ハンチョウやるじゃない

期待していた神田正輝さんゲストの第2話、残念ながらM59の出番はなかったが、久しぶりにドック刑事を垣間見たような気がした。
で、ハンチョウこと、佐々木蔵之介さん、まったくノーマークだったが銃の扱いはかなりいい。
銃はたぶん92のエリート。ブリガディアスライドが見える。ホルスターはホリゾンタルタイプだ。これは胸板が厚くない日本人には似合わないんだが、勇気の要るチョイスだ。
脱ガンアクションが主流な今の刑事ものにしては、びっくりするくらい銃が出てくる。スタッフブログには他にPPKとチーフも写っている。
恐らくハンチョウ以外のガンアクションはあまり出てこないと思うが、ソフトアクションに食傷気味な諸兄は、一度ご覧いただきたい。

日本航空、倒産

日本航空が、会社更生法の適用を申請した。戦後最大の倒産である。
バブル以降、ありえない会社の倒産を数々経験した我々でさえ、あの日本航空がという思いは強い。
しかしこれは、日本に無駄な空港を作り続け、採算の取れない路線を飛び続けた結果であり、政府の政策にも一因する。
このニュースで、ジャンボ機が非常に効率の悪い機体だということがわかった。
これからは、コンパクトな機体で低コストな運用をすれば、日本の航空業界は劇的に変貌するかもしれない。
倒れたものはもうどうしようもないので、起き上がって未来を見つめようではないか。

町内で火事


かと思ったら、誤報だった。
前にも書いたと思うが、消火栓が家の前にあるので、消防車が真ん前に停まる。
サイレンが家の前で停まったときの怖さはそりゃもうはんぱねえ。
25年前、高校生のとき、近所で大火事があった。ちょっと離れていたので類焼はしなかったが、火の粉が隣のマンションを越えて裏の物干しまでやってきた。
あれは怖かった。植木に水をやるホースで必死に消していたのを憶えている。
年末以降、今年は火事のニュースをよく目にする。
もう一度基本や原点に立ち返り、防火の心構えを徹底しよう。石油ストーブの給油は必ず消化してから。火が出ない電気ストーブでも火事は起きる。寝る前、出かける前は必ず火の元を確認。
地震も怖いが火事も怖い。

テロップ入りドラマの是非

TBSの日曜劇場の枠で「特上カバチ!!」というドラマが始まった。
この番組、なんとドラマなのにいわゆるテロップが入るのだ。
それだけではない。ドラマ中にクイズを出し、正解者から抽選で番組のラストに出演者からの生電話があるというのだ。
プロデューサー曰く、録画視聴でなく生で視聴してもらうための試み、だそうだ。
百歩譲ってその試みはよしとしても、なぜ伝統のあるこの日曜劇場の枠なのか。金曜ドラマでもいいじゃないか。
前クールまで「仁」を観ていた視聴者は、恐らく一気にチャンネルを替えたと思う。
テロップは、演出上、アシスト的によく使われる。強調したいときや補足したいときに、画面に文字を出すことで効果的に情報を伝えるのだ。
ドラマでそのテロップを使うとなると、必然的にコメディになる。まさか「不毛地帯」でテロップは出せまい。
となると、ドラマはバラエティ色が強くなって、凝ったプロットが組めず、シナリオがぞんざいになってしまう危険性がある。
つまり、私のようなうがった見方をする視聴者は、ドラマがつまらんからテロップで補強しているのかと思ってしまうのだ。
まあ、マイナスばかりでもない。視聴者が出演者とコンタクトを取れるというのは魅力だ。好きな俳優、女優が出ていれば尚更のこと。
もっと双方向性を出して、例えばドラマの進行中に視聴者に選択肢を提示して、多かった選択肢のほうにシナリオが進行する、というのも面白いかもしれない。ま、できるもんならやってみな。

1.17 十五年目に寄せて

もう十五年経った。私は直接被災したわけではないが、震災直後に被災地に赴いた貴重な体験がある。
とはいえ、当時の職場が神戸だったので、もし地震が半日ほど早かったら、私もガレキの下敷きになっていただろう。
地震当日、私は和歌山の友人宅にいた。前日遅くまで遊び歩き、就寝したのは2時3時だったと思う。
地震の時刻、私は音で目が覚めた。周りで何かがガタガタと音を立てている。しばらくして、起き出した友人と今のが地震であったことを確かめ合った。
テレビをつけると、信じられない光景が飛び込んできた。
昼過ぎにようやく電車が動いたので、私は当時住んでいた守口市のマンションに戻った。
マンションもかなり揺れたようで、積み重ねていたビデオテープが軒並み倒れていた。
立てかけ式のハンガーも倒れて、フローリングの床に大きな傷がついていた。
職場は大丈夫なのだろうか。みんなは大丈夫なのだろうか。当分仕事はないだろう。その夜に、職場の友人から電話があった。とりあえず、関係者は全員無事だった。
その一週間後、一月分の請求書を届けに、私は神戸の職場へ赴いた。
JRは芦屋までしか開通していないので、そこから神戸まで2号線を徒歩で歩いた。
あのときの光景は今でも忘れられない。
目の高さに屋根があるのだ。形を保っている建物は皆無である。
筒状の鋼材で組まれたものが、マンションの前に横たわっている。それが螺旋階段だと気付いたとき、私は気が狂いそうになった。
3時間ほど歩いただろうか。職場のみんなの元気な姿を見て安心した。
で、請求書を置いて帰るわけである。やりきれない気分だった。
一年に一度、せめて今日くらいは、震災のことを思い出してほしい。
日本に住んでいる限り、明日はわが身なのだ。

パリダカやってるよ

昨年ミツビシが撤退したので、メディアの露出はほぼ無きに等しいパリダカ。
心配になって調べてみたら、今年も元気に開催されていた。
コースは去年と同じアルゼンチン。不況で参加は激減したようだが、今のところ大きなトラブルもなく順調に日程を消化している。と思ったら、もうゴールじゃないか。
日本人はたった3チーム5両。あの菅原親子は今年も参戦だ。
ワークスが撤退した今、昔のようなプライベーターのラリーレイドに戻るのだろうか。それとも、景気がよくなったらまたワークスが戻ってくるのだろうか。
パリダカよどこへいく。

http://blog.livedoor.jp/we_love_adventure-paridaka/