映画の三師匠 #3 アンドレイ・タルコフスキー

高校時代、のべつまくなしに映画を観ていた私にとって、名画座の存在は非常にありがたかった。京都の北のほう、繁華街から遠く離れたところに京一会館という劇場があった。京都の映画フリークなら、その名を知らぬ者はいないだろう。たった500円で三本も映画が観られるのである。高校生の少ない小遣いでは、月にロードショー1、2本観るのが限界だが、京一会館はだいたい二週間交代で映画を掛けてくれていた。ただし、たまに成人映画があるので日を間違えるとえらいことになる。
私はそこで、ほんとにいろんな映画を観た。小津も寺山も大島も、チャップリンもヒッチコックも、果てはエイゼンシュテインまで。寺山修司の二本立てなどは、私がモラトリアム期だったらヤバかったかもしれない。
その中で、私が最も感銘を受け、なおかつ強烈な衝撃を与えてくれたのが、タルコフスキーの「ストーカー」である。
今でこそ小規模な配給会社が世界に埋もれているマイナーな名画を紹介してくれるが、当時はアメリカのメジャーな映画しか劇場には掛からず、ヨーロッパの映画はレイトショーや劇場以外での公開が多かった。「ストーカー」は、京大の近くにある日本イタリア京都会館で観た。今となっては、どうやってその封切情報を手に入れたのか定かではないが、おそらく新聞の地方欄にでも載っていたのだろう。そこは、劇場というより、上映会のノリに等しかった。学校の教室の半分くらいの部屋に、三十人分ほどの椅子が並べられていた。平日の夜だったので、私は学校帰りに制服のまま出掛けていった。
冒頭のシーンで、それがただの映画ではないことがわかった。プロットを追うのも忘れさせるほどの映像が、私を眩ませた。これほど美しい映画を、私は観たことがない。プロットが難解で追えない分、その映像が強烈に焼き付いた。
映画監督になろうとか、映画を撮ろうとかはっきりと思ったり口に出したことはないが、例えばビデオカメラやスチールカメラを覗くとき、私の脳裏の奥深くには、いつもタルコフスキーの映像が焼き付いている。
歌って踊る、ガンアクションたっぷりの美しい映画。きっと私が撮るのはそんな映画だ。カンヌは獲れないだろうが、「シベリア超特急」には勝てるかもしれない。

映画の三師匠 #2 ウォルター・ヒル

学生時代、私をガンアクションの道に引きずりこんだのは、リチャード・ドナーの「リーサルウェポン」だったが、本格的にはまり込んだのはウォルター・ヒルの後押しであった。
私が最も好きなのは、作品としてはあまり評価のよくない「レッドブル」である。シュワちゃんではない。ジム・ベルーシなのだ。お世辞にも二枚目とは言えない彼が、癖のあるウィーバーでステンのマグナムをぶっ放す。これが実にかっこいい。監督お得意の両肩弾着も随所に見られ、ジェームズ・ホーナーの音楽もいい。だが、ウォルター・ヒルのガンアクションの魅力はそれだけではない。
俳優の銃の構えや扱う銃種、射撃や弾着の効果に加えて、銃を扱うキャラクターの感情を描き出すのがウォルター・ヒルの特長である。「レッドブル」の場合、シュワちゃんは寡黙で冷徹な役所なので、銃の撃ち方もまっすぐ構えて的確にポイントシューティングをする。ジム・ベルーシはというと、暴力的で直情型の刑事なので、撃ち方や構え方も激しく、力強い。銃を知らない日本人監督にはできない演出だろう(日本人には刀があるさ)。
もちろん、ガンアクションだけではない。「ジェロニモ」は地味な映画だったがネイティヴアメリカンの悲哀が描けていたし、プロデューサーや脚本家としての活動も顕著である。
これ以降、私はガンアクション映画をそれこそ根こそぎ鑑賞したが、脳天気なドンパチ映画より、やはり心理描写に富んだ映画のほうが心に残る。惜しむらくは、日本映画でいい作品が出てこないことだが、いずれは重い腰を上げようかなと思っている。一応これでも、第一回GUN誌ビデオコンテストで佳作入選しているのだ(そのうちアップするからね)。

映画の三師匠 #1 ジーン・ケリー

「いつも上天気」(It's always fair weather)というミュージカル映画をテレビでやっていた。当時、高校生だった私は、「今夜は最高」の映画パロディがわからないという理由で、名作と言われている映画を手当り次第に鑑賞していた。ジーン・ケリーという名前は知っていた。「雨に唄えば」などは、よくパロディにもなる作品である。殊に、ミュージカルともなればタモリ氏の風当たりもきつい。そんなせいか、どことなくミュージカル映画が気になっていた。
三人の帰還兵が、昔の約束で久しぶりに再会したものの、友情はすっかり壊れ、それぞれ自分の生活で手一杯だったが、やがてトラブルを解決していって友情を取り戻すというようなプロットだった。ミュージカル映画、ストーリーなどあって無きが如し。私は、劇中のジーン・ケリーのタップに圧倒された。
音楽に合わせて軽やかに、優雅に、力強く、たくましく。流れるような彼の動きに、私はたちまち虜になった。翌日から、レンタルビデオのラインナップはミュージカル一色となった。
「巴里のアメリカ人」「踊る大紐育」「私を野球につれてって」「ハロードーリー」「錨を上げて」などなど。まだ戦争が終わって間がないという時代に、こんな映画をつくっていたのだがら、日本が負けるわけである。
ハリウッドの評価はフレッド・アステアのほうが高いようだが、私はバレエの要素を軸としたジーン・ケリーのダンスが好きである。所作がきっちりとしていて、彼の方が銀幕に映えるのだ。
今の私を知っている人が、私がミュージカル映画好きと聞けば首を捻るかもしれない。しかし、高校の卒業文集に「歌って踊れるビジュアリストを目指す」とまで書いていたのだ。残念ながらそれは叶わなかったが、今でもジーン・ケリーは私の映画の師匠の一人である。