「アパートの鍵貸します」という映画がある。名匠ビリー・ワイルダーが、ジャック・レモン扮する平凡なサラリーマンの悲哀を描いた作品だ。この映画のヒロインであるシャーリー・マクレーンに、当時の私はぞっこんだった。当時といっても高校生だったが。
初めて観たときに、なんてかわいい女性なんだろうと思った。ルックスももちろんそうだが、男に甘えるでもなく、媚びるでもない、しっかりと芯の通った性格で、攻めどころがないかと思えば、ある一点が非常にもろかったりする。単純に、ああこんな女の人いいなあと高校生ながらに感じたものだ。
べたべたと甘えて欲しくないけど、二人でテレビでも観ているときは、ソファにぴったりくっついて座っている。大人になったらそんな恋愛をしてみたいなと、この映画を観ると今でもちょっとドキドキしてしまう。
ジーン・セバーグは、もっとストレートだった。ゴダールの「勝手にしやがれ」を観たのは大学に入ってからだった。美しいという形容と、可愛いという形容が二つとも存在するのが彼女である。実に多面的な魅力を持った女性である。
ゴダールでなければ、ああはならなかっただろう。おとぎ話のヒロインに、ジーン・セバーグは務まらない。内面よりも外面から受ける印象を描いたからこそ、ジーン・セバーグの魅力は、ストレートに私へ飛び込んできた。女友達には最高の女性である。
ジュリエット・ビノシュに至っては、盲目である。問答無用である。「汚れた血」の眠そうな目がたまらない。100%の女の子がそこにいたのだ。だがあまりに理想過ぎて、存在としては遠い憧れのようになってしまった。たぶん現実には永遠にお目にかかることができない女性像だろう。
女性の魅力が髪型一つで決まるわけはないが、彼女達がロングヘアだったなら、事象が成立しなかったのは然りである。こんなことを書いておきながら、最近は柴崎コウもいいなあと思っている私であった。
カテゴリー: 映画・映像
映画製作とコンテンツ
韓国映画が元気である。まだ私は観たことがないが、製作本数、興行収入ともにうなぎのぼりである。この背景には、韓国政府による強力な後押しがある。国家予算を映画産業に割り当て、人材育成やスタジオ整備などを進めた結果だ。
テレビやインターネットが格段に発達した現代で、映画産業がここまで発展するというのは、映画を文化として捉え、国が積極的に投資した成果である。しかし、やがて彼らも重大な危機に陥るだろう。コンテンツ不足である。
既にハリウッドは重大なコンテンツ不足に陥っている。続編ものの横行、どこかのプロ野球球団のように世界中のヒットした映画原作を金で買い取り、リメイクする。ハリウッドでリメイクされて喜んでいる日本映画は、もっとプライドを持ってもらいたいものだ。
技術は常に革新し、先へ先へと進んでいくが、いくら最新の技術を揃えたところで、脚本がなければ映画はつくれない。スタートが遅かった韓国は、そこを見越して人材の育成を進めているはずである。これからもしばらくは、韓国映画は発展を続け、アジアで一二を争うまでになるだろう。
エンターテインメントとして映画産業を発展させたアメリカ。芸術志向で独自の道を歩むヨーロッパ。国策で映画制作が進められているインド。海賊版気質から強烈なオリジナリティを産み出した香港。
さて、我が日本の映画は、どうなっていくのだろうか。今のところ、政府は全く関心がないようだが。
ガンアクション演出講座 #終 私が惚れたアクションシーン
既出のニキータやレッドブル以外にも、私のハートを捉えて止まないガンアクションは数々ある。
まずは切っ掛けともなった「リーサルウェポン」のヘリ銃撃シーン。重要な証人を狙撃した犯人をリッグス刑事が追い掛け、海上を逃走するヘリに向けて、ベレッタを1マガジン全弾叩き込む。「終わったか?」「まだ始まってもいねえよ」。あのシーンは今観ても背筋が震える。メル・ギブソンのシューティングに関してはこの際目を瞑ろう。
マイケル・マンが「ヒート」以前に撮った「メイドインL.A.」という作品に、「ヒート」とまったく同じ長時間の銃撃戦シーンがあるのだが、その冒頭、同僚の刑事が撃たれた報復に、主人公がフランキのSPAS15をセミオートでぶっ放す。もう撃つわ撃つわ、車はぼこぼこ穴だらけ。セミオートショットガンは、なかなか登場しないので貴重である。
「Ghost in the Shell」にもいいシーンがたくさんある。この映画のガンアクションは、実写以上に完璧である。マイクロウージーのホットロードフルオート射撃や(ほんま無茶しよる)、トグサがマテバを扱うシーンなどは、観ていてよだれものである。続編である「イノセンス」にVP70が出てきたときは涙が出てきた。
「ダイハード」のステアーAUGもよく回転している。部屋中のガラスを撃つシーンは、大音響で観れば迫力があるだろう。ステアーと言えば、「ニキータ」のシーンも緊迫感があってよかった。狙撃は難しいのである。
