夏布団

雨が降って涼しい日もあるが、そこはやはり夏、寝苦しい熱帯夜が続いている。みなさんは、夏場の掛け布団はどうしているだろうか。何も掛けない人もいるだろうし、タオルケットなんかも多いと思う。
私もずっとタオルケットだったが、お盆に母方の田舎へ帰省したときに、薄手の軽い布団で寝ることがあって、それが非常に気持ちよかった。
それから数年、おかんを口説き落としてようやく今夏から導入である。980円、安い。
夏布団は何を置いても手触りである。私が気に入っているのはざらっとしたエンボス調の加工がしてあるもの。田舎で使っていたものと同じである。
梅雨明けもたぶんもうすぐ、夏本番に備えてみなさんも一つ。

カメさんその後

カメは日光浴が重要である。晴れた日はできるだけ屋外でひなたぼっこさせてやりたい。ケース越しやガラス越しでは無意味だそうで、なるべく直射日光がいいそうだ。高温になりすぎてもいけないので日よけもいる。
そんなこんなで、その日も小さなケースに移して、ダンボールで作った日よけをおいて、ケースの蓋を開けたまま放置プレイしておいた。
外出から帰ってくると、カメさんは脱走していた。
ケースの中に置いた日よけの上にうまい具合に乗って、そのまま脱走だ。しまった。辺りを探すが見当たらない。
かくして、妹夫婦に行く予定だったスッポンがケージに納まった。
スッポンは水底にもぐる習性があるようで、砂利の中からクビだけ出している。こうして見るとなかなかかわいい奴だ。
大きくなったら鍋にしてやるか。

今日の買い物

雨が止んだ隙をついて出かけた。7月にしては涼しいが、歩くとやっぱり汗は出る。
今、仕事場でヒマなときに写真を撮っている。学生アルバイトの女の子が多くて、青春の思い出にいっちょ噛みしてやろうという親心というか、オヤジ心だ。
と思ったら、立て続けに二人も辞めることになって、もう少し早く撮ってやればよかったなと思う。
で、写真を持ち歩くのに何に入れていこうかと、鞄の中で折れてはいけないし、手ごろなケースかファイルのようなものはないだろうか。
とりあえず無印に行く。ついでにコルクボードなんかも欲しいな。
ファイルの辺りを物色していると、仕切りファイルというのを見つけた。A6サイズでブリーフケースのような感じで、中がいくつにも仕切られている。なんとゴム留めだ。
写真もハガキも入るちょうどいいサイズ。他によさそうなものが見当たらないというか、これでばっちりのような気がして買う。
コルクボードは裏打ちされているものが欲しくて、ロフトまで足を伸ばした。文房具フロアの隅のほうで発見。あったあった。あまり大きいのもジャマになるのでA4サイズを買う。ピンはなんでもよかったが、寒色系の色使いが多い職場なので暖色系をチョイスした。
彼女たち喜んでくれるといいのだが、一番楽しんでいるのは私だったりするのだ。

集中豪雨の思い出

梅雨末期の豪雨で各地で被害が出ている。私の住んでいるところは水害とはあまり縁がないが、独り暮らしをしていたときに一度大変な目に遭った。
仕事に向かうために朝早く目を覚ました。外を通る車の音がなんかおかしいなとは思っていたが、別段気に留めることなく支度をして部屋を出た。
階段を下りて外に出ると、辺り一面水浸しだったのだ。アスファルトはほとんど見えず、道が川になっていた。
行くしかどうしようもないので、そのまま出かけた。なんとか濡れないようにしようとしたが、先へ行くほどそれは絶望的で、私は覚悟を決めた。
人間一度覚悟を決めると、自分の置かれている状況を楽しもうとするらしい。私はじゃばじゃばと川になった道を歩いていった。
かなり広範囲まで浸水しており、深いところでは膝の下まで浸水していた。駅まで1キロ半ほどあるのだが、私の家から半径500mくらいは川のようになっていた。
濡れてぐちゃぐちゃになった靴のまま、神戸まで仕事に行った。
深刻な被害はなかったものの、自然災害の恐ろしさを体感した貴重な経験となった。
まだまだ雨は続くので、引き続き厳重な警戒を。

暑いねえ

このクソ暑い日に、スーツを着て仕事をすることのなんと非効率なことよ。
身なりさえきちっとしていれば、強姦魔でも連続殺人鬼でも同じ扱いである。理不尽この上ない。
しかし、人は見かけで判断するしかない。いかにもおかしな格好をしている奴は、やはりおかしい奴だったりするのだ。
全て太陽のせいにして、私は貝になろう。
あー暑。

運の悪い日

朝、昨日買ってきたパンを食べる。コロネという生クリームが入った菓子パンだ。クリームが見えているほうを一口かじる。
にょるっとクリームがはみだして落ちかける。手がクリームでべたべたになる。パンの隙間からもはみ出る。収拾がつかない。
仕事にいく。今日は昼までで終わる。スタッフの女の子たちとぺちゃくちゃ喋る。発注にミス。場所が違う。慌てて準備しなおす。
晩飯はカレー。食べ終わって、ガムが食べたくなる。仕事の行きがけに確かスポドリと一緒に・・・袋から出すのを忘れ、飲み干したペットボトルを入れて捨てたのを思い出す。
ま、こんな日もある。

量刑基準

光市母子殺害事件で最高裁は、二審判決を破棄して高裁に審理を差し戻した。つまり、無期懲役では物足らん、死刑にしろ、ということである。
日本国民全員にアンケートをとったとして、今回の決定に異を唱える者は弁護士と本人くらいだろう。そのくらい、被害者のみならず我々のはらわたは煮えくり返っているのだ。
量刑基準という言葉がある。人を何人殺せば死刑とか、裁判というものはとかく基準をつくりたがる。判例主義と揶揄される日本の司法の汚点でもある。
どこかの情報番組で、この最高裁判決は主観的だという意見があった。裁判の判決では珍しいそうだ。もっと客観的で明確な基準が欲しいと言っていた。それは今後の判例になり、同様の事件に対して適応されるのだろう。
だが、判例に縛られる判決より、個々の事件を主観的見地から判断して量刑を下すほうが、とかく無視されがちの被害者心情を酌みいれる点ではいいと思う。
そういう意味では、今回の判決に司法の心情みたいなものを垣間見た気がする。
数年後、裁判員制度がスタートする。我々もこそ泥から大量殺人まで、自分の判断で量刑を下す時がくる。
我々のような素人に、客観的な判断はできない。主観的な判断しか下せないだろう。それでいいと思う。裁判員の主観的判断を集めて、裁判官が最終的な量刑を決めてくれればいい。
そのためには、司法の場が率先して人を裁くということを我々に示すべきなのである。故に、今回の決定は実に参考にすべきものであると、私は思う。