浜崎あゆみはどうでもいいし、エイベックスもどうでもいい。しかし、私は松浦氏を支持したい。芸術とビジネスは水と油である。そう簡単に相容れるものではない。その辺の軋轢が、今回の騒動になったのであろう。
どちらが欠けても、成功は生まれない。しかし、私には松浦氏の志が垣間見えた。ビジネスとしての成功を捨ててでも、アーティストを大事にしていこうという、一般人には到底理解できない論理である。志無き者は去るのみ。
とはいえ、私がエイベックスレーベルの音楽を聴くことは、たぶんこの先もないだろう。それとこれとは別の話である。
カテゴリー: 音楽
Leila White 「Primitive」
「世界の車窓から」という番組は、短いながらもなかなかクオリティの高いコンテンツである。その映像もさることながら、流れる音楽もまた絶妙なチョイスである。たまたまチャンネルを合わせていたある日、その音楽が耳を打った。画面に目をやると、隅の方にその曲とアーティスト名があったので、私は何気なくアーティスト名だけをメモに走り書きした。
しばらくして、CDショップの視聴機巡りをしていた私は、あるCDを聴いた。トップチューンに一耳惚れした私は、そのままそのCDを買った。待てよ、確かこの名前、とメモ帳のページをめくると、そこには”レイラ・ホワイト”とあったのだ。これがCDでなく女性であれば、間違いなく私は結婚しているだろう。
洋楽アーティストかと思いきや、実はサウンドスタッフはほとんどが日本人で、マネージメントも日本の事務所である。デビューの経緯や本人のプロフィールなどもあまり詳細には書かれてなく、別に秘密にしているわけでもないのだろうが、アーティストの素性より曲が前に出ているということは歓迎したい。
ミディアムでメロウなナンバーが中心で、ファンキーな曲もこなす。アダルトな声質だが、さほど太くはなく、ある意味それほど特徴的ではない声なのだが、どうしても聞き捨てならない魅力が隠れている。もはや感性の領域なので文章化することはできないが、私の中のピースにはまったことは確かである。
彼女のアルバムは都合4枚出ているが、全てトップチューンががっちり私を捉えている。他が悪いというわけではないが、CDショップの視聴機巡りという性格上、これは実にハマりやすい。前にも書いたが、好きか嫌いかはイントロの10秒で決まる。その辺りも含めて、なかなか小憎らしい選曲である。
レイラ・ホワイトは、BGMとしても最適である。ゲレンデやプールサイド、オープンカフェなんかにも似合うだろう。オーナーの方はぜひ検討していただきたい。きっと私以外にもがっちりはまるお客が現れることだろう。
VICP-5804 VICTOR 19970122
相馬裕子 「風の祭日」
風、緑、木漏れ日、せせらぎ、まさに自然派100%のサウンドである。私はこのファーストアルバムこそが、相馬裕子のアイデンティティであり、一番彼女という人物を表すサウンドだと思う。
それは、彼女が敬愛するアイリッシュミュージックに最も近い音作りがされていることもさることながら、余計なビジネスが入り込んでいないからであろう。CDは、所詮商品である。売り上げが悪ければ、ミュージシャンの好むと好まざるとに関わらず、そのサウンドは修正されていく。そういう意味で、一番ピュアな相馬裕子のサウンドがこのアルバムなのだ。
ギターを中心としたストリングス系のアコースティックなサウンドがアクセントとなり、柔らかなヴォーカルが引き立つアレンジになっている。ゆったりとしたリズムに身を任せ、草木の香りを嗅ぎながら、海風に吹かれれば、それこそまさに、”風の祭日”である。
彼女は、現在も精力的に活動中である。私より一つ下だが、ルックスはデビュー当時と全く変わっていない。
まだ、あの時の風は吹いているのだろうか。
相馬裕子 公式ウェブサイト http://www4.kiwi-us.com/~sohma/top.html
SRCL1800 SONYRECORDS 19910621
井上睦都実 「恋は水色」
ロンドンの音、というのが私にはわかる。洋楽はあまり聴かないが、イギリス出身のポップやロックバンドには、独特の音がある。それが、なんとなくわかったりする。それよりもっとよくわかるのは、ピチカートの音、である。
初めて彼女の曲を聴いたとき、インスト部分でそのピチカートの音が聞こえた。これは間違いないと思ってCDを買いにいくと、そこにはTokyo's Coolest Comboとあった。小西康陽が組んだ、ちょっとジャジィなインストユニットである。そういえば、何かの記事で女性ヴォーカルをプロデュースするようなことが書いていったが、それが彼女だった。
ヴィブラフォンをフィーチャーした清涼感溢れるサウンドと、彼女の明瞭な音程を刻むヴォーカルが合わさって、実に小気味よいサウンドに仕上がっている。セカンドチューンの「抱きしめたい」はシングルヴァージョンもあるのだが、リズムセクションがより重厚感を増していて気持ちいい。そういえば、小西氏はベース引きだったなと改めて感じる。アシッドジャズのフレーヴァーが加味されているのだろうか。
現在も睦都実嬢は健在であるが、大病を患われていたらしく、最近復帰された。西日本限定情報だが、NTT西日本のCMで、その姿が見られる。浴衣姿もあでやかな、あのさおりちゃんである。これには私も驚いた。あの浴衣美人は誰だろうと思っていたのだが、まさか睦都実嬢だったとは。
CMが見られない地域の方も、ネットで探して見ていただきたい。ブログだからといって、親切にリンクを貼ると思ったら大きな間違いである(`へ´)
