ブライガー、アクロバンチと並んで、金田オープニング3部作と呼ばれて(?)いるのがモスピーダである。ノリのいい曲とともに、金田節全開の作画がスピーディに展開する。
モスピーダは音楽制作に比較的力を入れており、OP、EDや挿入歌はなかなか聴き応えがあった。特にエンディングはテレビアニメ史上初のブルースであり、私も好きな曲の一つである。
劇中に登場するライドアーマーは、バイクが変形してパワードスーツのようになるのだが、理にかなった無理のない変形をしており、なかなか素晴らしいギミックである。バイクが変形してロボットになるというのは、恐らく変形メカとしてはあまり例がない。当時、ちょうどバイクに興味が出てくる年頃だったので、アニメファンでなくてもこの番組を観ている友人は多かった。
ただ、この作品も残念ながら低視聴率のため2クールで打ち切り、ハードSFな舞台設定を活かしきることができなかった。しかし、アメリカでは「ROBOTECH」として再制作され、かなりの人気を博したようだ。
投稿者: みかつう
芳本美代子 「I'M THE ONE」
ザ・ベストテンで最高位2位を獲得した「青い靴」が発売されたのが前年の86年。このアルバムは、アイドル歌手芳本美代子として最高の時期に発売されたと言える。
シングル曲を含めた一見何の変哲もないような構成のアルバムだが、暗雲を振り払うような爽快なトップチューン「Kiss the Sky」から、異国情緒漂う「フェリアの娘」、ハイテンポなリズムトラックで盛り上がる「Street Swimming」、ラストはちょっと大人っぽく「Wanna Catch」でメロウに決めてくれる。
飛びぬけてかわいくもなく、飛びぬけて歌がうまいわけでもないが、みっちょんは私にとって永遠のアイドルである。
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MTJ #8
「Right Place Wrong Time」F.O.E.
YMO散開後、細野晴臣が次のムーブメントを起こすべく結成したF.O.E.(Friends Of Earth)。当然YMO世代は注目したが、尻切れた感じになってしまった。ビデオもライブ映像が中心であまり凝っていない。むしろ「Strange Love」のほうが映像としては凝っている(なら取り上げろよ)。
「黄金の時間」ZELDA
ガールズバンドの祖と言ってもいいだろう。映画「ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け」の主題歌で、ビデオも映画からの映像がふんだんに使われている。今から思えば、いわゆるゴスロリ調の衣装を着ていたように思う。音楽的にも実力を備えたバンドであったが、下に強力なガールズバンドが出てくる。
「KISSでCRIME」プリンセスプリンセス
ガールズバンドの代名詞になってしまったプリプリ。しかし、彼女達もいきなりうまかったわけではない。このビデオを見ると、その一生懸命さというか、必死さが伝わってくる。正直、かわいいとかきれいなバンドではなかったが、魅力的ではあったと思う。プリプリとしてのデビューはこの曲である。
「失意のダウンタウン」久保田利伸
ラップを取り入れた楽曲で、日本で初めてヒットしたのはこの曲ではないだろうか。全編ではないが、間奏部分に挟まれている。若々しいデビュー曲である。既にもうコンポーザーとしての一面もあり、多彩な才能を発揮していた。そしてとうとう全米デビューを経てソウルトレイン出演である。すごい。日本の音楽界において、R&Bシンガーという系統を築いたミュージシャンと言えるだろう。
「江戸時代の恋人達」パール兄弟
手塚真が撮ったと聞いて、見ない訳にはいかない。お茶の子博士で散々楽しませてくれて、今度はどんな映像が見られるのだろうかと。だが私は映像より音楽にはまってしまった。パール兄弟との出会いである。ビデオは、股旅姿のメンバーが砂浜で歌う。もちろん8mm。ざらっとした画質は見慣れたいつものやつだ。手塚真-パール兄弟の真の姿は、「鉄カブトの女」までおあずけである。
ポジショニング
面白ければテレビに出られるか、答えはノーである。
何度も言うが、芸人の本分は舞台である。が、これだけ無料で観られるテレビが発達してしまえば、活躍の場をテレビに置かざるを得ない。
