格付けチェックの演出問題

芸能人格付けチェックが今年も制作放送されたが、一流映画監督と素人が撮った映像作品を見比べて、どっちが一流監督が撮った作品かを当てる問題がある。
今年の問題は、阪本順治監督とハリセンボンの箕輪はるかがそれぞれ短編を製作、僭越ながら、私は2カット目で阪本監督の作品を見破った。氏の作品は観たことがないが、その筋の者が見れば一目瞭然であった。
しかし、問題の結果としてはほとんどの回答者が不正解であった。特に一流俳優チームは、演出意図を汲み取ったにもかかわらず外していた。ハリセンボンのwikiには、箕輪の力を認めているようなコメントがあるが、これは全く逆である。
それだけ、観客に映像を観る力がなくなっているということだ。
阪本監督の作品は、演者の台詞を全てオフで処理し、二人しか出ていない映像の印象を強めた。カットの切り返しやアングルも安定していて、カットごとの陰影のバランスも素晴らしい。
それに比べると箕輪の作品は、下手ではないが凡庸で、ちょっと映像を知っている学生やオヤジレベルの域を出ない。
テレビドラマのような凡庸な映像演出を多用した映画が氾濫した結果、こういう結果になったのだと思う。いい俳優がいい映画を撮れないことを如実に現している。
私にはワインの味はわからないので、きっとわかる人は同じようにワインについて思っていることだろう。

京都殺人案内

京都を舞台にしたテレビドラマは数多に上るが、二十年以上に渡ってシリーズとなっている作品は、京都殺人案内を置いて他にはない。
藤田まこと扮する音川音次郎を中心に、娘洋子との親子愛やクセのある上司や同僚刑事たちとの軽妙なやりとり、巨悪に敢然と立ち向かう正義像や罪を犯した者への哀愁などが、情緒ある京都の風景とともに描かれる。
年一回の放送で、クロード・チアリが爪弾くあのギターの音色がテレビから聞こえると、ああ、今年もやるのかと心が躍る。
踊る大捜査線がその季節感を秋冬に固定しているように、京都殺人案内も物語の舞台は冬だ。京都の冬はいい。何より絵になる。京都を知り尽くした松竹京都映画のスタッフならではの絵作りとロケーションはさすがである
劇中、捜査に赴く音川が必ず折りたたみの傘を持っているのは、亡き妻の弔いでもある。
その昔、傘を忘れた音川を追いかけて外に出た妻が、何者かに殺されてしまったのだ。以来、音川は必ず折りたたみの傘を持って外出するようになった。
そのあたりの細かな設定も押さえつつ、次回の放送を楽しみにしていただきたい。11月18日放送だ。

刑事貴族

どうにも寝付けない晩夏の夜、ビルボードのヒットチャート番組を見終わって、もうそろそろ寝ようかとザッピングをしていると、この番組に出くわした。懐かしい。
水谷豊シリーズの頃だ。まだかっこよかった彦麿呂も出ている。そういえば、「相棒」で名コンビの寺脇康文はここで共演していた。
刑事貴族は、放送のクールごとに出演者が入れ替わっていた。殉職ではなくもっぱら異動で、前シリーズで異動した刑事がまた帰ってくるというようなこともあった。
この頃の刑事ドラマはだんだん銃撃戦が乏しくなってくるのだが、それでも水谷豊はデトニクス(おそらく刑事ドラマ初)、初代主演の舘ひろしの所持していたガバは、舘ひろしが殉職したあとも布施博、宍戸開がシリーズを通して受け継いで使い続けた。
シリーズ3でプロデューサーが交代したため視聴率が下がり、後を受け継いだ刑事ドラマがもっと酷いことになって、金曜8時の刑事ドラマ枠は消滅した。
日テレだけでなく、刑事ドラマはやがて斜陽を迎えるが、銃の出ない刑事ドラマが確立されるのは「踊る」まで待たなければならなかった。

新桃太郎侍

実は時代劇が大好きである。
剣術というのは、ガンアクションと相通ずるものがある。銃の造形という魅力には欠けるが、銃撃戦にはない接近戦や間合いなど、その所作には大いなる魅力がある。
子連れ狼や座頭市など、ハードな時代劇の殺陣は実に見応えがあって素晴らしい。ヨーロッパの剣術と違い、静と動の駆け引きが秀逸である。
もちろん、だらーんとしたのほほん時代劇も(水戸黄門は除いて)例外ではない。暴れん坊将軍なんかもよく見ている。
この夏、そんな時代劇のビッグネームが再登場する。桃太郎侍だ。
桃太郎と言えば高橋英樹であり、高橋英樹と言えば桃太郎と言われるくらいである。今までリメイクがなかったのも、あまりに役のイメージが強すぎたからだ。
今回は、高嶋政伸が桃太郎を演じる。高橋桃太郎をひきずったところでしょうがないので、新たなイメージで頑張ってほしい。
おっ、鞘を盾代わりにした大刀の片手振り、なかなか豪快でいいじゃないか。
太秦ある限り、時代劇は不滅である。時代劇やりてーw

時効警察

麻生久美子がたまらなくかわいいので観ていたら、実は錚々たるスタッフだった。
脚本、監督は三木聡である。一応補足しておくと、シティボーイズの舞台演出、ごっつのショートコントなど、私も尊敬してやまない人だ。更に、脚本に岩松了、ナイロン100℃主宰のケラリーノ・サンドロヴィッチの名前もある。私が観ずして誰が観るかというスタッフだ。やはりこういうのは何か惹きつけるようなものがあるのだろう。
キャストも舞台役者が脇を固める。ふせえりや緋田康人(住田隆はいないw)、岩松了は出演もしている。
しかし麻生久美子はいい。ああいう陰のある感じの女優だから、コメディはあまり似合わないと思ったが、それほど遜色はなかった。オダギリジョーに一途なずっこけ婦人警官を演じる。
金曜日の深夜はあまり夜更かしできないが、しばらくは続きそうだ。

古畑任三郎

三谷幸喜という人物がつくづくすごい奴だと思ったのが、このドラマである。芝居畑を歩んできた人間の脚本は、非常に刺激的であった。
だからこそ、田村正和という大看板俳優が出演できたのだろう。舞台役者が連連と脇を固め、大物ゲストが犯人として対抗する。脚本本位で成功している数少ないドラマである。
そんな古畑任三郎が、いよいよ最期を迎える。最期といいつつ、また何食わぬ顔をして帰ってきて欲しいが、この新春スペシャルの脚本の力の入れようをみていると、これ以上無理かなという気もまたしてならない。
楽しみだ。

24時間テレビの偽善

あれは確か2000年の放送だった。プロ野球の試合が24時間テレビに編成されていた。もちろんドームの巨人戦だ。相手チームは中日か横浜だったと思う。
24時間テレビということで、放送席に一般からゲストが招かれていた。身体に障害を持つ巨人ファンの少年だ。少年は楽しそうに野球を観戦していた。
普通の中継なら、巨人ファンを呼ぼうが誰を呼ぼうが構わない。だが、その野球中継は24時間テレビ内での編成であった。
きっと相手チームのファンで、この巨人戦を見たがっている障害者もいたはずだ。なぜ呼ばない?なぜ平等に招待しない?
この件で、私は日本テレビにクレームを入れた。以来、24時間テレビから野球中継は消えた。
テレビでやっていることが全て嘘とは言わない。何億もの募金を視聴者から集めているその裏で、その何倍もの金が動いていることを、私たちは知っていてもいいと思う。