テレビ番組というのは、スポンサーの宣伝をするためにつくられている。マスメディアを利用して大規模な宣伝をするのがテレビ番組だ。
となると、CMを見せるような番組作りをしなければならない。記事タイトルのようなことは常套中の常套だ。
ところが、この方法に対して不快感を持っている視聴者が、なんと8割以上もいることがわかった。
最近は少し減ったが、番組の終了15分前辺りから、つまり番組が一番盛り上がる辺りで、やたらとCMを入れることがあった。
さあこのあとどうなる?と話を振っておいて1分CM、再開後2分も経たずにまたCM、再再開後もまた2分も経たずにCM、そしてようやくオチ、てな具合だ。これはさすがに私も腹が立った。
8割以上も不快感を抱いているなら、制作サイドも止めようということになる、わけがない。
その不快感が商品の不買運動につながるわけでもないし、企業の印象は悪くなるかもしれないが、それは番組が終わるまでであって、1時間も経てば視聴者は忘れてしまう。
視聴率と広告代理店がこの世に存在する以上、この件は永遠に解決しない。
テレビ見るならNHK。金払えよ。
MHF:モノブロス亜種
一人クエスト用としてしかお目にかかれないモノブロス。その亜種は白い姿だ。
HR50を越えれば苦もなく倒せるが、怒り時の突進コンボを食らうと即死もありうるから注意だ。
アップルシード
BSでやってたので観てしまった。一応劇場に観に行ったが、2004年だったのでまだブログ開設前だ。
最近は劇場用でなくてもコンピュータなしでアニメーションは成り立たなくなっている。
しかし、テレビアニメはまだまだ人の手で絵が描かれ、それを元に製作されている。
アップルシードは、いわゆるフルCGアニメになる。私はどうも、あのもっちゃりした動きに慣れない。
アニメーションはもともと、人の目の残像現象を利用している。
連続していない絵でも、人の目が勝手にその間の映像を補完して見えているのだ。
ところがフルCGとなると、全てにおいて絵が連続しているので、全ての動きが見えてしまいべったりとした印象を受ける。
デジタルアニメができないことを一つ挙げれば、ウソをつけないところだ。
アナログアニメは、演出という名のウソをつくことによって、動きにリアルさを持たせることができる。
全てが見えてしまうデジタルにはできない芸当だ。
80年代テレビアニメ全盛期を生きてきた私にとって、フルCGアニメはどうも受け付けないようだ。
立冬
けろちゃんずもそろそろ冬支度である。
鴨川はもう餌がなくなってきた。ゆりかもめもやってきたようだ。
北風は冷たいが、日差しは実に暖かい。絶好の遠足日和だ。
冬眠用の落ち葉を拾って帰る。けろちゃんずは、土にもぐるというより、落ち葉の下にもぐる冬眠をする。
コンビニのおねいさんが髪を切った。かわいすぎて見られない。
政治がぐっちゃぐちゃになっているが、そんなことはお構いなしに季節は進む。
おかん、夏物のスーツはもう寒いぞ。
MANNA「MANNA」
ピチカートファイヴを脱退した鴨宮諒が、梶原もと子と組んだユニット。
初期のピチカートファイヴは、どちらかというと鴨宮が音楽的に前に出ていて、後の小西・高浪のピチカートと聴き比べると、このアルバムのほうが初期のピチカートらしさを残している。
脳内で梶原の声と佐々木麻美子を変換してみればわかるだろう。
梶原は、カヒミ・カリィや嶺川貴子とユニットを組んで活動していたことがあり、ヴォーカリストとしての実力はあったと思うが、このアルバムの購買層を考えると、ぼやーっと浮かんでくるのは佐々木麻美子であり、それはやはり抗うことのできない強大な存在であった。
ヴォーカルを生かした曲作りをしているわりに、アレンジはちょっとごちゃついている曲もあり、統一感がなかなか得られない。
結果、ピチカート佐々木麻美子の怨霊(?)に憑かれて、サウンドイメージが凡庸になってしまったのは残念だ。
それは往々にして、聴く側にも責任があるのかもしれない。佐々木麻美子に憑かれているのは聴き手なのだから。

