そろそろ休みの計画を

ふらーっと旅行にでも行きたいが暑いので腰が重い。
とりあえず出石にそばを食いに行くことは決定している。
虫探しとパン屋巡りに終始しそうな気がする。パン屋巡りのついてにどっか遠出でもしてみようか。
しかし暑いなあ。
なんとかコンスタントに休める環境をつくらねば。

仕事は続くよ

今週で一応今の仕事は終わるのだが、8月からまた次の仕事が入ることがほぼ決まった。
一週間だけ休みがある。
いや、それはそれで喜ばしいことなのだが、私の仕事のスタイル上、休みが非常に取りにくいのだ。
両方ともいつなくなるかわからない仕事なので、あるときに働いておかなければならない。
なので二つともみっちりあると、休みがなくなってしまう。
5月以降、ひと月に三日あるかないかのペースだ。
今のところ、例の肩のできもの以外は至って健康だ。
だが、この暑さにはさすがに閉口している。
食欲はちょっと太るくらいはあるので大丈夫だとは思うが、もう若くないのであまり無理もできない。
休みの一週間は好きなだけいろんなことをたっぷりのお金を使って遊んでみたい。

パズル&ドラゴンズ

やってみたかったのは確かだ。
こういうパズルゲームは昔から好きでよくやっていた。
最初のうちは適当に三つ以上並べるだけでもなんとかなるが、進むに従ってだんだん厳しくなる。
球を動かさない限りは敵も動かないので、ゆっくり考えられるのは親切設計だ。最初は知らずに急いで動かしていた。
携帯用ゲームは暇つぶし要素も重要なので、その辺のスキをうまくついている。
しかしあまりこういうキラーコンテンツがあると、他にあまりロクなゲームがないのがちょっと困りどころだ。

ねじれ解消とな

なんでもいいから投票しろという行動は、私は感心しない。
それが民主党の失政を生み、かえって国民の政治離れを加速させてしまった。
投票するからには各候補者がどんな主張をしているかを少なくとも一度は目を通すべきである。
というわけで、今回はあまりに忙しすぎて投票しなかった。
今回の選挙はずっと職場にいたせいか、選挙カーがあまりうるさくなかったように思う。
野党は自民の暴走と声高に言っていたが、私に言わせれば消費増税を決めた民主党こそ大暴走の元凶であり、どの面下げてその言葉がついて出るのか不思議だ。
とはいえ、さらなる暴走は止めなければならない。
その楔役に期待するのが公明党しかないという現状は全くもって不本意極まりない。
そろそろ政教分離を断行すべきだ。だから幸福実現党みたいなカルト教団がまたわらわら出てくる。
自民の暴走に関しては、左翼の勇気ある諸君にお願いするとしよう。

AirStash

AirStash
wi-fiで接続できるSDカードリーダーライターだ。
これ自身が発信源で通信を行う。
nexus7は基本的に外部ストレージを持たないので、こういうのしかないようだ。
アクセス中は当然wi-fiを占領されるので、ネット中とかには使えない。
SDカードが使えないnexus7を使えるようにする、という感じだろうか。
待てよ、例えば、友達が撮ったスマホの写真ちょうだいとか、これでできるんかな。
ま、いろいろと可能性を秘めているんだろうなあ。

粉瘤

よく太ももなんかに小さいニキビの親玉みたいなのができることがある。
「せつ」という。
気が付くとできていて、赤く腫れてけっこう痛い。膿も出る。
それの大親分みたいなのが肩口にできてしまった。
たぶん粉瘤だと思う。最初はぽっこり膨れたこぶみたいな感じだった。
痛くもかゆくもなかったので放置しておいたら、今月初めくらいから少しずつ大きくなり始めて、梅雨が明けるころには赤く腫れ始めた。
粉瘤は自然治癒することはなく、手術でないと除去できないそうで、しかしそんな時間などなく、しばらく様子を見ていた。
すると、どんどん赤く腫れ始め、その腫れで皮膚が引っ張られて痛くなってきた。
一週間ほどそれが続き、今週の日曜日、とうとう破裂して中身が出てきた。
全然痛くはない。その辺は「せつ」と全く同じだ。
大きさは二センチくらいはあっただろうか。それがすっかりへっこんでほぼ平らになった。
しかし未だに開口部はぱっくりと口を開け、中からまだ何か出てくるw
一応こまめに消毒をして、絆創膏も替えている。
あまり貼りっぱなしもまずいと思うので、風呂上がりから寝るまではこんな感じで乾燥させている。
中身が出たとはいえ、恐らく手術でないと完治はしないだろう。
治ってくれるかな。己の自己免疫力を信じよう。
粉瘤

ひとりでできるもん

初めてひとりで映画を観に行ったのは、小学校5年生だった。
一緒に行く予定をしていた友達がどうしても行けなくなって、ひとりで映画館へ行った。
その映画館はもう何度も行っていたので別に困るようなことはなかった。
それ以来、映画はひとりで行くようにしている。
今の若者は、果たしてひとりで何かできるのだろうか。
とかく人とのつながりを求める昨今、人は所詮ひとりである。
集団心理は、ときに暴走し、ときに人の命を奪うこともある。
それが本意でないにしても、起きてしまったことは取り返しがつかない。
人は自分が無力であると思うからこそ、他人の威を借りて自分を誇示しようとする。
しかしそれをいつまでも続けていると、自分が無力のまま歳をとってしまう。
宝塚の奥のほうに、廃線跡がある。
人気のハイキングコースだが、トンネルが多い。
もちろん明かりは一つもなく、懐中電灯携行必須である。
入口も出口も見えなくなったところで、懐中電灯を消してみた。
目は確かに開いているのに、何も見えない。かざした手すら見えない。
私は初めて、そのときにひとりでいる恐怖というのを覚えた。
今の若者に、その闇をひとりで打ち破る力はあるのだろうか。
ひとりで映画館に行く力はあるのだろうか。
ひとりで喫茶店に入る力はあるのだろうか。
今からでも遅くない。ひとりで何かを成し遂げる力をつけていってほしい。
そうすると改めて、他人の尊さがわかると思うのだ。
自分ひとりでは微力だから、他人の力が必要なのだと。