井上睦都実 公式ウェブサイト http://www.2ikstudio.com/
SRCL2486 SONYRECORDS 19921021
具島直子 「miss G.」
一目惚れならぬ、一耳惚れというのをよくやる。例えば、カーラジオから流れてくる曲や、CDショップの適当な視聴機で聴いた曲、具島直子の場合は、テレビの天気予報だった。夕方帯の情報番組の天気予報で、どうしようもなく切ない、耳に残ってしまう曲が流れていた。それがアルバムのトップチューン「Melody」であった。
具島直子の曲は、時間と場合を選ぶ。午前中はだめだ。天気のいい日もだめだ。深夜もだめだ。夕暮れ時、今日という日が暮れていく黄昏時、できれば車の中でこれからちょっと訳ありのところへ出掛けていく、というのがベストだろう。
以前、友人と車で遠出したとき、さあこれから地元を離れるぞと高速に乗っていて、ふと山下達郎が流れた。今までそれほど気にも留めていなかった彼の音楽が、その時突然、私の心に入ってきたのだ。音楽は、ただ漫然と聴いているだけでなく、そのシチュエーションで思いがけない効果があるということを知った瞬間である。
具島直子のサウンドもそうだ。時間やシチュエーションを合わせたときに、彼女の歌は何百倍にもなって心に響いてくる。そういう聴く人に入り込むようなサウンドを、大事にしたいと思う。
TOCT9459 EASTWORLD 19960605
ポータブルロック 「ビギニングス」
このアルバムは、ポータブルロック解散後の1990年に発売されたが、音源としては最も古いものである。
ハルメンズのゲストヴォーカルとして「ハルメンズの20世紀」に参加、81年にはソロデビューアルバム「ピンクの心」を発表した野宮真貴をヴォーカルに、フィルムス解散後、ヤプーズと掛け持ちで参加するベースの中原信雄、81/2のギターであった鈴木智文、彼らがポータブルロックを結成し、82年頃に録音されたとされるのがこのアルバムである。
解散したバンドの、しかもそれほど高名ではないバンドの古い音源を、見つかったからといっておいそれとCDにして売るからには、それなりの理由があるはずである。それがあるのだ。
メジャーデビューして発売された2枚のアルバムと「ビギニングス」を聞き比べると、その音楽性の違いに驚かされる。確かに同じバンドなのだが、受ける印象が全く異なるのだ。
技術的に完成されたメジャーアルバムの音に比べ、「ビギニングス」は実に素朴で、ファンタジックでさえある。テクノという形態をとりながら、実にアナログな、純粋な楽曲なのである。
どちらが優れているということではない。ガールポップとして完成したポータブルロックもいいが、素朴でナチュラルなポータブルロックにもふんだんな魅力があったのだ。
ライナーノートでサエキけんぞう氏も触れているが、私が「ビギニングス」を聴いて驚いたのと逆に、ポータブルロックを古くから知っている人は、メジャーアルバムを聴いて驚いたことであろう。そういった人達の思いが、この音源を世に出す切っ掛けになったのではないだろうか。
機会があれば、ぜひこの「天然テクノポップ」を聴いていただきたい。
CDSOL-1019 SOLIDRECORDS 19900925
戸川京子 「O'Can」
テッチーという音楽雑誌があった。当時私がはまっていたパール兄弟やピチカートファイヴの記事が、他の音楽雑誌より格段に多く、それ以外にも私が興味を持っているミュージシャンが多数掲載されていた。テッチーという名前から察する通り、テクノポップやそれから派生する音楽を取り扱った雑誌であった。この雑誌は突然何の予告もなしに廃刊となり、非常に残念な気持ちになったのを覚えている。
そのテッチーで、ピチカートファイヴの小西康陽が、戸川京子のアルバムに曲を提供という記事を見た。戸川京子は、同じくテッチーの記事でピチカートファイヴの大ファンであることを公言していた。私が彼女のアルバムを買うのに抵抗はなかった。
88年のファーストアルバム「涙」に提供されたその曲「動物園の鰐」は、そのワンフレーズが「ピチカートマニア」にも収録されていることから、紛れもなくピチカートファイヴの曲であった。その後も、戸川京子はピチカートファイヴのアルバムにゲストヴォーカルとして参加するなどして関係が深まり、90年にセカンドアルバムを発表する。
名目上は林哲司のプロデュースとなっているが、全作詞を小西氏が手がけ、そのサウンドはまったくピチカートサウンドである。「O'Can」(おきゃん)と銘打たれたタイトル通り、彼女のキュートな魅力が詰まった珠玉の作品と言えるだろう。
このアルバムを聴いて、私は第3期ピチカートファイヴのヴォーカルは、戸川京子であろうと確信していた。私が思い描いていたピチカートファイヴの理想は、まさに彼女であった。もしその通りになっていたら、渋谷系というムーブメントもなかったし、今の音楽業界も少しは変わっていただろうか。誤解して欲しくないのだが、私は野宮真貴がよくないと言っているのではない。野宮真貴のピチカートファイヴは、まさに史上最強のピチカートであり、異常なまでに激ハマリしているのだから。それはまた、別の項で触れることにしよう。
2002年7月。その報に接したとき、私は残念と思うと同時に、悔しいとも思った。2枚のアルバムは今でも大事に聴いている。それが、私にできるせめてもの供養になればと思う。
WPCL137 SIXTY 19900125