14時46分、その時刻私は、鴨川の河川敷を歩いていた。
すると、着地した足がふらついたような感覚に襲われた。二歩三歩と足を進めるが、何かぐらぐらと揺れているような感じがしたのだ。
辺りを見回したが、ベンチに座っている人も、他の歩いている人も別段変わった様子はない。近くにある幼稚園では、園児たちが楽しそうに遊んでいる。
気のせいにして帰宅すると、私を見るなり母が「地震あったんやて」とテレビを指した。
やはりあれは地震だったのだ。京都はゆっくりゆらゆらと揺れていたようだ。
着替えもそこそこに、テレビとPCをつけ、ツイートデックを起動させる。
NHKのアナウンサーのトーンが、明らかに異常だった。大津波警報が出ている。また三陸沖だ。
東京でもかなり揺れたらしい。新橋駅に人が溢れている。
やがて、陸地に押し寄せる凄まじい津波が映し出された。
車を船を飲み込んで、じわじわと陸地へ水が上がってくる。高架道路で車がうろうろしている。道の向こうは既に水没だ。
「はよ逃げろよ!」私は思わず声を上げた。
ツイッターのタイムラインには、次々と地震のツイートが流れている。電話もメールも輻輳しているのに、タイムラインは湯水のように流れている。
やがてツイッター上で情報交換が始まった。
被災状況や安否情報など、しかし中にはデマを流す不貞な輩も出てきた。情報の取捨選択は非常時こそ重要だ。
NHKが、陸地を遡ってくる津波を映し出した。地上のあらゆる物体を巻き込み、凄まじいスピードで迫ってくる。道路を走っている車よりも早く、中には巻き込まれた車もあった。
そのとき、地震のマグニチュードが発表された。日本で観測史上最大のM8.8だ。隣の解説者の驚嘆が聞こえた。地震のプロを絶句させる規模の地震だったのだ。
その後、津波は太平洋沿岸全域に拡大、大津波警報は四国にも及んだ。
現在も津波警報は継続中、東京は交通網寸断で大混乱になっている。
しかし、ツイッターがこれほど災害に有用なツールだとは思わなかった。もちろん、情報の確度などには気を配る必要があるが、例えば各自治体で災害用のアカウントを作成し、災害時に避難情報を流すなどすればいいのではないだろうか。
余震も津波もまだ余談を許さないので、関係各所は充分に警戒していただきたい。
カテゴリー: 政治・社会
悪いことをすれば叱られる
それが当たり前の世の中なはずだった。
大人が、親が、先生が、子供を叱らなくなって久しい。
その結果として、大学の受験会場で、平気で不正を行う者が現れるようになった。
ゆとり教育の弊害だと一笑に付すのは容易い。しかし、彼らにその教育を受けさせたのは、我々大人なのだ。
ゆとりにうつつを抜かしていたのは、我々のほうだったのだ。
時代は変わる。我々が子供だった頃の常識が、いつまでも通用しないことはわかっている。
しかし、世の中には変えてはいけないことがある。
時代がいくら変わろうとも、決して変えてはいけないことがある。
それが、悪いことをした子供を叱る、ことだ。
今からでも遅くない。aicezukiが出頭してきたら、みんなでババちびるくらい叱ってやろうではないか。
伊達マスク
今朝の「とくダネ!」で面白いレポートをやっていた。カゼや花粉などでマスクをしている人が多いが、中には「伊達マスク」なるものもいるらしいというのだ。
つまり、カゼでもなんでもないのに、マスクをして外出するわけである。
女性は、メイクしてないからという理由が多いが、中にはマスクをすることで外界と遮断し、安心できるという人もいた。
精神的に不安定な現代の若者を象徴するような現象だ。
まったく、最近の若い奴は、と思ったが、その気持ち分からないこともない。
私も一昨年、マスクなしでは過ごせない春を経験したが、そのとき、マスクをするとやたら独り言が多くなるのに気付いた。口元が見えないからだろう。
しかし中には、家の中でもマスクをしている若者がいた。家族の前でだ。血のつながった信頼できるはずの家族の前で、何を隠すというのだろうか。
この問題、意外と根は深いのかもしれない。
まさに土俵際
いや、もう割っているのかもしれない。相撲の話だ。
八百長が行われていたことは、もう決定的だ。一体どれだけの力士が関与していたのか、協会は調査するとしているが、それはやめたほうがいいと思う。
その答えを、協会は知っているはずだ。
