藤田まことは本当に死んだのか

必殺仕事人、剣客商売、はぐれ刑事、京都殺人案内、毎日どこかのチャンネルでその姿を見かける。
たまに、あれ?この人本当に亡くなったのかな、と思うときがある。
時代劇から現代劇まで、これほど視聴者の心を捉えて放さない俳優が他にいるだろうか。
と同時に、惜しい俳優を失ったのは残念でならない。
近い将来、いろいろ技術が発達して、京都殺人案内の新作なんかできると嬉しいのだが。

京都殺人案内初期作放送中

これは妹になんかお菓子でも買ってやらんといかん。
チャンネル銀河で、京都殺人案内の初期の作品が放送されているのだ。
もう地上波での再放送は叶わないと思っていたので非常に嬉しい。
残念ながら2話はマスターの状態が悪いとか内容に不手際があるとかで放送できないようだが、今月一杯、21話まで放送予定だ。
1話を見たが、音楽が柳ジョージでちょっとイメージが違う。横浜あたりの情景が浮かんできそうだ。
放送は79年というから、私はまだ小学生だ。ドラマもそうだが、昔の京都の風景が見られるのも楽しみである。
ちなみに、19話にその私の妹がちらっと映ってたりするw

妹がスカパー入るらしい

出かけているうちに連絡したようで、基本パックに加入したようだ。
実は元々おかんが加入していて、時代劇チャンネルをずーっと見ていた。
で、妹が出戻ってきたので、そのまま契約変更ということで続ける。
ちょうど2月から、京都殺人案内の古いのをチャンネル銀河でやるのだ。もう地上波ではなかなか再放送しないのでありがたい。
大追跡も大激闘も見たいし、探偵物語どっかでやらんかな。
こないだイデオンもやってたもんな。
おにいも金払えとか言われそうなので、適当にお菓子でごまかしとくかw

みかつう、月9を見る

月9といえば、大衆迎合のテレビドラマの代名詞である。
かっこいい男優が出て、かわいい女優が出て、つまらん脚本でつまらん演技をしている、そんなドラマに一生用はないと思っていたが、大泉さんが探偵役で出るんだからしょうがない。
私は「探偵物語」をもしリメイクするなら、大泉洋でやってほしいと思っている。
いや、ぜひ近いうちにやってほしい。今、日本一探偵役がはまっているのは彼をおいて他にない。
もちろん、ドラマは若手二人にもっていかれてはいるが、圧倒的な存在感で雰囲気を引き締めて欲しい。
別に演出や脚本に期待はしてないので、大泉さんだけがんばってもらえればそれで結構だ。
CM入りのカット尻がなんか気になるなあ。

新五捕物帳

何の変哲もない昔の時代劇なのだが、何かが違う。
脚本が緻密だったり、時代考証がちゃんとしてたり、中でも特筆すべきは杉良太郎の鬼気迫る熱演ぶりだ。
時にはヤクザ一家に殴りこみ同然に、相手を拳でぶちのめす。
かと思えば、お上に直訴して取り巻きに殴られ蹴られ、それでも執拗に食い下がって、一人の庶民を救う。
感情を剥き出しにしたその演技に、ついつい見入ってしまう。
私はその時代を知らないはずなのだが、どこかリアルな時代劇なのだ。
Wikiを見れば、なんと5年も続いた時代劇だ。ゴールデンタイムに5年も放送するとは、今では考えられない。
ってことはあと5年近く見られるのか。

ちい散歩 京都スペシャル

紀行番組は昔から割と好きなほうで、特にこういう街ぶら散歩系はよく見る。
ちい散歩は、こっちでは完全にネットしていないが、BSやU局で放送はしている。
それが京都に来るってんで、ちいさんがどういう風に散歩をするのか非常に興味があった。
メジャーな観光地は歩かないとは踏んでいたが、まさかなんでもない町家をいきなりピックアップするとは思わなかった。
そして、あの路地だ。もちろん事前に台本があり、ある程度それに則ってはいるのだろうが、こっちとしてはそこ来るか、と脱帽だった。
後半の京都駅界隈はもっとすごかった。
六条通に目を付けたのもそうだが、諏訪神社には驚いた。
あれは観光スポットでもなんでもなく、地元の神社なのだ。
全国ネットで放送されるような番組がわざわざ京都まで来て、地元でさえ取材しないマイナーなところを紹介するとは、さすがはちい散歩である。
ぜひちいさんには毎年京都に来てぶらぶらしていただきたい。いや、もう東京も歩き尽くしただろうから、今度からこっちへ来てくれないだろうか。

太秦の灯は消えた

水戸黄門が終了した。
もう制作しないという意味の終了だ。
一つの番組の問題ではなく、これで民放から時代劇が消えることになる(全国ネット)。
時代劇といえば、制作は主に京都だ。
映画や単発ものではまだ撮影があるが、やはりテレビのレギュラー放送は大きい。
これから高齢化が進むというのに、時代劇というお年寄りのキラーコンテンツを無くしてどうしようというのか。
確かに、現代劇と比べて時代劇は制作費がかさむ。京都で撮るなら尚更だ。
(ん?待てよ、テレ朝のあの京都シリーズはどうなんだ??)
テレビというコンテンツ産業の構造そのものを改革しなければ、太秦の灯は消えたままだろう。
京都にいながら何もできないとは、歯痒い限りである。