昼食を済ませ、両国の駅をぐるっと回り込んで、国技館の屋根を眺めながら、江戸東京博物館へと足を向けた。
絵画は写真より本物を美術館で見たほうが断然いいのだろうが、写真家の写真はどうなんだろう。写真なんだから写真集で見るべきなんだろうか、それとも印刷より印画紙に焼き付けた現像写真で見るべきなのだろうか。
どっちにしろ、初めて目にするアラーキーの写真である。
私は、アラーキーの風景写真が好きだ。何気ない路地を切り取った写真にも、計算された構図があり、感覚でしか捉えることのできない何かが絶対的に存在している。
展示室前には、子供たちの無邪気な姿が大きなパネルで立てかけられている。「さっちん」からのショットだろう。
年代順に並べられた写真は、まさに東京という都市の人生である。老夫婦が懐かしみながら写真を見ている。これはここだ、あれはそこだ、とか。そんな声をよそに、私は写真を一枚一枚、血を吸うように見つめていった。
踏まれてぺちゃんこになったコーラの缶の写真を見たとき、ちょっとゾッとした。昔、道路でぺちゃんこになったトースターを見て、こういうのを集めたら面白いかなと思ったことがあったのだ。
写真を見ていくにつれ、東京という都市の人生の中に、荒木経惟という写真家の人生が写し出されていく。
忙しかった東京での時間の中で、最も充実した一時だったような気がする。