ネットやテレビに接触していないときに起きた大きなニュースは、余計にびっくりする。
いわゆる通り魔事件としては、戦後最悪となってしまった。
歩行者天国には、雑踏警備として警察官が配置されているが、犯罪の抑止、被害の拡大を防ぐことはできなかった。
犯人の制圧方法として、この場合の銃の使用は極めて難しく、動きを止めるには直接接触しかないわけだが、犯人の確保時には発砲はなかったものの銃が使用された。
歩行者天国の警備、犯人への対処、どれについてもこれ以上の対応は望めなかった。それほど、犯人の行動は狂気であった。
さて、それでは、我々が被害者にならないために、何をすればいいのか。
残念なことだが、我々の周りには、こうした狂気の存在が常にあると思う以外にない。
何かおかしなこと、変わったことを敏感に察知し、状況を理解し、判断して行動に移す。たぶんそれは地震への備えより難しいことだろう。
被害者の方々のご冥福をお祈りするとともに、犯人への極刑は当然として、この先それを弁護する人間にすら憤りを覚えるであろうこの事件に、怒りを禁じえない。
カテゴリー: 雑記
動物園で飼育員がトラに噛まれる
GWに妹一家と出かけたばっかりだ。トラも見た。今年は阪神が調子いいので、檻の前は人だかりだった。
以前、猛獣舎で餌やりの説明を見たことがある。そのときの飼育員さんだろうか。心苦しい限りである。
動物園で飼育されているとはいえ、野生の血が薄まったわけではない。彼らには鶏も人間も同じなのだ。
猛獣飼育に従事されている方々は、もう一度気を引き締めて、職務にあたってほしい。
相次ぐ自殺
硫化水素ブームは収まったようだが、昨日テレビに出ていた人まで自殺してしまうと、けっこう凹む。
私は、自殺は淘汰だと思っている。生命の淘汰だ。強いものが残り、弱いものが消える。
自殺してしまうような精神の弱い種は、絶えるということだ。
だが、見ず知らずの他人ならいざしらず、身内の自殺はやはり阻止したい。
先日自殺したフリーアナウンサーも、ブログでその兆候は大いにあった。AV女優のときもそうだ。
ネットで第三者にもその兆候が発せられたにも関わらず、なぜ誰も止められなかったのか。
一億総ケータイ時代にあっても、コミュニケーションは希薄なのだ。いや、だからこそ希薄なのだ。
死ぬにも勇気がいることだろう。しかし、その勇気は決して褒められたものではない。
なーんかロケやってるぞ

以前、鴨川の床でロケやってて、あまり野次馬もなんなのでスルーしたら、あとでそれは「おみやさん」のロケで、その店にメインキャストが勢揃いだったのがわかって愕然。
渡瀬さんもいたのよ~氷室キャップ(古
これもたぶんテレ朝の京都シリーズのドラマだと思うが、誰かはわからない。
主役級として、船越さんにしては細いし、橋爪さんにしては背高いし、おみやさんはよくこの渡りを使うけど渡瀬さんじゃないし、一番怪しいのは内藤さんだが、科捜研の女は現在放送中で、撮影はとっくに終わっているはずだ。
もっと近づいて確かめればよかったが、ジャマになるのもなんなので、そそくさと帰ってきた。
土ワイかもなあ。
※「その男、副署長」でした。
その日みかつうに何があったのか
日本橋で買い物を済ませ、開演まで時間があったので難波から御堂筋を北上した。
とことこ歩いて阪神高速の高架が見えるころ、腹にたまってきたガスを抜こうと、人通りの切れた頃を見計らってすかしてみた。
それは、おならだけが出るはずだった。
違和感を感じてすぐに力を入れたが、これはたぶん無事では済んでないだろう。どこかでトイレに入って確認する必要がある。
船場センタービルの細い通りを抜けて、トイレに入った。
幸い大事には至らなかったが、これから芝居を観に行くというのに、不安要素を抱えては集中できない。
梅田でいつものオムレツを食べた後、軽い便意を感じたので駅前第1ビルのトイレに入った。出るものは出し切っておきたいというのもあって、和式に入った。
いつも和式に入るときは、ポケットの中のものが邪魔になるので出しておく。特に財布をいつも後ろのポケットに入れているので、そのまま屈むと腿が圧迫されるのだ。
財布を出すときは、いつもは扉に立てかけておく。自分の進路に置いておくと、絶対に忘れないのだ。
だが、その日は、目の前の予備トイレットペーパーケースの上に置いた。目の前にあるので忘れないと思いがちだが、立ち上がってしまうと途端に視界から消えるので、危ない。
案の定だった。
トイレを済ませて買うものがあったので商品を取って財布に手をやろうとして、ポケットがぺらぺらなのに気づいた。
商品を棚に戻して急いで先刻のトイレに戻る。財布の中には金もそうだが、チケットも入っているのだ。
トイレを出てから十分くらいだろうか、戻って和式の個室を見てみると、そこに財布はあった。
よかった、と鏡に向かって一人呟くと、チケットを確認した。
チケットはあったが、チケットしかなかった。チケットを確認するために、退けなければならない千円札が、全てなくなっていたのだ。
「やられた・・・」
いつものセオリーを踏襲せずに、財布を置き忘れた私の不注意には違いないが、わずか十分の間に忘れられた財布から現金だけ抜いていくという、大阪の恐ろしさを改めて痛感した。
現金だけ抜いていくというのは、かなり慣れている。そういう場に数多く遭遇している人間の所作だ。
このあたりはホームレスも多い。確か、障害者用トイレに掃除のおばちゃんもいた。
被害額が少なかったのと、何より財布を忘れたのは自分の不注意なので、私はすごすごと会場へ向かった。
友人にこのことを話すと、「悪いことがあった分、そのうちええこともある」と励ましてくれたが、それなら、宝くじで3億円が二回くらい当たらないと割に合わない計算になる。
まったく、盗んだ犯人より、大阪の恐ろしさより、自分の不甲斐なさに未だへこんでいるのは確かだ。
十万ヒット御礼
データアーカイブを目指して、開設から7月で丸4年が経つみかつうONLINE。訪問者が10万の大台に乗った。
物理的に続行が不可能になるまで続けていくつもりなので、今後ともよろしくお願いしたい。
気が向いたらバナークリックもよろしく。特に下の方にあるやつとか。
人を教えるのは難しい
新人の研修をしている。女の子だ。
業種が業種だけに、ヘンなのが来るんじゃないかと心配していたが、それは大丈夫だった(まあ一癖あるがw)。
しかし人を教えるのは難しい。マニュアルを渡して覚えろというのは簡単だが、それでは人が育たない。
相手の性格や特性をある程度理解してからでないと、十把一絡げというわけにはいかないのだ。
それに、こちらの教える技量もある。いくら覚える側が優秀でも、教える側がちゃんとしてなくては意味がない。
これは学校教育にも言えると思う。
すっかり大人になって、親の立場で(予定は未定だが)考えるとき、たかが二十歳そこそこの学生上がりの教師に、何が教えられるというのだろうかとさえ思うことがある。
教科書を読ませて、黒板を写させて、さあ覚えろというのは簡単だ。だが、人を教えるということはそれだけではない。
人を教えるということは、人を成長させることだ。それは教えられる側だけでなく、教える側にも言えることなのだ。
がんばれよ、新人ども。オレもがんばるわ。