インターネットで取り交わされているメールの真偽を、プリントアウトした薄っぺらな紙一枚で糾弾するとは恐れ入る。
メールヘッダもない、メールサーバのログもない、そんなものを国会に持ち込んでわめき散らした永田くん。君が議員辞職にならないのが不思議だ。
サービス業をしていると、しばしば客のクレームというものを目にする。クレームというのは、いくらこちらが正当であっても、客がそう思えば全てがクレームになるのだ。
永田くん、君のやったことは、横暴な客の横暴なクレームだ。あんな薄っぺらな紙一枚で国会を混乱させた責任は大きい。
議員を辞職するべきだ。共産党へ出向して情報戦のノウハウを学んでこい。
カテゴリー: 政治・社会
阪神ファンとして上場問題について一言
試みとしては面白いと思うし、旧態依然としたプロ野球界に風穴を開けるという意味では歓迎できる案ではある。
だが諸手を挙げて賛成できない理由は、この案件が球団や親会社からではなく、株を買い占めて発言権を得た大株主から出たという点だ。
つまり、その最大の目的は金儲けであり、タイガースやファン、ひいてはスポーツのためではない。自分達の金儲けのついでに、君たちも楽しんだらどうだいというスタンスでは、到底賛成できない。
村上氏は、球団上場にはこだわらないと聞く。阪神電鉄の株で儲けるのは結構だが、仮に球団上場を諦めたとしても、親会社である阪神電鉄にマイナスの影響を及ぼし、その結果阪神タイガースに何らかの影響が出ようものなら、そのときも全国四千万のファンは黙っていないだろう。
一阪神ファンとして、今回の問題についてはNOである。
阪神と村上ファンド
旬の話題をひとつ。
リーグ優勝に浮かれていた阪神の隙をついた格好で飛び込んだニュースだった。
阪神ファンを始め人々の関心は、阪神電鉄が村上ファンドに乗っ取られてしまうのではないかということだろうが、私はそんなに心配していない。
相変わらず経済には疎いが、ライブドアとフジテレビの時とは違い、村上ファンドというのは株を運用して儲けるという会社であり、よその会社を乗っ取って云々というのが目的ではないからだ。
村上ファンドが資金を持っているのではなく、顧客から金を託されて株を運用するわけで、となると儲かる株を買うのは当然である。そこで目を付けられたのが阪神電鉄ということだ。
仮に万が一、村上ファンドが阪神電鉄、ひいては阪神タイガースを買収することになれば、全国四千万の阪神ファンが黙っているはずがない。村上ファンドなどは微塵もなく消え失せるだろう。物理的に。
村上氏も阪神ファンだと聞く。もしも、阪神が巨人のような振る舞いをしようものなら、そのときは大いに口を出していただこう。
自民歴史的大勝
一つ断っておくが、私を含めて、自民党を支持したわけではない。小泉首相を支持したのだ。自民小泉政権での改革を期待しているわけで、小泉のいない自民党には用はない。それ以上の人間が出てくれば別だが。
しかし、この私が投票したくらいだから、全国でもかなりの無党派層が動いたようだ。私もびっくりしている。
選挙の焦点はあくまでも郵政民営化であって、焦点をぼかそうとした野党の失策が議席減につながった。どこかの党首が、民営化には賛成だがこの法案には反対だと言っていたが、傍から見れば純粋に反対している徒党と変わりないように見える。なんでも反対する共産党のほうがまだわかりやすい。
とかく政治に興味がないと言われている有権者だが、そうでもないことがわかっただろう。有権者のほうも、国民主権だということを、改めて思い知って欲しい。
宮城沖地震
死者が出なかったのは幸いだった。帰省ラッシュで人の出入りが多い真昼間の都市に震度5である。
それにしても、大規模地震の頻度は明らかに増加している。新潟中越地震は昨年の10月、福岡西方沖地震は今年の3月。そして、今回の地震だ。
不安を煽るわけではないが、阪神大震災クラスの大地震が再び日本を襲う日は、そう遠くないのかもしれない。
素人考えで申し訳ないが、こういう中規模地震が頻発することによってエネルギーが分散され、大地震がそれほど起こらなくなるという訳にはいかないのだろうか。
明日にも起こるともう二十年以上言われ続けている東海地震は未だにないし、地震のメカニズムも完全に解明されたわけではない。
いざというときに備えるのは当然としても、もう少し楽観的に考えてはだめなのだろうか。
確かに日本は地震が多いが、二千年近い歴史を持っている。国が滅ぶほどの地震には遭遇していない。それとも、もっと長いスパンでその壊滅的な地震はやってくるのだろうか。
戦後60年
戦争は本当にいけないことであると、真剣に考えたことがあるだろうか。この世から戦争がなくなると、本気で信じている人はいるのだろうか。
人は感情を表して生きている。喜び、怒り、哀しみ、楽しみ。人の集合体を国家とするなら、国家もまた感情を顕にしてこの世に存在している。
戦争をなくそうとするなら、人の怒りの感情をなくさない限り、それは叶わぬ願いなのである。
今は戦後であるが、戦前でもあると誰かが言った。戦後60年、100年、200年、ずっとそう言い続けていたいものである。
日航ジャンボ機墜落から20年
テレビで関連番組をやっていた。ながら見だが全部見てしまった。あれからもう20年も経ってしまったのか。
20年前の私といえば、いつものように母方の田舎へ帰省して、まったりとお盆休みを過ごしていた。夕食前、テレビを見ていたら(確か日曜日だった)速報が入った。その段階では行方不明だったと思う。やがて墜落が判明し、乗客乗員500人以上が亡くなったと思われたが、翌日に生存者が発見された。
まったりと過ごすはずだった休みに、妙な緊張が漂ったのを覚えている。
20年も経ったが、旅客事故のメカニズムは何ら変わっていない。整備のミス、運転のミス、管理のミス。大きな事故が起こるたびに、これを教訓にするという言葉を聞くが、本当に教訓にされているのだろうか。
20年だろうが21年だろうが、私には関係ない、といった事故現場の村長の言葉が耳に痛い。