平ケ倉良枝というドラマーがいる。フェアチャイルド、ピチカートファイヴ、フリッパーズギター、オリジナルラヴ、L-Rなど、いわゆる”渋谷系”アーティストとコラボってきたパワードラマーである。
ただでさえ少ない女性ドラマーの中でなおかつパワードラマーという、非常に希有な存在のアーティストであり、そのパワーは、あの池畑潤二(ザ・ルースターズ、ゼロスペクター)に匹敵するほどだから、技量は推して量られよう。
ググっても数ページしか彼女の情報は得られないが、今日紹介するバンドに在籍していたという事実は、どうやら言ってはいけないことのようだ。
「魔法のスターマジカルエミ」に主演し、「天空の城ラピュタ」の主題歌を歌っていた小幡洋子が、ソロ活動を経て87年に結成したバンドが、YOCO&LOOKOUTである。
「Hello!Heartbreak」は2枚目にあたるが、LOOKOUTのそのサウンドはまさにロックンロールである。小幡洋子は声優で人気が出てしまったため、デビュー後しばらくはアイドルサウンドから抜け切れなかったが、バンド結成とともに一気にロックサウンドへと突っ走る。全12曲、元気で溌溂としていて、少しだけ少女の匂いのするロックサウンドを演出しているのが、平ケ倉良枝のパワードラムである。
LOOKOUT名義で3枚、メンバー脱退後再結成したESSEX名義で2枚のアルバムを出して、小幡洋子は音楽活動を停止した。1992年、バンドブームは去り、日本のミュージックシーンは次の時代へと蠢き始めていた。
小幡洋子ファンサイト http://www.yocoland.com/
32CA-2405 日本コロムビア 19880621
カテゴリー: 音楽
PIZZICATO V 「Audrey Hepburn Complex」
音楽の系譜は、さながら生命の系譜のようでもある。現代において、その主要な系統の一つにYMOがあるのは周知の通りである。日本において、いわゆるテクノポップという音楽ジャンルを確立したYMOは、後に派生する様々な音楽、アーティストに多大な影響を与えた。
今にして思えば、高度に、急速に発達したコンピュータが、産業のみならず文化や音楽に影響を及ぼすことは、至極当然の成り行きであった。つまり、テクノは時代の必然だったのだ。
前置きが長くなったが、ピチカートファイヴの話である。彼らのデビュー盤が、細野晴臣のプロデュースであったことは、あまり知られていない。つまり、ピチカートファイヴも、YMOから派生した系統の一つと言えよう。でなければ、私が彼らの音楽に出会うことは、なかったのだから。
YMO散開後、細野氏が設立したノンスタンダードレーベルから、ピチカートファイヴの記念すべき第一作が発売された。85年のことである。
まず特筆すべきは、佐々木麻美子の悩ましきVelvet Voiceであろう。彼女の声を表現するとき、私はいつも文章力のなさ、ひいては日本語の不器用さを思い知る。カヒミ・カリィとよく比較されるが、佐々木麻美子はフレンチロリータとも違う、ある意味で母親のような、耳元で童話を読み聞かせられて寝入ってしまうような心地よさがあった。ピチカートファイヴの爽やかな、都会を吹き抜ける風のようなサウンドに、彼女の細いしなやかな声はベストマッチングだった。
小西康陽の作詞パターンも、この頃からあまり変わり映えしない(と言っては失礼だが)。ノンスタンダード時代のメロディメーカーは主に高浪慶太郎と鴨宮諒であり、後に私が激ハマリする第3期ピチカートファイヴの到来はまだまだである。
12インチシングル2枚、フルアルバム1枚を発表して、第1期ピチカートファイヴは転機を迎える。鴨宮諒と佐々木麻美子が抜け、驚愕の第2期ピチカートファイヴが登場するわけだが、私にとって佐々木麻美子の脱退は痛かった。
彼女の声は、今でいう癒しであった。私は、彼女の声を必要としていたのだ。3枚のレコード、たった1時間分のサウンドを残して、彼女は消えてしまった。だが、後に巡り来る衝撃的な出会いを、私はまだ知る由もなかった。
12NS-1003 NONSTANDARD 19850821
今井麻起子 「CIAO!」