笑いという己の芸の成果をストレートに受け取れる舞台と違って、テレビのそれは反応が実にわかりにくい。自分の意図に反して、テロップや編集などをされてしまうこともある。となるとテレビの方が難しいように思うが、面白くなくてもテレビには出られるのだ。それには、ポジションというものが重要である。
青木さやかがバラエティで活躍しているのも、そのポジショニングに当てはまったからである(彼女が面白くないとは言っていない)。毒舌の女性芸人という、長い間空白になっていたポジションに、青木さやかは収まったのだ。
長年女性に嫌われている出川哲朗がテレビに出続けているのも、嫌われキャラというポジションを彼が獲得しているからである。同じく、ダチョウ倶楽部の上島竜平も、ヨゴレ芸人というポジションを獲得している。
最近、安田大サーカスが注目を浴びているが、彼らはかつてのダチョウ倶楽部のポジションに収まろうとしている。出オチ、ヨゴレ、キャラクターにも個性があるので、今後の活躍に期待が持てるが、かなり仕事的にも厳しいポジションなので、身体を壊さないようにしてほしい。
ポジションを得たからといって、そのポジションを維持できるかといえば、これまたそうではない。それには、他の芸人との絡みが必要になってくる。
コンビ芸人はボケとツッコミのスキルを活かし、MCから振られればボケ、MCがボケればツッコむ。ピン芸人は持ちギャグやトークのスキルを活かし、MCとのタイマンで勝負する。
ギター侍は、その点かなり厳しいものがある。ピン芸人はもともと話術があるので絡みやすいが、彼は音楽ネタなのでその類ではない。それに、エンタの神様というバイアスとテロップの助けがあってこそ、という感じがまだまだあるので、早くその呪縛を解いて独り立ちしていってくれることを望む。
芸人が、ネタ見せだけで食える時代では、残念ながらなくなってきた。もはやテレビは必要不可欠である。だがしつこいようだが、芸人の本分は舞台である。目の前の客が笑わないのに、電波の向こうの視聴者が笑うわけがない。面白くなくてもテレビには出られるが、舞台に上がるのは面白い芸人だけである。舞台とテレビ、この似て非なるものを制することによって、芸人は天下を獲ることができるのだ。
PSY・S 「TWO HEARTS」
フェアライトを操るテクノの申し子松浦雅也と、パワフルでキュートなヴォーカルCHAKAが85年に結成したユニットPSY・Sは、デビュー以来数々のスマッシュヒットを飛ばし続けた。これは初のベストアルバムである。
当時、他に追いかけるミュージシャンが多かったため、サイズはベストでいいやと思っていたが、各店で品切れが続出、手に入れたのは発売から相当経ってからだった。みんな同じことを考えていたのだろう。
収録曲は全てリミックスが加えられ、オリジナルに似たものもあれば遠くかけ離れたものもある。どれもオリジナルより生っぽい印象がある。賛否はあれど、サイズサウンドを充分堪能できるアルバムには違いない。学生の頃、寮の部屋でよく聞いていたので、今でもサイズを聞くとあの頃の甘酸っぱい気持ちが呼び起こされる。
“Desert”はオリジナルのほうが好きだったと言ったあの人は、今頃どこでどうしているのだろう(しみじみ
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アメリカ大統領選挙
正直なところ、ブッシュに決まってほっとしている。別に支持しているわけではない。ただケリーが嫌なだけである。
西海岸、東海岸の富裕者層は民主党を支持、中央部は共和党支持という、アメリカは見事に分断された。内政は私の関知するところではないが、対外的には、つまり日本としてはブッシュのほうがいいわけである。
で、私はなぜブッシュを消極的支持に回ったかというと、ケリーが生理的に嫌だったからである。政治的手腕や主義思想などは関係ない。なんか嫌、だったのである。
こういう直感は、意外と当たったりするものだ。
分相応という言葉がある。あまりいい言葉ではないが、一国の元首たるもの、それなりの風貌が必要である。こういうと、政治を見た目で決めるのかと言われそうだが、例えば日本の選挙でも、政策を比較して投票に行く人が果たして何人いるだろうか。
選挙は事後評価でも構わない、と思う。もっと端的に言えば、現政権の信任不信任だけで充分なのだ。投票に行かない人は、消極的支持として信任に票を組み入れれば、投票率も上がるだろう。
政治家を管理職とするなら、国民は現場である。現場を良くするのが政治家の仕事であり、現場の状況を報告するのは国民の仕事である。
悪くなれば首をすげ替える、ということでいいんじゃない?
