢の口内炎が治りかけた頃、実はもう一ヶ所口内炎が発生していた。
舌の裏に、触角みたいな二本の突起がないだろうか。采状ヒダというそうだが、その根元が白くなっていた。そんなピンポイントな場所が口内炎になってしまったのだ。
咀嚼は問題なかったが、歯に物が詰まったりしてそれを取ろうと舌を動かすと痛い。
あと、なぜかチョコレートを食べると痛い。溶かそうと舌をぐりんぐりんするから痛いのだろう。
そのうち、先端部分が黒っぽく壊死してきた。ちょっと怖くなってネットで調べてみると、けっこうこの場所も口内炎になりやすいそうで、別になくなっても問題ないことがわかった。
それでちょっと安心して、例のイソジン攻撃をしていたところ、こいつは3、4日で快方に向かった。
もう口内炎はまっぴらごめんだ。

月影

19日は月が近地点を通過する日、つまり月と地球が再接近する日だった。
首都圏は節電できれいな満月を見上げた人も多いだろう。
では、月の影を見たことがおありだろうか。月の光でできる自分の影だ。
街灯が煌々とついている中ではなかなかお目にかかれない。
実は満月はかなり明るく、立派に影ができるのだ。
反対に、新月の闇夜は本当に闇なのだ。こちらは街灯無しでは歩けない。
停電や節電を苦に思うだけでなく、明かりがないことで体験できることや新たな発見もある。
暗い夜道を(一人はダメよ)歩いて冒険するのもいいかもしれない。

写真は雄弁に物語る

写真は映像より表現や主張する手段として劣るのか。それは断じて否だ。
これほど映像の無力さを思い知ったことはない。もっとも、それは撮り方にもよるのだが。
民放は被災者のケツを追っかけ、視聴者のお涙を頂戴すべく、今日も東奔西走している。ようやく通常放送に戻ってほっとしているところだ。
もちろん、彼らも好き好んでそんな取材をしているわけではない。彼らも、無能なプロデューサー、編成の下で苦労しているはずだ。
そんなテレビクルーの人も、仕事が落ち着いたらNYタイムズのこのページを見てほしい。

http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html

君たちが撮ってきた映像より、これらの写真は遥かに被災地を語り、被災地を憂い、被災地を想っている。
と同時に、見ている我々にもいろんなことを感じさせてくれる。
中にはかなり厳しいカットもあるが、目を逸らさずにこの現実を見届けてほしい。
そして、被災地のために、自分の得意分野を活かして貢献してほしい。

おはようモーニングフルーツ:オロブランコ

orobranko
震災でのびのびになっていたので。
名前が違うだけでスウィーティーと同じ。アメリカ産のスウィーティーをこう呼ぶそうだ。
色も同じ緑色と黄色もあるそうな。
食べると確かにスウィーティーだ。皮の分厚いのも然り。
今年は柑橘系全般が甘いような気がする。スーパーにいろいろと出回り始めたので、食べ比べるのもいいだろう。

情けない。。。

京都でも買いだめが起こっている。京都市民として非常に残念でならない。
百歩譲って、計画停電や飛来放射能で若干パニックになっている首都圏ならまだわかる。
しかし、こちらは電気もガスも水道も全く問題なく、いつもの平穏な生活が送れているというのに、買いだめが起こるとはどういうことだ。
もしかするとそれを東に送るのかもしれないが、何にせよこうした行動をとるというのは本当に情けなく思う。
マスコミや政府の呼びかけが集団心理を煽ったのも一因だろう。こういうことは呼びかければ呼びかけるほどやってしまうものだ。
こうなったら、売る側も値段をふっかけてもいいと思う。一人1アイテム、2つ目からは値段倍とか(まあできないと思うが)、ヘンに熱くなった集団心理を冷ますために、なんらかの販売制限をかける必要もあるだろう。
連日引用するが、だんだん都知事の言葉に現実味が出てきた。こんなことでは未来はないぞ、日本人。

災害報道のあり方

週が明けて、一部の民放は通常番組を放送し始めた。否定的な意見も多いが、私はそのほうがいいと思う。
いくつものチャンネルが同じ内容を放送していても、視聴者は一つしか選べない。それならば、異なった内容を放送して、選択権を与えるのが妥当だ。
それに、相変わらず東京キー局の災害報道はワイドショーの域を出ていない。
津波の様子やガレキの山と化した街をレポーターが歩いて、酷いとかすごいとか当たり前の言葉を繰り返すだけだ。
それに、スポンサーで番組を制作する民放では、原発の話題を慎重に扱わざるを得ない。東京電力が大手のスポンサーだからだ。
災害報道もそうだが、テレビ番組の作り方そのものも見直すべきではないだろうか。
石原都知事の言葉を借りれば、東京こそ我欲を洗い流すことが必要なのだ。日本の首都なら範を示せ。