音楽の系譜は、さながら生命の系譜のようでもある。現代において、その主要な系統の一つにYMOがあるのは周知の通りである。日本において、いわゆるテクノポップという音楽ジャンルを確立したYMOは、後に派生する様々な音楽、アーティストに多大な影響を与えた。
今にして思えば、高度に、急速に発達したコンピュータが、産業のみならず文化や音楽に影響を及ぼすことは、至極当然の成り行きであった。つまり、テクノは時代の必然だったのだ。
前置きが長くなったが、ピチカートファイヴの話である。彼らのデビュー盤が、細野晴臣のプロデュースであったことは、あまり知られていない。つまり、ピチカートファイヴも、YMOから派生した系統の一つと言えよう。でなければ、私が彼らの音楽に出会うことは、なかったのだから。
YMO散開後、細野氏が設立したノンスタンダードレーベルから、ピチカートファイヴの記念すべき第一作が発売された。85年のことである。
まず特筆すべきは、佐々木麻美子の悩ましきVelvet Voiceであろう。彼女の声を表現するとき、私はいつも文章力のなさ、ひいては日本語の不器用さを思い知る。カヒミ・カリィとよく比較されるが、佐々木麻美子はフレンチロリータとも違う、ある意味で母親のような、耳元で童話を読み聞かせられて寝入ってしまうような心地よさがあった。ピチカートファイヴの爽やかな、都会を吹き抜ける風のようなサウンドに、彼女の細いしなやかな声はベストマッチングだった。
小西康陽の作詞パターンも、この頃からあまり変わり映えしない(と言っては失礼だが)。ノンスタンダード時代のメロディメーカーは主に高浪慶太郎と鴨宮諒であり、後に私が激ハマリする第3期ピチカートファイヴの到来はまだまだである。
12インチシングル2枚、フルアルバム1枚を発表して、第1期ピチカートファイヴは転機を迎える。鴨宮諒と佐々木麻美子が抜け、驚愕の第2期ピチカートファイヴが登場するわけだが、私にとって佐々木麻美子の脱退は痛かった。
彼女の声は、今でいう癒しであった。私は、彼女の声を必要としていたのだ。3枚のレコード、たった1時間分のサウンドを残して、彼女は消えてしまった。だが、後に巡り来る衝撃的な出会いを、私はまだ知る由もなかった。
12NS-1003 NONSTANDARD 19850821