観たいものがないというのもあるが、日本映画は延々と恋人が死んだり生き返ったりする映画ばっかり作ってて、いい加減にしろよという辟易感もある。とりあえず気が向いたらハウルは観るか(たぶん行かない)。
SFフリークとしてはある意味禁断の作品、「宇宙戦争」が今年公開になる。トムクル・スピルバーグコンビでだ。このコンビは、私が小説の師と仰ぐP.K.ディックの「少数報告」を映画化、個人的にはギリギリ及第点だったが、当然、ディックのSF小説としての面白さは見事に殺してくれた。もちろん、今回も危惧はしているが、観ずに捨て置くわけにはいかない作品だろう。
アップルのムービートレーラーを覗いていると、面白そうな映画があった。「Sin City」、おお、ロバート・ロドリゲスではないか。
タランティーノがすっかり無くしてしまったバカでクールな映像を、まだこの人は持ち続けてくれている。「デスペラード」は最高によかった。パート2はがっかりしたけど。
どうもアメコミが原作のようで、トレーラーにもコミック調のカットがあった。ブルース・ウィリスとミッキー・ロークという、まるで水野美紀、水野真紀のようなキャスティングだ。トレーラーはモノクロだったが、陰影が気持ち悪いくらいキッチリついていた。
全米で今年の4月だから、日本に来るのは夏以降になるだろう。バカクールな映画を期待している。
カテゴリー: 映画・映像
THE SCOOP(アサヒスーパードライフィルムズ)
ヤフーのバナーにあったので踏んでみた。飯田譲治が何か撮ったらしい。飯田譲治といえば、ナイトヘッドに代表されるオカルトものである。学生時代、毎週ビデオに録ってみていたが、最終回だけ時間がずれていて結局観ていなかったりする。一番好きなのは、沙粧妙子である。あれはよかった。アナザヘヴンにはがっかりしたが。
それはさておき、ウェブで公開するショートフィルムということで、15分の短編を撮っている。オカルトものではない。クジラを撮りに向かった取材班が、途中で船舶火災を見つけてどうのこうのというストーリー。スクープを渇望する主人公に柏原崇、ヘリのパイロットに石橋凌。
恐ろしいことに、ほとんどが空撮である。恐ろしいというのは、スタッフとしての立場でだ。撮影は大変だったと思う。15分だからなのか、予算はたっぷりあったようだ。
飯田譲治らしい小物は出てくるが、飯田譲治作品にしては面白みに欠ける。畑違いだからなのか。スーパードライというスポンサーが扱うイメージの映像化なので、この辺は致し方ないところかもしれない。
ウェブムービーだが、手抜き感は一切なかった。その辺りは、ご自分の目で確かめていただきたい。一応断っておくが、商品カットは出てこない。長ーいCMでも面白かったような気はするが。
http://www.asahibeer.co.jp/superdry-films/
大学院映像研究科映画専攻
という学科が、東京芸大に新設される。そこで、北野武監督が教授として招聘されるそうである。
このニュースを聴いて、ああたけしさんの授業なら受けてみたいなと思ったと同時に、大学院まで進んで勉強したところで、いい映画が撮れるとでも思っているのだろうかという疑問が沸いた。
そういう意味では、実は私も同類である。大学で映像を勉強したところで、いい映画が撮れるとは思っていない。しかし、大学で授業はもちろん、いろんなことを学んだのは事実である。映画を撮るためには、己の充実が最も必要なものだとわかったのも、大学へ行ったからこそである。
技術は教え、教わることができるが、芸術はそうはいかない。芸術は感じるものであって、決して人に伝えたり教えられるものではないのだ。
さて、大学院でたけし教授は何を教えてくれるのだろうか。確かこないだ、「オレは漫才師なんだけどな」という言葉を聞いたような気もするが。
映画のタイトル
細木数子が映画のタイトルに口を出し、このままではヒットしないと言ったので製作サイドも改題したそうだ。なんでもかんでも口出ししやがってあのクソババア、と言いたいところだが、どうも最近、特に洋画の邦題については私も首を傾げていたところだ。
邦画全盛の大昔、洋画には必ずと言っていいほど邦題が付けられていた。もちろん、直訳しただけのものやそのまま外来語にしただけのものもあるが、小粋なタイトルが付いていたものだ。
近年、邦画が衰退して洋画がはびこっても、「氷の微笑」などという素晴らしい邦題もあった。ところがこの十年程、洋画にはほとんど邦題がつけられず、そのままカタカナにしただけのものがあまりにも多過ぎる。私が観た中で閉口したのは、「エグゼクティブ・デシジョン」である。何の映画がこの題名で分かる人がいるだろうか。