島田紳助暴行事件
正式に刑事事件として立件されたので、遺憾ながら島田紳助の敬称を削除する。
被害者側についた弁護士というのが、横山ノック氏を再起不能に叩きのめしたあの雪田樹理弁護士である。DVやセクハラに関しては史上最強の弁護士といえよう。
ただ、ノック氏が完全にセクハラであったのに対して、今回の一件は普通の暴力事件である。だが恐らく、弁護側はあらゆる手段を使って論破してくるであろう。
ここで被害者の当日の行動について書き記しておく。殴られた被害者は、自分で救急車を呼び、病院で診断書を書かせて、その足で警察に被害届を出したという。例えば、私が同じように暴行を受けたとしても、こう手際良くはいかない。かなり手慣れているとしか言い様がない。
島田容疑者は、記者会見で100%自分が悪いと言った。確かに、暴力はいけない、と建前ではみんなそう言う。だが今回、果たして本当に100%島田容疑者が悪いのだろうか。
被害者の女性は、吉本興業の社員である。社員であるなら、初対面のタレントに対して、まず挨拶をするのが礼儀ではないだろうか。どういう会話がなされたのかは定かではないが、この会話によって、島田容疑者の女性への印象はかなり悪かったと思われる。
そして、会話の最後に自分が吉本の社員だということを明かして、島田容疑者がぶち切れたわけである。島田容疑者としては、それまでの会話が吉本の社員から出た言葉として、許せないものだったのだろう。
そこが局内のロビーであったため、島田容疑者は自分の楽屋へと連れて行く。これは、一目につかないところでぼこぼこに殴るためではない。人が人を叱るとき、例えば上司が部下を叱るときは、大衆の面前ではなく、プライベートな空間で叱るべきものである。それが叱り方というものだ。
しかし、被害者は自分がなぜ叱られているのかが理解できていない。一体私が何を言ったの?くらいの認識であろう。それが島田容疑者を更に激高させた。
自分の行動がわからないくらい、島田容疑者は怒り狂っていたのだろう。覚えていないのだから、記者会見で言ったことも間違いかもしれない。それを、被害者意識は嘘と呼ぶ。嘘をついたわけではない。覚えていないくらいあんたに腹が立っていたのだ。
そして女性は自分で救急車を呼び、自社のタレントを告訴したのだ。
今回の事件、かなり島田容疑者には不利である。弁護士に雪田樹理がついたことや、己の行動を省みない小知恵のついた被害者には翻弄されるだろう。
だが、少なくとも私は、今回の事件、島田容疑者が100%悪いのではない、ということだけは理解している。暴力を振るったことは許されない行為ではあるが、暴力を振るうまでに至った過程を詳細に説明してもらいたい。暴力を振るわれたことを全面に押し出し、自分に非があることは明らかなのにそれを棚に上げようとしている被害者女性の態度には、憤りを通り越して呆れている。被害者が、被害者意識を剥き出しにして真相を隠すようなことだけはやめてほしいものだ。
挨拶くらいちゃんとしようよ。40にもなってさ。