大阪弁べらべらのスティーブン・セガール師匠も、「刑事ニコ・法の死角」でベレッタ92SBを華麗に操る。実は私と師匠の銃の持ち方は同じで、両の親指を重ねて握る。シューティングスクールなどでは親指は平行にしろと教えているのだが、私はどうも平行にすると安定が悪いので、自然に重ねるようになった。師匠の上から見下ろすような構え方も好きである。
この講座を締めくくる最後のガンアクションは、デスペラードである。まさに問答無用、あの映画を観てしまうと、ちまちまリアルにこだわっていた自分がばかばかしくなるだろう。なんといってもあのギターケースである。あれは誰にも真似のできない(したくない?)オリジナリティ溢れる実にクールなガンアクションである。
全5回に渡ってくだくだ言ってきたが、結局は日活アクションに戻ってしまった。一番大事なのは、自分のスタイルを追求して確立することである。それができれば、日活だろうとバイスであろうと怖くはないのだ。ではまた、近いうちに。
ガンアクション演出講座 #4 嘘も方便
往年の日活アクション映画などでは、撃っても撃っても弾の減らない銃がよく出てくる。銃に関して無知なはずはないだろうが、たぶんそんなことはどうでもよかったんだろう。
アメリカなどでは実銃を改造して劇中で使用するので、動作はもちろん実銃と同じだが、日本はまったくのスクラッチビルドになるため、多少の嘘は目を瞑らなければならない。オートマチックが撃ってもスライドしなかったり、薬莢が出なかったり、場合によってはモデルガンをそのまま使うこともあり、バレルのインサートが見えていた、なんてこともある。
かといって、海外で実銃を使って撮ったからリアルかと言えばそうでもない。ハンディキャップをカバーするのも演出の仕事である。カット割りやカメラワークでどうにでもなるのだ。
弾着は、ガンアクションでは難しい部類になる。こればっかりは、いくらハリウッドでも実際にやるわけにはいかない。今でこそCGでどうにでもなるが、主流はやはり火薬弾着であろう。
やったことがないのであまり詳しくはわからないが、つまりは火薬の爆発力で血糊の袋を吹き飛ばしてそれらしく見せるのである。実は、これは大嘘になる。それもそのはず、弾が入った場所が吹き飛ぶわけはない。吹き飛ぶとすれば、むしろ貫通した側である。更に、点火時の火花が見えてしまうことがある。お前はロボットか。
音響との兼ね合いも難しい。音がするのは銃から銃弾が発射されたときであって、人間に弾着したときには破裂音が出るはずはない。だからロボットちゃうっちゅうに。
こういう嘘がまかり通る背景には、銃についての無知がある。日本では当たり前の話だ。たぶん誰一人として人が銃で撃たれた瞬間などお目にはかかれないだろう。よく考えればおかしいことがわかるが、ぶっちゃけ、それっぽく見えれば細かいことはどうでもいいということになる。
意外な話だが、マイアミバイスにはほとんど弾着シーンがない。予算や手間の関係があるのかもしれないが、それでもあれくらいの名作品ができあがるのだ。
ついでにもう一つ、ガンダムの1話でザクがマシンガンを発射するシーンがある。そばで観ていたアムロの近くに薬莢ががらがらと落ちてくるわけだが、あれだけ科学が発達した未来なのだから、無薬莢弾の開発が進んでいてもいいようなものだ。特に戦争ともなれば、無用な物資の消費は避けねばならない。ではなぜ薬莢が出るのか。答えはそのほうがらしいからである。
嘘も方便。それが演出というものだ。
ガンアクション演出講座 #3 日本のガンアクション
日本において銃の所持は犯罪である。故に、銃を持っている者は、警察官などを除くとあとは全てヤクザということになる。となると、必然的に警察かヤクザの話にしか銃は出てこない。この範囲の狭さが、日本のガンアクションの狭さそのままになっている。
黎明期のVシネマをよく観ていたが、やはりそのことで苦しんでいたようだ。無国籍に逃げる作品もあったが、大して問題の解決にはならなかった。プロップガンは実によくできていて、実銃よりもリアルだったりするのに、日本のガンアクションはなぜあんなにチープなのだろうか。
以前友人が、黒髪のアジア人に銃は似合わないと言っていたが、香港映画はそれを見事に払拭したし、韓国映画も素晴らしいアクションを見せている。原因は何だろうと考えてみた。
アメリカは、その国の歴史が銃の歴史と言っても過言ではないだろう。銃とともにあの国は発展を遂げていった。よくも悪くもアメリカは、歴史の中に、生活の中に銃がある。
日本は、銃を人殺しの道具と位置づけて徹底的に避けてきた。当然、日本人の銃に対する印象も悪い。ガンアクションは、結果として誰かが死ぬということである。そのシーンに美しいもかっこいいもない。
だがアメリカは違う。ガンアクションの先には、自由があり、解放があった。銃は悪を倒し、人々を救ってきた。アメリカでは、銃は正義の象徴でもあった。
この違いが、日本でガンアクションが受け入れられない一因ではないだろうか。ただし、日本には殺陣がある。殺陣の素晴らしさは、世界にアピールするに余りあるだろう。
日本で自然にガンアクションを見せるのは無理かもしれない。だが理由はどうあれ、その魅力に取り憑かれた者がいる限り、ガンアクションの追求をして止むことはないだろう。
