ずっと神戸の仕事が続いてたので、昼飯の選択に苦労した。気分的にケンタッキーも食べたかったが、どうしても割高になるので避けざるを得ない。月末は辛いところだ。というわけで、今日はマクドナルドで軽く済ませた。
あの頭の悪そうなCMを覚えていたので、月見バーガーを食べた。季節メニューである。
クリーム色の四角い包みはマクドナルドにしては凝っていると思う。本体価格を抑えた割には豪華な感じだ。だが一口食べると、以前に食べて思ったことを思い出した。
月見バーガーの名の通り、挟まっているのは目玉焼きにした卵である。しかも、結構分厚い。一口食べると、口の中はほとんど卵の白身である。これが非常に淡白で味気ない。何かソースがかかっているわけでもなく、ベーコンも普通に火を通しただけでうまみが全くない。普通のハンバーガーのほうがシンプルなだけ肉の味がするのでまだマシだ。
たぶんもう食べないと思うが、また来年の今頃、CMと価格に釣られて買ってしまうのだろう。
カテゴリー: 食
芋ようかん
このブログを一通りお読みになった方はわかると思うが、私は多分にして東京にいいイメージを持っていない。関西人の悪い癖だとは思うが、そう思わせる何かが東京にもあるのもまた事実である。しかしそんな私が、100%平身低頭する食べ物が東京にある。浅草舟和の芋ようかんである。
誰のお土産かは忘れたが、それが我が家に来たとき、一口食べてそのおいしさに感動すら覚えた。私と妹で瞬く間にそれは無くなり、最後の一本をいい歳をした二人がケンカするほど争って食べた。
芋ようかんと名は付いているが、ようかんらしいのはその形だけである。さつまいもと砂糖だけで作られ、自然の甘みが活かされている。
土産物というのは、往々にしてそれほどおいしくないものである。おいしいと思うのは、土産というシチュエーションがそうさせるのであって、毎日食べればきっと飽きるはずだ。だが芋ようかんはきっと違うだろう。あの素朴な味は、毎日でもたぶん飽きないと思う。というか、飽きるほど食べてみたい。
こちらでは通販しか入手手段がないので、私への東京土産はぜひ芋ようかんを。
従業員食堂
大阪城のほとりにある某巨大ホテルでアルバイトを始めた頃、先輩に連れられて従業員食堂で食事をすることになった。私がカウンターでまごまごしていると、中にいた若いコックが”はよせんかいボケ”と言わんばかりの目付きでこちらを一瞥し、乱暴におかずの乗った皿を私の目の前に置いた。以来私は、二度とこの従業員食堂で食事はすまいと誓った。
別にコックにビビったわけではない。彼らの態度は、食に携わる者にとって決して褒められたものではない。私は食事をしに来たのであって、餌を食べに来たのではないのだ。
職場が神戸に移っても、私は従業員食堂で食事をすることはなかったが、ある日、どうしても時間がなくて仕方なく従業員食堂へ行った。
「いらっしゃい。おにいちゃん何しよ?」
二十人も入れば満員のその食堂には、高下駄を履いてそうな板前風のコックと、おばちゃんが二人いた。
「ごはんもうちょっと入れとこか」
「梅干おまけしとくわな」
食とは、ただ栄養を摂取したり、おいしいものを食べるだけのものではない。そこには、必ず人と人とのコミュニケーションが存在する。料理を作る人、材料を運ぶ人、野菜を育てる人、魚を捕る人。そして、そこには感謝の気持ちがなくてはならない。
「いただきます」「ありがとう」「ごちそうさま」
その日から、できるだけ従業員食堂で食事をとることにしている。家で食べられないものも食べられるし、おばちゃんとのちょっとした会話で疲れた心も和む。
「ボクもこっちにしとこか」
来年年男なんだが、まあいいかと思いつつ、その日はミートローフを初めて食べた。ごちそうさま。
すいか
今年は2回ほど食べたが、甘くておいしかった。高温少雨できっとよくできたのだろう。まだまだ暑そうだからもう一回くらい食べたいものだ。
果物屋やスーパーで、小玉のすいかがやたら目につくが、少子化、核家族を反映してよく売れているそうだ。確かに、大きなすいか丸々一個では持て余すかもしれないが、かといって小玉のすいかをちまちま食べても、夏の醍醐味は半減するのではないか。
半月型に切ったすいかを、口の周りべたべたにしながらかぶりつくのがすいかというものである。それが夏というものである。いくらライフスタイルが変わったからといって、季節の感じ方まで変えるというのはどうだろうか。
なんかこう、安易な考え方というか、思考の伴わない選択が増えているような気がする。尤も、年を追うごとに季節感がだんだんなくなってきているのは否めないが。
ついでにひとつ。すいかにまだ塩をかけて食べている方、もうそろそろおやめになったほうが。
嫌いな食べ物
好き嫌いは多い。独り暮らしをして少しは減ったが、それでも多い。
生野菜。草食ってるみたいで嫌い。味もないし。食べられないわけではない。例えば、トンカツの千切りキャベツなどは、トンカツと一緒に口に入れると食べられる。単品じゃ無理。トマトは好き。野菜も火を通せば全然OK。
