謎のあざ


昨日風呂で気づいた。右の胸にある。
カバンの持ち手を肩にかけて、重い荷物を持ったときとかにこういうのがよくできるが、これは胸にある。とても力のかかるところではない。
よく見ると、格子状になっている。その日、スーパーへ買い物に行って、重いカゴを持っていたが、胸に当たるような持ち方はしていない。
何かにぶつかったという憶えもない。これくらいのあざができるなら、相当強く当たらないとできない。
別に痛くはない。謎だ。

コンビニ深夜営業の是非

世の中、なんかとってつけたようにエコである。まあ、メディアが率先して喚起する分には悪くはない。大阪府の財政のように、地球温暖化は逼迫している。
そんな中、コンビニの深夜営業を自粛してみてはという意見が出た。朝日新聞の調査によると、回答の84%に自粛してもよいという意見が上がった。
どういう層でアンケートをとったかはわからないが、この結果にはやや疑問が残る。
コンビニを頻繁に利用している人間と、そうでない人間では、アンケート結果は確実に変わる。
コンビニをそんなに利用しない層は、深夜営業と地球温暖化を比べれば、そりゃ地球温暖化のほうが重要だろう。
コンビニを頻繁に利用する層、特に都市部などは、深夜営業の利便性のほうが上だ。
深夜営業を自粛したところで、節約できるのは照明の光熱費くらいだ。もっと他に削減できるところがあるはずだ。
コンビニもあれはあれでけっこう淘汰が激しい。近所のコンビニが最近一軒潰れたし、深夜営業云々より、絶対的な店舗数を減らすほうが効果的だと思うのだが。

拾い物

小学生が実弾を拾って警察に届けたというニュースがあった。後日、その実弾は模造品であることがわかった。
ダミーカートといって、サープラスショップで売っているものだ。薬莢と弾頭がついているので、素人目には実弾に見えるが、プライマーの部分が欠落しているのでその筋の者が見れば一目でわかる。もちろん火薬もないし、実銃に入れても発射できない。
小学生の頃、友達と歩いていると、小さな金のインゴットを拾った。親指の先くらいのペンダントトップみたいなものだが、FINEGOLDとか999.9とか書かれてあって、これは大変だと交番へ届けに行った。
するとお巡りさんは、「これはにせもんやね」と返してくれた。なーんや、とがっかりしながら家に帰ったのを憶えている。
そんな話を思い出した。

ロートPRO


付き合いの長い目薬だ。もう15年以上になる。
映像関係の仕事をしていたのと、家でもパソコンに向かうことが多いので、ちょうどぴったりの目薬だ。
CMを見たことがないが、未だに置いてあるというのは売れているということだろう。
黄色い薬液はシャツに付くと厄介なので注意だ。

秋葉原で通り魔

ネットやテレビに接触していないときに起きた大きなニュースは、余計にびっくりする。
いわゆる通り魔事件としては、戦後最悪となってしまった。
歩行者天国には、雑踏警備として警察官が配置されているが、犯罪の抑止、被害の拡大を防ぐことはできなかった。
犯人の制圧方法として、この場合の銃の使用は極めて難しく、動きを止めるには直接接触しかないわけだが、犯人の確保時には発砲はなかったものの銃が使用された。
歩行者天国の警備、犯人への対処、どれについてもこれ以上の対応は望めなかった。それほど、犯人の行動は狂気であった。
さて、それでは、我々が被害者にならないために、何をすればいいのか。
残念なことだが、我々の周りには、こうした狂気の存在が常にあると思う以外にない。
何かおかしなこと、変わったことを敏感に察知し、状況を理解し、判断して行動に移す。たぶんそれは地震への備えより難しいことだろう。
被害者の方々のご冥福をお祈りするとともに、犯人への極刑は当然として、この先それを弁護する人間にすら憤りを覚えるであろうこの事件に、怒りを禁じえない。

動物園で飼育員がトラに噛まれる

GWに妹一家と出かけたばっかりだ。トラも見た。今年は阪神が調子いいので、檻の前は人だかりだった。
以前、猛獣舎で餌やりの説明を見たことがある。そのときの飼育員さんだろうか。心苦しい限りである。
動物園で飼育されているとはいえ、野生の血が薄まったわけではない。彼らには鶏も人間も同じなのだ。
猛獣飼育に従事されている方々は、もう一度気を引き締めて、職務にあたってほしい。

相次ぐ自殺

硫化水素ブームは収まったようだが、昨日テレビに出ていた人まで自殺してしまうと、けっこう凹む。
私は、自殺は淘汰だと思っている。生命の淘汰だ。強いものが残り、弱いものが消える。
自殺してしまうような精神の弱い種は、絶えるということだ。
だが、見ず知らずの他人ならいざしらず、身内の自殺はやはり阻止したい。
先日自殺したフリーアナウンサーも、ブログでその兆候は大いにあった。AV女優のときもそうだ。
ネットで第三者にもその兆候が発せられたにも関わらず、なぜ誰も止められなかったのか。
一億総ケータイ時代にあっても、コミュニケーションは希薄なのだ。いや、だからこそ希薄なのだ。
死ぬにも勇気がいることだろう。しかし、その勇気は決して褒められたものではない。