みか散歩:御影まで

何をやってもうまくいかない日はある。今日がそうだ。
今までなら一年に一度あるかないかの失敗を、今年は既に何度もしている。
職場環境が変わったと言い訳するのは簡単だが、それではプロとしてのプライドが許さない。
そんな一銭にもならんプライド捨ててまえ、という声もなく、そうだ、散歩行こう。
御影まで歩くというのは、そこまで歩かないと阪急の料金区分が変わらないからだ。遠いな。
2号線をぶらぶらと、まずはジョーシンへ買い物へ。
東遊園地前の横断歩道は押ボタンだったのか。道理で全然青にならないと思ったら。押ボタンなら点滅しといてくれよな。
買い物を済ませ、そのまま2号線沿いに歩く。
やっぱり神戸はきれいなおねえさんが多いな。それも一人で歩いているおねえさんが多い。
生田川の大きな交差点を渡り、そろそろ阪急沿いに進みたいので適当に北へ。
神戸で北に進むということは、自動的に上り坂になる。地味にきつい。
ぷらぷら歩いていると、やたら万国旗のたなびく通りが見えた。商店街の匂いだ。曲がる。
そのまま進むと、大安亭市場という錆びたアーケードが見えた。ここはチェックしてなかったところだ。早速突入。
なかなか賑やかな商店街だ。人通りも多い。
JRと阪急を越えてもまだ少しアーケードがある。こっちのほうはあまり店がなかった。
北上をやめて東進する。広い道に戻らず、そのまま細い道を歩く。
しばらくすると、通りの向こうに人だかりが、どうやらもちつきをやっている。きなこのついたおもちがうまそうだ。
そのまま道なりに歩いていくと、またアーケードが見えた。大日商店街だ。
ここは残念ながら空き店舗が多かった。
気を取り直して阪急沿いに進む。事前調査で、王子公園辺りからアーケードの延びるかなり大きな商店街があったので目指す。
駅前から、大きな通りの一筋北を歩く。
もう既に人通りが多く、遠くにアーケードの入り口も見える。水道橋商店街だ。
かなり立派な商店街だ。もちろん人通りも多い。
目を皿のようにして、ポテサラと安い果物を探しまくる。
枝分かれしているアーケードの一つに入ると、灘中央市場という看板が見えた。これはたぶん、中に入るとたくさんの店があるパターンだ。
案の定、ずらっと生鮮、活魚、惣菜などの店が軒を連ねている。
かなり深くまで枝分かれしていて、回るのが大変だ。
とりあえずここで一つポテサラを買う。
そこを抜けて別のアーケードへ出ると、また同じような市場があったので突入。
こちらはあまり店が少なくて残念だが、だいぶ奥深くまで続いていた。
そこを抜けると、本体のアーケードはすっかり途切れてしまっていた。また来るか。
大きな通りに戻って、御影駅を目指す。
石屋川の堤防の階段が辛くなってきた。もうそろそろ引き上げ時か。
建物に御影の名前が見えてきたのでもうすぐだろう。
通り沿いにライフがあれば駅前だ。あった。
ちょっと行き過ぎて北へ。この坂がきつい。電車も見えたのでもう一息。
大阪方面なので向こう側へわざわざ回ったのに、改札で回数券が弾かれた。
また戻って駅員のいる改札を通るが、また弾かれた。どうもエラーが出ているようだ。
今日は一日こんな日なのだ。
京都に着いて、回数券の不足分の精算をする。
御影から乗ってきたことをすっかり忘れ、行きの精算時と同じ金額を入れてしまい、10円玉が大量に出てきてしまった。
最後までこんな日なのだ。明日があるさ。

みか散歩:神戸ふたたび

海風が冷たい。次からはコートを着てこよう。
桟橋をぐるっと囲むように防潮堤ができていた。今年の震災のあとにできたのだろうか。
寒いので足早にモザイクに入る。
ゲーセンまだあるがな。
空中通路を渡って神戸阪急へ向かう。3月でとうとう閉館だ。これでハーバーランド街開き時に入っていたテナントは全滅になるのかな。
地下でポテサラを買って、そのままフロアを抜ける。昔はよく通ったコースだ。
エスカレーターで上がり、プロメナへ入る。
もうダイソーはないのか。本屋もない。
なんか温泉ホテルみたいなのが幅を利かせている。
地下へ降りて、駅前の地下街へ。この辺は人通りあるのになあ。
神戸駅へ上がり、手前を線路沿いに歩く。ビエント神戸は閉館したてだ。ここはリニューアルするらしい。どこもかしこも潰れるなあ。
そのまま線路沿いに行くと高架下商店街の入り口になる。
正月なので閉まっている店もあるが、ここはほとんど変わってない。
風除けにちょうどいい。そのまま抜けていく。
元町からセンター街へ。センタープラザにちょっと用がある。
おお、まだあったぞアクセルワーク。隣のエアガンショップもある。こういや高架下の店も残ってたな。
というか、いつの間にかここは日本橋もびっくりのオタクショップだらけになってるぞ。
ドスパラもこんなところに。しかしここにも閉店の張り紙を掲げた店がある。
センタープラザはだいぶホビー系の店が集まっているようだ。また今度回ってみよう。
ジョーシンへ寄りたかったが寒いので帰る。