刺身。死んだ魚をなぜ君たちは生で食えるのか。文明人なんだから火を通そうよ。甘エビとイカは食える。野菜もそうだが、とにかく生は基本的にだめ。果物以外は。
山葵、辛子、生姜、山椒、だめ。だから寿司なんかもってのほか。巻き寿司かちらしか玉子しか食べない。寿司飯は好き。関係ないか。
酒。下戸とかそういうレベルではない。味覚のレベルでだめ。そう、甘党なのね。だからカクテル類はOK。遺伝的に飲める体質みたいだが。
一番嫌いなのは、マヨネーズ。これは絶対に食べられない。たぶん吐く。しかしいつからお好み焼きの上にマヨネーズをかけるのがデフォルトになってしまったのだろうか。あんなもんかけたらソースの味も生地の味も台無しやろ。味覚破壊も甚だしい。ごはんにマヨネーズ?叩っ殺すぞ。マヨネーズの材料には何一つ嫌いなものがないのが不思議だ。最低の組み合わせというところか。
あ、ネギ忘れてた。
でかみかんの皮むき器
普通のこたつみかんよりも、夏みかんのようなでかい柑橘系が好きである。なぜかというのは訊かないでいただきたい。好きなものは好きなのである。
しかし、あのでかい系みかんというのは、皮が厚いので食べるのが少々厄介である。こたつみかんのように簡単に皮むきできないし、いざ食べる段になればナイフが必要になり、洗い物も増えて面倒である。
4、5年前、独り暮らしをしていたときに、八朔が4個200円くらいで売っていて、これはいいやと買ったときに、ある道具が赤いあみあみの中に入っていた。それが、文末写真の皮むき器である。
道具といってもプラスチックの板だが、その鉤状になった先をでかみかんのへそに差し入れて、そのまま下へ持っていくと簡単に皮が切れるのだ。鉤の部分は刃のように鋭角になっていて、その刃の幅はちょうどでかみかんの皮幅と同じなので、深く切り入れても中身まで届かない。
加えて、素材の程よい強度や持ちやすい大きさ、何よりちょうどみかんの形や色に工夫されているのが憎いではないか。マジな話、私は常にこれを持ち歩いていて、いつでもどこでもでかみかんが食べることができるのである。
全国のでかい柑橘系を出荷している方々は、ぜひこの道具を同梱してもらいたい。というのも、私が手に入れてから全くお目に掛かっていないのだ。こんな便利な道具を使わない手はない。でかみかん消費アップにもつながるので、どうかご検討いただきたい。
8番らーめん
母は石川県金沢市の生まれである。毎夏、家族でぞろっと帰省する。私はもうすっかりいい大人だが、それでもぞろっとついていく。生まれてからずっとそうしてきたので、母が行かないと言うまでは一緒に行くだろう。いや、行かなくても一人で行くかもしれない。私を形成してきた要素に、金沢という街は間違いなく含まれているからだ。
ラーメンほど、日本人が口やかましく言及する食べ物はないかもしれない。しょうゆだ、とんこつだ、しおだ、札幌だ、長浜だ、和歌山だ(そういやまだ食ってないぞ、辻田くん)と、それこそ日本全国あちこちにいろんな味のラーメンがある。
どうも日本人は、殊に都会に住んでいる連中は、感性を並列化したがる傾向があるようで(まあその方が商品を売る側としては楽なのだが)、食べ物にもブームなどという訳のわからないものがある。ブームに乗って新しい味を知るのは多いに結構だが、自分の味覚というものをしっかり持った上での話なので、その辺はちゃんとしてもらいたいものだ。
長いので閑話休題(食べ物の話になると妙に毒っぽくなっていかん)。
8番らーめんを知ったのはもう記憶の遥か彼方だが、石川県を中心に北陸地方に展開しているチェーン店である。なぜ8番かというと、北陸に延びている国道8号線沿いに店を出したからだそうだ。
特長は、なんといっても麺の上に乗っている野菜である。キャベツ、タマネギ、もやしなどを炒めて、ともすると麺より多いくらいのボリュームでどかっと乗っている。チャンポンやタンメンの比ではない。シナチクも割とたっぷり入っている。それに、太麺である。細麺がラーメン業界の主流の中、8番はずっと太麺である。8番らーめんは、どちらかと言えば味わうより食べるラーメンである。8番ナルトは、具が減ってきたころにささっと食べよう。
私は、いつも塩バターを注文する。他のメニューも食べたいと思うのだが、何日も帰省しているわけではなく、せいぜい一、二度くらいしか食べられないので、どうも他を注文する気になれない。一年に一度しか食べないからうまいのか、白山山系の水がうまみを育むのか、ともかく、これだけ気に入ってしまうともう他のラーメンは食えない。唯一浮気したのは、天下一品くらいだ。
他のラーメンを食べるとき、8番らーめんは味の基準になるが、未だ超えるものは出てこない。それほど有名なラーメンではないので、うまいラーメンは他にもっとあるはずだが、たぶんこれからも出てこないだろう。それは、単純に味だけでは量れないうまみが、8番らーめんにはあるからなのだ。