お年玉付き年賀ハガキ

パソコン中心の生活になって、手紙やハガキの類はほとんどというか、一切出さなくなった。何かを送るときはもちろん郵便を使うが、近況報告はやはりメールだ。
年賀状も喪中になったのを切っ掛けに後出しさえしなくなった。毎年頂いている方には申し訳ない。そのうち全く来なくなるんだろう。
毎年、Sさんという方から年賀状を頂く。Sさんには誠に申し訳ないが、それほど親密な間柄でもないので全然出していない。にもかかわらず、十年以上ずっと頂いているのだ。今年も来た。もちろんこっちは出していない。
当選番号の発表があって、どうせ当たらないだろうと思いつつも一応確かめてみると、なんと3等が当たっていた。毎年4等くらいは当たるが、今年は家族全員合わせても当たりはこの3等だけである。
3等は、地域の特産品小包だ。郵便局でパンフレットみたいなのをもらってきて、うまそうな牛肉を選んで申し込む。ふと、年賀ハガキを見ると、それはSさんからの年賀状だった。
ありがとう、Sさん。肉はすき焼きにして食ったよ。来年も年賀状ちょうだいね。

ウインドブレーカーのにいちゃん

よく指をぽきぽき鳴らす人がいるが、私は手首がよく鳴る。ずっと鳴らせるくらいぽきぽき言う。たぶんマウスやキーボードを使うせいだろうが、ひどいときには折れるんじゃないかと思うくらいボキッと鳴ったりする。
それと最近、股関節に違和感を感じることがある。動かした拍子にぐきっとなってすっきりするのだが、そのすっきりさせ具合が今ひとつわからない。
先日、仕事場でエレベータに乗った。またなんとなく股関節に違和感があったので上半身を折り曲げたりして押さえていると、「どうしたんですか?」と乗り合わせたにいちゃんが声をかけてきた。
私はちょっと驚いて「いや、あのー、股関節がちょっと」とやや人見知り気味に答えると、そのにいちゃんは「こうするといいですよ」と腿を上げて片足立ちになって、その上げた腿をぐるぐる回し始めた。
私もそれに倣って足を上げてぐるぐる回した。「あ、外に回したほうがいいかな」と外に回したとき、ぐきっと関節が鳴った。
「おー」股関節の違和感はとれ、すっきりした。「ありがとうございますー」ちょうどエレベータが一階に着いた。「じゃ、お疲れ様でした」ウインドブレーカーのにいちゃんは、爽やかな笑顔で去っていった。
ありがとう、ウインドブレーカーのにいちゃん。君のお陰で、毎朝片腿上げてぐるぐる回してすっきりしてるよ。

PiTaPaでICOCA

実はまだ一度も使っていないPiTaPaカードだったりするが、21日にJR西日本エリアでも使えることになったので、JRに乗ってみようとした。
しかし、チャージのしかたが今ひとつわからず、結局現金で切符を買って帰ってきた。やはり予習をしないときついようだ。
PiTaPaでJR区間を乗り降りするには、ポストペイではなくICOCAのようにチャージが必要だ。自動販売機でチャージできるのだが、オートチャージという方法もある。これは、自動改札を通ったときに自動的に一定金額をチャージするというものだ。
申し込みのときに記入欄があるのだが、そんなことは知らないのでたぶんオートチャージしないにチェックしていたのだろう。これを変更するには駅へ行かなければならないので行ってきた。
ターミナル駅の案内所へ行ってその旨を伝える。目のパッチリした背の低い女性駅員さんだ。カウンター越しに首から下は見えないほど小柄な子だ。
カードを渡すと、申込書みたいな紙を渡され、会員番号と氏名と日付を書く。こんな生活をしていると今が平成何年とか今日が何日とかすぐに出てこないので、思わず聞いてしまった。
書き終わった用紙とカードを持って、駅員ちゃんがノートブックにデータを打ち込んでいる。下に機械があったので、たぶん端末だろう。ウインドウズの間の抜けたビープ音が何回か聞こえてきた。おいおい、データ拒否されてるんちゃうんかいな。
一応身分証持参の上となっているのだが、電話番号の下4桁でOKだった。持っていったのに。
しばらくすると、設定完了ということで、カードとオートチャージについての説明の紙をもらった。これで現金を一切持たなくても電車に乗れるぞ。
よく見たら南方系っぽい感じの駅員ちゃんに礼を言って出た。やっぱりちっちゃな子はいいねって何の話だっけな。

塩湯廃業

我が家は狭いので風呂がない。故に銭湯である。この辺は、京都の繁華街に近い割に古い小さい家が密集していて、半径100mに3つも銭湯があったりする。今日、そのうちの一つが廃業した。
いつも行っている銭湯ではなく、その銭湯が休みのときに行くところだが、小さいころからずっと通っている銭湯には違いない。
水曜日、いつも行っている銭湯は営業しているが、さすがに最後なので入りに行った。
銭湯へ行くということは、私にとって何ら特別なことではない。みなさんが家で風呂に入るように、私も銭湯へ行く。ごく普通で当たり前のことだ。
湯船に浸かり、身体を洗う。このお風呂屋さんはお湯が熱い。が、冬場はよく温まる。京都は今日も寒かった。
近所のおっちゃんが入ってきて、挨拶をする。「散髪したんか?」私はえへへと笑う。
脱衣場で濡れた身体を拭き、服を着る。「今日来てくれたんやね」番台のおばちゃんが声をかけてくれた。
脱衣かごを片付けて、洗面器を持って、ゴム草履を履く。「すんませんね、ありがとう」
私は、こみ上げるものをこらえて暖簾をくぐった。今日で、この銭湯は廃業になる。来週から、ちょっとだけ遠い銭湯に行くことになる。
潤んだ目に、冷たい西風が凍みた。

