朝日新聞と橋下大阪市長の対決は、朝日新聞の全面敗北といったところだろうか。
朝日新聞といえば、日本で有数の人権派、左翼、リベラルと評されるメディアである。
その天下の朝日新聞が、仇敵である右翼の代表(みたいに思ってる)を糾弾するために、部落差別を引き合いに出すとは、呆れて物が言えない。
その前に、朝日新聞出版の刊行物に対して、朝日新聞に責任はないという某記者の言い分は詭弁以外の何物でもない。では私も、明日からサイト名を朝日新聞みかつうとでもしようか。そのくらいのレベルである。
結局、差別はだめだとか、人権を守ろうとか、声高に叫んでいる連中の本性は、こんなもんである。
そういう連中ほど、それらの問題に対して本気で考えていないのだ。
もちろん、一般論として差別はだめであり、人権は守らないといけない。
しかしそれ以上でもそれ以下でもなく、思想を貫くために何をしてもいいという考えは危険極まりない。
それが今の朝日新聞である。
橋下市長は、朝日新聞に自浄を求めているが、思想に凝り固まった連中が一番苦手としているのがその自浄である。
日本という国は、意外とこの人権派メディアが力を持っている。
それは日本人の性格というのもあるが、やはり人権と言われると手も口も出ないのが正直なところだろう。
しかし、それはアンタッチャブルであっては決していけない。
本来なら、こういった人権や差別の問題に一歩踏み入った上で、自分の意見や考えをも持たなければならないのだが、そういう言葉に怖気づくのをいいことに、人権派メディアはやりたい放題を繰り返してきた。
もう、それは許されるべきことではないと、国民も気付く時にきているのではないだろうか。
人権派メディアの綻びが大きくなったその結果、彼らの自浄作用が促されれば幸いなのだが。