銭湯難民に救世主

正月は近所の銭湯が軒並み休む。
二日三日風呂に入れないのは毎年のことだ。
別に風呂好きなわけではないが、冬はとくに脂っぽくなるのですっきりしたい。
初詣の帰り、たまたまいつも通らない道を通ったところ、開いている銭湯があった。
充分歩いて行ける距離だが、湯冷めは確実な遠さだ。
しかし、背に腹は代えられない。外出する装備で出かけてみた。
銭湯に限らず、見知らぬところや初めて行くところは、不安よりも楽しみのほうが多い。
わくわくしながら中に入ると、ほぼ貸切状態じゃないか。
辺りを見回しながら、いつものように身体を洗う。
脱衣所の張り紙を見ると、もうこの日から通常営業だ。
来年からここは要チェックだな。
近いとは言え、行って帰って一時間弱。ま、今日も行くけど。

記録を残すということ

とある番組で、神社に保管してある祭りの様子を記した昔の巻物が紹介されていた。
数メートルはあろうかというその巻物には、祭りの行列の様子が事細かに描かれていた。
続いて宮司さんが紹介したのは、同じような巻物だったが、今度は現代の祭りの様子が描かれていた。
そこには、警備員さんがいたり、車があったりと、ちょっと違和感があって興味深かった。
そこで、宮司さんの言葉にはっとした。
昔に書かれた巻物は、確かに現代に残っていて、後世に歴史を伝えている。
今、様々な記録媒体があるが、果たして、百年二百年、確実に記録を残せるものがあるだろうか。
フロッピーディスク、カセットテープ、ミニディスク、8mmビデオ、VHSビデオ、物は残っても、再生装置がない限りそれは記録を残したことにはならない。
巻物のようなアナログ装置が、実は後世に記録を残す上で最も有効な手段というのはどこか皮肉な話だ。
今、ネット上に様々な情報が記録されているが、果たして残す意味のある情報はあるのだろうか。

2011年

今年は本当に公私共にいろいろあった一年だった。
直接被災はしていないが、東日本大震災は日本史に残る大災害だった。いや、過去形ではない、まだ続いている。
不甲斐ない政府与党、進まぬ復興支援。問題は山積みだ。
私事では、後厄に相応しく、まず義理の祖母が亡くなった。そして妹の別居、出戻り。母の自転車事故で頭部外傷(忘れてたw)、父親の入院の付き添いに、昼夜逆転すること一週間。実はこれが一番きつかった。
後厄ながら、自分自身の厄災は、元旦に雪ですっ転んだことくらいだった。私以外の家族全員が何かしらやらかしているのだ。
厄災ではないが、年末に危うく仕事を失いかけた。なんとか首はつながり、職場が再び神戸に戻った。これは嬉しい出来事だ。
ただ、これで仕事が増えるかどうかがまだ未知数である。
フェイスブックのゲームにはまり、たくさんのゲーム仲間ができたことも嬉しい出来事の一つだ。
若いときほどゲームに熱中できず、すぐに飽きてしまう中、CityVilleだけは初めて越年することになる。みなさん来年もよろしくw
大きな病気こそなかったものの、細かいのはいろいろとある。口内炎に悩まされたり、リンパ腺が腫れたり、今月はしつこい風邪に悩まされたり、実は若干まだ体調が完璧に回復していない。
とはいえ95%くらいなのだが、なんか嫌な感じだ。
今年で全部膿みを出し切って、来年につなげたいと思う。
よいお年を。

GUN誌休刊

某掲示板サイトで知った。
道理で最近本屋で見かけないと思っていたが。
ほとんど雑誌を読まない私が、唯一本屋で立ち読みをする雑誌だ。
その名の通り、銃を扱う雑誌である。
エアガンももちろんあるが、メインは実銃だ。
日本では実銃を手にするどころか実際に見ることもできないので、こういう雑誌からの情報は非常に貴重である。
この雑誌が主催した映像コンテストの第一回目で、私は佳作をいただいた。まだ大学にいたころだ。
思えば、初めて雑誌に名前が載ったのがGUNだった。
一応休刊という形をとっているが、まあ復刊はあまり期待できないだろう。
コンバットマガジンは見る気しねえなあ。

※発売元の国際出版においては、今月5日に事業を停止した模様。なお、ホビージャパン誌から同様の内容を持つ雑誌が創刊されるとの噂あり。