ホリエモン逮捕

ライブドアに特捜の手が入ったときから、最終目標は彼だろうということは誰の目にも明らかであった。その罪はいずれ司法の場で裁かれるだろう。
私は他人を信用しないので、彼について特別な感情はないし、味方でもなければ敵でもない。ただ、フジテレビの一件があったときに、ちょっとずるいなという印象はあった。
うちの父は大工である。夏の暑い日も、冬の寒い日も、汗水流して仕事をしている(はず)。そのせいかもしれないが、汗一つ流さずに机上だけで金儲けする連中は、ずるいと思う。
それに、彼には思慮の深さというものが垣間見えなかった。どこか浅はかな印象を受けたのだ。世界一の金持ち、野望、言葉は確かにわかりやすいが、即物的で観念に欠けているところが気になっていた。
偉い人というのは、どこかしらその人の考えていることが表ににじみ出ているものだ。彼には、それがなかった。少なくとも私にはそれは見えなかった。
彼に近い人間なら、それも見えたかもしれない。しかし、真のカリスマと呼ばれる人間は、どこにいてもその影響が及ぶものなのだ。
たぶん、いろんな意味で、いろんなところで、社会を構成しているパラダイムが変化している時なのだろう。そういう点では、やはり彼の存在はある程度評価できると思う。ただ、彼が偉人と呼ばれる日は来ないだろうが。

散髪してきた

だからなんやと言われればそれまでだが。
ぶっちゃけ、昔からあまり髪型にはこだわりがない。外出するときはいつも帽子を被っているし(ちゃんとあるぞw)、寝グセさえなけりゃええわ、ってな感じでいつもいる。
だから近所の散髪屋で済ます。生まれてからずっとそこだ。おっちゃんはもうおじいちゃんくらいになってしまった。そりゃそうだ、私ももうとっくにおっさんの域に入ってしまっている。
この散髪屋、おっちゃんが年取ったせいもあるだろうが、馴染みの客以外は入れないようになっている。あのくるくる看板は壊れているし、休んでいるときもけっこうある。とても一見が入れるような店ではない。
散髪屋だけは浮気できない。元が不精なので、あれこれ髪型をどうこう言うのもめんどくさいし、おっちゃんなら長さを言うだけでやってくれる。
まあ、おっちゃんが私より長生きすることはないと思うので、いつかは違う散髪屋で髪を切る日が来る。そんな日のことは考えたくないので、おっちゃんには長生きしてもらおう。

ビッグニュース続々

17日は大きなニュースがたくさんあった。
前日に東京地検の強制捜査を受けたライブドアは、株の売り注文が殺到、IT関連株もつられて下がり、平均株価を500円近く押し下げた。
特捜が証券取引法違反だけで動くことは考えられず、恐らくもっと大きな立件があるのだろう。堀江氏の野望は潰えたか。
そして、1月17日は阪神淡路大震災が起こった日である。今年で11年目を迎えた。もう11年も経った。あの日見た光景は、未だにはっきりと瞼に焼き付いている。
震災は、残念ながらこれで終わりではない。近い将来、同じような、あるいはもっと大きな地震が確実にやってくる。決して回避できない現実がある。あのときの教訓を活かせるのか、国家や組織だけでなく、国民一人一人が常に心がけなければならない。
大きな裁判が一つ、結審を迎えた。日本中を震撼させた連続幼女誘拐殺人事件、最高裁は被告側の上告を棄却し、宮崎勤被告の死刑が確定した。
あの事件は、日本の犯罪史において重要なターニングポイントであった。オタクという言葉が一般的に認知され、異常性愛者や精神異常者の犯罪が激増した。ちょっとでもおかしな事件があると、容疑者はすぐに精神鑑定にかけられた。
今の世の中、日本国民を精神鑑定にかければ、3000万人はひっかかるだろう。人を殺しても罪にならない刑事責任能力のない人間が、あなたと同じ道を歩き、同じ街で生活している恐怖を、おかしいと思わない世の中はやはりおかしいと言わざるを得ない。
国会では、昨年から大問題になっている耐震偽装疑惑の渦中人物、ヒューザー小嶋社長の証人喚問があった。私もテレビを観ていたが、小嶋氏は質問を受ける度に補佐人に相談し、挙句にその質問には答えられないの一点張りである。
再喚問は必至だろうが、もうこうなったらクビをくくるしかない。奇しくも、震災の日の喚問となったが、この極悪人には追悼の気持ちなどないのだろう。
この4つのニュース、これで終わりではない。これからどんどん展開していく。しばらく世間は荒れそうだ。あ、宮崎くん、君の命は終わりだからね。