邦題を付けるのは配給会社の仕事である。サクラの客を使った下らないCMをつくっているヒマがあったら、客が観に行きたくなるような邦題を考えろ。業務怠慢も甚だしい。AVビデオでも観て少しは見習え。「ベルリン・天使の歌」をもじった「ベロチン・天使の舌」には涙が出たわ。
京一会館
名画座と呼ばれた劇場が駆逐されている。京都も中規模の劇場が相次いで閉館し、シネコンに生まれ変わった。私は映画を必ず一人で観に行くので、シネコンの騒々しい雰囲気は嫌いである。指定席制も大きなお世話だ。観たい映画があっても、シネコンへは観に行かない。もっとも、子供やカップルがうようよいる映画は観ないが。
しかし、やはり京都というところは、映画産業で発展したところもあって、まだまだ映画館も多く、名画座も少なくはなったが残っている。
高校生の頃、足しげく通った映画館があった。京都の北の方、裏通りの商店街のようなところにあった、京一会館である。二本立て、三本立ての映画を、一週間単位で上映していた。なにより料金が安い。会員になれば、たった500円で二本も三本も映画が観られるのである。バイトもしていない高校生にとっては実にお買い得である。
名画のスチールが貼られた階段を上っていくと、こぢんまりしたロビーにチラシやポスターの類いが置いてある。お世辞にもきれいな劇場ではなかった。中に一足踏み入れると、足の裏がねちゃっとしたりする。名画座とはいえ、月の半分は成人映画がかかっていたためでもある。だからスケジュールを間違えるととんでもないことになるのだ。
実は満席になったのを見たことがない。恐らく200人くらいは入ると思うが、隣に誰か座ることはまずなかった。20人くらいいると、今日は人多いなあという感じである。だからこそ、どっぷりの映画の世界に浸れたわけである。
私はこの劇場で、映画の知識のほとんどを吸収したと言ってもいい。小津安二郎、溝口健二、大島渚、寺山修司、ヒッチコック、エイゼンシュテイン、タルコフスキー。寺山修司の二本立てなどはかなりヤバかった。よくハマらなかったと思う。朝から夕方まで、それこそ映画三昧の休日であった。
昭和63年4月、京一会館は惜しまれながら閉館した。私が芸大へ進めたのも、京一会館があったからこそであった。わずか数年ではあったが、京一会館で過ごした日々は、大切な思い出である。
まぼろし映画館・京一会館博覧会
http://homepage2.nifty.com/bkbn/hakurankai.html
西部警察
村川透監督はよしとして、撮影が仙元誠三というのには驚いた。それもそのはず、番組を観ながらひでえカメラと思っていたからだ。F1レーサーがラリーカーに乗っても速く走れないということか。
TVRは個人的にも大好きな車なので、乗り回してくれるのは嬉しいが、やはり浮いている。おまけにさすがのスタントレーサーも乗れてない。テールずるずる。
舘ひろしはさすがの存在感だが、他の連中が全然わからない。徳重さえもわからない。神田正輝は邪道な両手マフィア撃ちを華麗に決めてくれた。銃をわかっている俳優は芝居が違う。そこで徳重、君はもっと練習しろ。下手くそ。
その銃だが、もう少し特徴付けてくれてもよかった気がする。前作の団長のショットガンのように、画的に面白いものがなかった。せっかく西部警察なのだから、プロップガンは凝って欲しかった。
シリーズ化はどうなんだろうか。このままでは正直不安である。
華氏911
映画は観ていない。たぶん観ないと思う。観ていない映画について書くのは気が引けるが、少し書き留めておきたい。
まず一つ。映画は総合芸術である。絵画や音楽のように、人の心を打つ芸術である。それは時代を超えてなお、人々を感動させるものである。
十年、二十年、五十年、百年経って、誰がこの映画を観るのか。ブッシュ、誰?。アカデミーはともかく、カンヌまでこの映画に賛美を贈ってしまった。カンヌも底が知れてきた。
二つ目。ドキュメンタリーはノンフィクションではない。ドキュメンタリーは事実でもない。人の目が、手が入ることによって、それは演出された映像になる。私の目が、あなたの目が見たものこそが事実であって、私の目が見たものは、あなたにとって事実ではないのだ。
ちょっとスケールの大きな、ワイドショーの特集VTRみたいな映像が、映画として君臨する。レイ・ブラッドベリの素晴らしい小説のタイトルをおちょくって。
小津安二郎や、黒澤明と同列に、マイケル・ムーアが並び称されるほど、口惜しいものはない。