もうこうなったら、開き直るしかないと思う。
相撲で八百長があっても、罰則はない。しかし、競馬や競輪で八百長があれば、それは罪に問われる。
いっそのこと、相撲を賭けの対象にして、totoみたいにすればいい。そうなれば、少なくとも八百長はなくなる。100%ガチンコの取り組みが見られることになる。
今の組織を温存しての相撲の存続はたぶんありえない。しかし、相撲の消滅だけは避けねばならない。
あの名勝負、千代の富士対若乃花戦、あれは八百長とは到底思えない。
一部の人間(そうとも言えなくなってきたが)の愚行で、純粋に相撲に精進してきた力士までも否定されることは、あってはならない。
そのためにも、国民を挙げてこの問題に対処しようではないか。
節分の鬼に泣く子供
節分だ。幼稚園に鬼がやってきて、子供たちが豆をまいている映像がテレビで流れた。
その鬼が妙にリアルで、子供たちがわんわん泣きながら豆をぶつけている。
番組に出ていたタレントから、かわいそうだという声が聞こえた。
確かにそうかもしれない。傍目に見れば、鬼で脅かしているようなものだ。
しかし、それこそが現代社会に必要なのではないだろうかと、最近特に思う。
近年、節分のような伝統的な行事に関心が薄れている。子供たちが精神的に不安定であったり、成長しないのは、情操教育の欠如が原因であると思うのだ。
かつてそれを担っていたのが、節分のような伝統的、宗教的な行事であり、そういう行事に触れることが少なくなったことで、子供たちがおかしくなっていったのではないだろうか。
そこには、地域との結びつきや、近所付き合いの有無などの複合要素も関わり、代替手段を模索せぬまま、今に至ってしまったことも要因の一つだろう。
大人たちの勝手な思惑で、いろんなものを失って育った子供たちが今、その大人たちに復讐している、ように思えてならない。
相撲、今度は八百長
思うのだが、相撲というのは非常に長い歴史がある。そして外部の人間がおいそれとは関与できない伝統がある。
この八百長というのも、その伝統や歴史の一つだと言ったら怒られるだろうが、たぶんそうなのだ。
スポーツという概念が相撲に取り入れられたのは、近代になってからだ。それ以前、相撲は興行だったに違いない。
スポーツの世界で八百長はご法度だが、興行となれば話は別だ。
観客を楽しませるために、小が大を倒すこともあったかもしれない。といって、小錦対舞の海が八百長だったとは思いたくないし、決してそうではないはずだ。
今回発覚した問題は、メールという物的証拠から発覚した。メールがあったからこそ発覚したわけで、今に始まったことではないと思う。
メールがなかった時代も、そういう行為が連綿と行われ続けていたのではないだろうか。
どこをどうすればこういった問題が解決できるのか。関係箇所に任せるのではなく、日本という国全体で考えていかなければならないようだ。
相撲は、日本の国技たるスポーツなのだから。
ぼーっとしてたら死ぬぞ
ジェットコースターから乗客が投げ出されて死亡するという事故があった。
乗客の安全バーが締まっておらず、係員の安全確認の不備が事故の原因らしい。
と一言で済ますのは簡単だ。
推測の域を出ないが、死亡した乗客は、自分の安全バーが締まらないことに対してどう思っていたのだろう。
もしかすると、締まってないけどまあいいか、くらいに思っていたのだろうか。私なら大声を張り上げて「締まってないぞアホンダラ」と叫ぶのだが。
事故の責任は間違いなく遊園地側にある。係員が安全確認を徹底しなかったために起こった事故だ。
しかし、乗客側の安全確認で防げた事故でもある。
人間はミスをする。他人も自分もミスをする。他人のミスは防ぎようがない。となれば、自分がミスをしないようにするか、他人のミスを自分の行動でカバーするしかない。
結局、最後のフェイルセーフは自分自身なのだ。
以前、横断歩道で信号が青になって渡ろうとすると、信号無視の車が突っ込んできた。二回あった。
もし私がぼーっと歩いていたら、間違いなく死んでいただろう。
日本人はもう少し、世の中が危険だということを認識したほうがいいかもしれない。自分の何気ない行為も、一つ間違えれば他人や自分を死に至らしめることだってある。
死んでからでは、こうやって文句も言えないのだから。