GT40はたぶんフジミのエンスー、シエラはタミヤだ。
GT40はルマンで名を馳せた名車、シエラはFIAグループAで活躍した。
シエラはエンジンレスでタミヤらしい造りやすいキット。もちろん、グループAのカラーリングバリエーションキットがある。
GT40は地獄のパーツ数でおなじみのエンスーキットだ。チューブラーフレームまで再現されている。アライメントが大変だ。
しかしGT40は今見ても、アメ車にしてはグラマラスなデザインである。未だに人気があるのもわかる気がする。
月: 2007年10月
亀田何某
ああいうのもありかな、とは思っていた。
大阪人のボクサーによくあるキャラクターであったが、今どきの若者風情と合わせて、まあまあ、ああいうのもありかなとは思っていた。
しかし、やんちゃな若者としてはありだが、スポーツマンであるボクサーとしては、やはりなしだった。
もちろん、本人達以外にも、コバンザメのように吸い付いて金儲けをたくらんだメディアの責任も大きい。TBSね。
反則してまで勝てと言ったのは、セコンドからではなくその後ろのプロデューサー辺りだったかもしれないというのが、まんざら笑い話でもないから困る。
彼らが純粋にボクシングだけに邁進していれば、それこそ世界を手にするくらいの強さになったと思う。
それだけに少し残念だ。同郷人としても残念である。あ、京都だけど。ま、大阪に十年住んでたし。
踊る大捜査線10周年
そうか、もう10年か。
タイトルがミュージカルっぽかったのでどんなドラマだろうと見てみたら、どっぷりとハマってしまった。
君塚良一の緻密なプロットとキャラ設定がなんといっても魅力である。
そんなこんなで、またフジテレビが盛り上げているわけだが、ここにきてどうやら映画のパート3が現実味を帯びてきたようだ。
織田裕二と柳葉敏郎の確執や、いかりや長介の死去により、制作は不可能とされていたが、ドル箱作品を捨て置けないフジテレビからも声が上がっている。
一視聴者として、一ファンとして、私も続編を観てみたいと思う反面、複雑な気持ちもまた抱いているのは正直なところだ。
私がこのシリーズで一番感動したシーンは、テレビシリーズの最終回、取調べを青島に任せて去っていく和久の後ろ姿である。今でもこのシーンを見ると涙が出てくる。
つまり、いかりやさんが亡くなった今、和久を欠いたキャスティングでは踊るは成立しないのだ。
ドラマツルギーの視点からみても、若手を見守る老体は不可欠である。和久の代わりを立てるのか、それとも抜きでやるのか。
いずれにしても、いかりやさん存命で制作したパート3より劣るのは確実である。
10周年はパート3をぶち上げるのに格好なタイミングである。果たして、踊る3はあるのか。
踊る大捜査線 コンプリートDVD-BOX〈限定版〉
凶悪事件でテレビアニメ次々と放送中止
もう日本国民すっかり慣れてしまったようで、娘が父を斧で切り殺しても誰も慌てない世の中になってしまった。
しかし、まだまだ肝っ玉の小さいというか、事なかれ主義のちんけな連中は健在で、事件に影響したと思われるテレビアニメや、また違う別の事件に連想させるアニメが放送中止の憂き目に遭っている。
私は別にそのアニメが見たいわけでもなんでもないが、放送中止にしたところで事態は何も変わらない。
単にテレビ局、及びスポンサーは、自分達の番組のせいにされるのを恐れているだけだ。責任を取りたくないだけのことである。
テレビが与える影響が大きいことはわかるが、上澄みだけを掬い取ったところで問題は解決しない。
テレビで公開しない分は、ネットというメディアに流れ、世間が注視できない闇の中で更に拡散していく。
そのうちというか、もう既に、テレビでは当たり障りのない番組だけが延々と流れ続けるのだ。
私は学生時代から言い続けてきたが、現行のテレビ放送のシステムは、破壊すべきである。商業主義に則ったマスメディアの言論思想統制ほど恐ろしいものはない。
ネットのおかげで情報の伝達系統にだいぶ変化が出てきたが、テレビの牙城はそう簡単には崩れない。
視聴者が変われば、きっとテレビ界も変わるだろう。
顔モード
脳内メーカーがかなり話題になった。アフィリエイト収入も相当なことだろう。
顔モードはそんなネットの小ネタの一つだ。
自分の顔画像を送ると、あだ名や四字熟語などが返ってくる。携帯専用だ。
私の場合は、
あだ名:キャンディ
四字熟語:千慮一失
武田久美子に71%似てるそうだ。
どれもいじりにくいなあ。
http://kaomode.jp/