17歳といえば、充分アイドルである。今から思えば、彼女はもう少し大人に見えた。いや、私が子供だったのかもしれない。
それはルックスだけでなく、サウンド面にも見られた。あの松任谷正隆の全面プロデュースを受け、彼女は鳴り物入り(かどうかは定かではないが)でデビューした。当時、世界に数台しかないという時価数億円の最新シンセサイザー”シンクラヴィア”で全曲がアレンジされ、さながら松任谷氏の実験場的なアルバムのように思えるが、実に素直なガールポップに仕上がっている。
それは、彼女の声によるところが大きい。高音部でもファルセットに回らず、少しハスキーがかって突き抜けていくと、爽快感が耳に残る。それが私をリピーターとならしめる要因の一つであろう。
残念ながら、今井麻起子としてのキャラクターを発揮することなく、2枚のアルバムを残して彼女はミュージックシーンから消えていった。資本主義は実に厳しいものだ。
何千何万という楽曲が発表され、何百というミュージシャンが巷に躍り出ては消えていく中、今井麻起子に出会ったということだけで、それは私の財産である。
32DH5022 CBS/Sony 19880226
渡辺満里奈 「a piece of cake!」
アイドルポップの隠れた秀作である。本作は1990年に発売されたが、今なお色褪せることのないサウンドを我々に提供してくれる。
ともすれば明るい、ピーキーな音作りになりがちなアイドルポップだが、このアルバムはそれを極力抑え、落ち着いた音色やミディアムテンポの曲を中心に収録されている。これはひとえに、プロデューサーである上田知華の手腕に因るところが大きい。
スタジオミュージシャンは窪田晴男(ビブラトーンズ、パール兄弟)、今剛、渡辺等(Shi-Shonen)、平ヶ倉良枝、沖山優司(ジューシィフルーツ)、中原信雄(ハルメンズ、ヤプーズ)、菅野よう子(てつ100%)など、80年代のJ-POPを支えた蒼々たるメンバー。
バックヴォーカルには奥田民生が一曲だけ参加し、個人的に仲のよかったフリッパーズギターも2曲提供(クレジットではDOUBLE K.O.Corporation)していて、がらりとサウンドが変わるが逆にいいアクセントになっている。
アイドル冬の時代と言われた90年代、かつておニャン子クラブでアイドルの絶頂を極めた渡辺満里奈は、次第にアーティスト色を濃くしていくが、やがて訪れるバンドブーム、インディーズブームに阻まれ、歌手活動を縮小していく。
ESCB1082 EPIC/SONY 19900721
akiko 「crazy about you」
実に衝撃的な出会いだった。当時、巷では外資系のCDショップが台頭し始め、音に飢えた若者を虜にしていた。私も例外ではなく、CDショップに立ち寄っては手当り次第に試聴機に耳を傾けていた。
かわいい女の子のジャケ写に惹かれてヘッドフォンを取った。屈託のないその笑顔を見つめながら、私はプレイボタンを押した。
なんて表現すればいいのだろうか。
耳から脳へ、そして身体中に電流が走ったような、私の中で、カチッと音を立てて、akikoというピースがはまった。アルバム全曲、私はその場で聴き通した。もちろん、購入したのは言うまでもない。
日本人でありながら全編英語詞というのは、まだ珍しい時代だった。だが、英語だろうと日本語だろうと、彼女の歌なら、声ならなんでもいい。そのリズムとメロディーに浸れるなら、なんでもいい。私が、初めて心底その音に惚れたのは、akikoだった。
デビュー以降、アルバムが発売されるにつれて、akikoはR&B性をより強く出し始めた。だがそれは逆に、私の好みの音からは外れていく結果となった。
1997年、4枚目のフルアルバム「KISS OF LIFE」のリリースを最後に、彼女は音楽界から姿を消した。小室ファミリー、ビーイング系アーティストが席巻していた時代、R&Bは早過ぎたのだ。
だが翌年、R&Bのキュートな怪物、あの宇多田ヒカルがデビューして、日本のR&Bは市民権を得ることになるが、そこにakikoの布石があったことを、私は信じて止まない。
TFCC-88060 TOY’S FACTORY 19950701