ちなみに、私が日本のガンアクションで好きなのは、特命刑事(大激闘から改名後の)のオープニングのラストカットである。登場人物が横一列に並んで、カメラに向かって銃を撃ちまくる(!!)。このシーンがやりたくて、大学時代にわざわざ人を集めて大阪の南港まで行ったが、機材トラブルで撮影中止になってしまった。実に残念であった。
ガンアクション演出講座 #2 銃とキャラクター
リュック・ベッソンの「ニキータ」を私が評価しているのは、アンヌ・パリローにデザートイーグルを持たせたからである。
普通なら、女性が使う銃であれば小型の銃、口径も9ミリ以下のものだろう。映画のあのシチュエーションを考えても、せいぜい9ミリのダブルカラムである。しかし、ベッソンはあろうことか、彼女にデザートイーグルを持たせた。ストッピングパワーは45口径でも充分なのに、有り余る50口径をバカスカ撃ちまくる。私はあのシーンに度肝を抜かれた。
それは、ニキータという少女の強さの表れであった。これからスパイとして生きていくには、様々な苦難を乗り越えていかなければならない。加えて、過去の払拭という意味もあっただろう。あのシーンで彼女にデザートイーグルを持たせたのは、ベッソンの完璧な演出であった。以来私は、彼の映画のガンアクションに注目している。
ハリウッドが「ニキータ」をリメイクした「アサシン」という映画がある。この映画のニキータはそのシーンで何を使ったか。ウィルディである。しかも、確かエングレーブまで刻まれていたと思う。そのセンスのなさに私はあんぐりと口が開いた。この節操のなさ。ハリウッドもここまで地に墜ちるとは。
女性と大口径銃は、一見合わない感じがするが、演出によっては抜群の効果を得ることができる。女性の地位も力も、男に勝るとも劣らなくなった昨今、女刑事が500マグナムを撃つ日が来るのだろうか。来そうな、気がする。
ガンアクション演出講座 #1 リアルかスタイルか
いきなり自慢で申し訳ないが、私はGun誌の第1回ビデオコンテストにて、佳作入選をしている。銃にのめりこんでまだ間はなかったが、スポンジのように知識を吸収した結果だと思う。それでも、第一線で現場に出ている人達に比べれば屁以下である。今では私も素人同然、こんな私にできることは、こうやってブログでくっちゃべるだけだ。
映画や映像作品におけるガンアクションは、大別するとリアル派とスタイル派に分かれる。リアル派とは、その名の通りリアルさを追求し、シューティングスタイルや銃の選別、設定、効果音から特殊効果に至る全ての過程において、現実にあるかのようなアクションを追求するものである。
スタイル派とは(私が勝手に命名したのだが)、リアルさはある程度量るものの基本的には除外し、ガンアクションのかっこよさや派手さに注目して演出するものである。
リアル派の代表格としては、マイケル・マンが挙げられるだろう。まさかこの記事の閲覧者にマイアミバイスを知らない者はいるまい。劇中では毎回いろんな銃が登場し、しかも無意味に出てくるわけではなく、ちゃんと理由づけて登場させるところがガンマニア垂涎である。実際、ある回では本物のシューターが殺し屋として登場、ガバメントの早撃ちをやってのけた。演技の方はさほどではなかったが、なかなか不気味な役どころであった。
一方、スタイル派の代表格としては、香港ノワールが挙げられるだろう。そう、ツイ・ハークでありジョン・ウーであり、チョウ・ユンファである。「男たちの挽歌」のあのシーンは、今でも目を瞑ると瞼に焼き付いているくらいに鮮烈であった。
リアル派が見れば、あんな使い方するなよと一蹴しそうだが(私も実は同意見だったが)、あれほどかっこいいシーンはどこの映画にもなかった。やがてそのスタイルは全世界のアクション映画に取り入れられ、今ではスタンダードアクションの一つになっている。
どっちがかっこいいかというのは愚問である。演出というのは適材適所であり、役者やプロットによっても変えるものである。重要なのは、如何に監督の演出意図に沿うか、そして如何に観客を魅了できるか、この二点である。
一時期流行した銃を寝かせて撃つスタイル、あれは例えば右バリケードでオートを撃つ場合、排莢された薬莢がバリケードに跳ね返って危ないので銃を寝かせるわけだが、見た目がかっこいいので普通のスタンドシューティングでも使われることが多い。リアル派の意見としては、あれはシングルハンドでリコイルの制御に無理がかかるので、小口径かライトロードでないと命中精度はかなり劣る。しかし、やはり見た目はかっこいいのでよく見かける。
リアル派の演出としては出番のなさそうなアクションだが、ギャングやチンピラなどにこの撃たせ方をすると、使えないこともない。しかし、連射はやめたほうがいいだろう。プロップガンとはいえ、リコイルが不自然になるからだ。
リアルを追求して袋小路に入ったり、スタイルを追求してあさっての方向(日活アクションとか)に行ってしまってはだめだ。プロットやキャラクターを見極めて、自分なりのスタンスでやってみよう。