正月は近所の銭湯が軒並み休む。
二日三日風呂に入れないのは毎年のことだ。
別に風呂好きなわけではないが、冬はとくに脂っぽくなるのですっきりしたい。
初詣の帰り、たまたまいつも通らない道を通ったところ、開いている銭湯があった。
充分歩いて行ける距離だが、湯冷めは確実な遠さだ。
しかし、背に腹は代えられない。外出する装備で出かけてみた。
銭湯に限らず、見知らぬところや初めて行くところは、不安よりも楽しみのほうが多い。
わくわくしながら中に入ると、ほぼ貸切状態じゃないか。
辺りを見回しながら、いつものように身体を洗う。
脱衣所の張り紙を見ると、もうこの日から通常営業だ。
来年からここは要チェックだな。
近いとは言え、行って帰って一時間弱。ま、今日も行くけど。
カテゴリー: 雑記
記録を残すということ
とある番組で、神社に保管してある祭りの様子を記した昔の巻物が紹介されていた。
数メートルはあろうかというその巻物には、祭りの行列の様子が事細かに描かれていた。
続いて宮司さんが紹介したのは、同じような巻物だったが、今度は現代の祭りの様子が描かれていた。
そこには、警備員さんがいたり、車があったりと、ちょっと違和感があって興味深かった。
そこで、宮司さんの言葉にはっとした。
昔に書かれた巻物は、確かに現代に残っていて、後世に歴史を伝えている。
今、様々な記録媒体があるが、果たして、百年二百年、確実に記録を残せるものがあるだろうか。
フロッピーディスク、カセットテープ、ミニディスク、8mmビデオ、VHSビデオ、物は残っても、再生装置がない限りそれは記録を残したことにはならない。
巻物のようなアナログ装置が、実は後世に記録を残す上で最も有効な手段というのはどこか皮肉な話だ。
今、ネット上に様々な情報が記録されているが、果たして残す意味のある情報はあるのだろうか。
2011年
今年は本当に公私共にいろいろあった一年だった。
直接被災はしていないが、東日本大震災は日本史に残る大災害だった。いや、過去形ではない、まだ続いている。
不甲斐ない政府与党、進まぬ復興支援。問題は山積みだ。
私事では、後厄に相応しく、まず義理の祖母が亡くなった。そして妹の別居、出戻り。母の自転車事故で頭部外傷(忘れてたw)、父親の入院の付き添いに、昼夜逆転すること一週間。実はこれが一番きつかった。
後厄ながら、自分自身の厄災は、元旦に雪ですっ転んだことくらいだった。私以外の家族全員が何かしらやらかしているのだ。
厄災ではないが、年末に危うく仕事を失いかけた。なんとか首はつながり、職場が再び神戸に戻った。これは嬉しい出来事だ。
ただ、これで仕事が増えるかどうかがまだ未知数である。
フェイスブックのゲームにはまり、たくさんのゲーム仲間ができたことも嬉しい出来事の一つだ。
若いときほどゲームに熱中できず、すぐに飽きてしまう中、CityVilleだけは初めて越年することになる。みなさん来年もよろしくw
大きな病気こそなかったものの、細かいのはいろいろとある。口内炎に悩まされたり、リンパ腺が腫れたり、今月はしつこい風邪に悩まされたり、実は若干まだ体調が完璧に回復していない。
とはいえ95%くらいなのだが、なんか嫌な感じだ。
今年で全部膿みを出し切って、来年につなげたいと思う。
よいお年を。
GUN誌休刊
某掲示板サイトで知った。
道理で最近本屋で見かけないと思っていたが。
ほとんど雑誌を読まない私が、唯一本屋で立ち読みをする雑誌だ。
その名の通り、銃を扱う雑誌である。
エアガンももちろんあるが、メインは実銃だ。
日本では実銃を手にするどころか実際に見ることもできないので、こういう雑誌からの情報は非常に貴重である。
この雑誌が主催した映像コンテストの第一回目で、私は佳作をいただいた。まだ大学にいたころだ。
思えば、初めて雑誌に名前が載ったのがGUNだった。
一応休刊という形をとっているが、まあ復刊はあまり期待できないだろう。
コンバットマガジンは見る気しねえなあ。
※発売元の国際出版においては、今月5日に事業を停止した模様。なお、ホビージャパン誌から同様の内容を持つ雑誌が創刊されるとの噂あり。
ただいま神戸
四年ぶりの神戸は寒かった。
ずっと空き地だったところに大きなビルが建ち、旧ホテルシェレナ跡はまだ片付いていなかった。
変わっているようで、変わっていなかった。
留守にしていた四年間は、あっという間に圧縮されてまるでなかったような感じだ。
またうろうろするんでよろしく。
なんか写真撮りゃよかったな。
前を向いて歩こう
大阪でやっている仕事があるのだが、今日、その機材を撤去するという連絡を受けた。
つまり、大阪での仕事がなくなるということだ。
その代わりというか、今度からまた神戸で仕事をすることになった。
抱えていた問題の最良の解決策ではないが、最悪でもない。むしろ次点といった感じだ。
正直、今のところ嬉しさのほうが勝っている。
大阪の仕事が続いても先細りは目に見えていたし、となると他へ移ったほうが得だろう。
私に一切の決定権はなく掌で転がされているだけなので、今回の決定はうまく事が運んだほうだと思う。
思えば92年から震災を経て、07年までずっと神戸で仕事をしていたわけで、まさかもう一度神戸に戻れるとは夢にも思っていなかった。
待ってろよ神戸。オレは帰るぞ!
