PSPvsDS

年末のゲーム戦争は既に口火が切られている。今年はドラクエというキラーソフトの発売に加え、各社から新型ハードが発売される。プレイステーションポータブル(以下PSP)とNintendoDS(以下DS)だ。両方ともいわゆる携帯ゲーム機である。
私は、DSの優位性を感じている。ゲームボーイアドバンスの上位互換という点や価格もPSPより安い。しかし、最も注目すべき点はインターフェイスである。
タッチスクリーンを採用し、今までと全く違った遊び方ができるのである。DSのソフトに関しては、タッチスクリーン機能を使用するという前提で開発されたものがほとんどである。十字キーやボタンではできなかった細かい操作も可能になり、それはゲームの奥行きを広げるものである。
しかし、ハードの優位性、CPUがどうの、解像度がどうのというより、まずは面白いソフトありきである。そうなるとPS陣営が有利に思えてくるが、既にPSやPS2でプレイしているゲームを、わざわざ新しいハードを買ってまでプレイするユーザーが果たしてどのくらいいるだろうか。
その点、DSの新しいインターフェイスは、今までどこにも存在していなかったゲームがプレイできる。これはDSの存在意義を深め、購買意欲につながる強力な武器になる。
コンシューマーハードでは、任天堂は敗れ去った。しかし携帯ゲーム機は、任天堂の牙城と言ってもいいだろう。家庭用ゲームはPS、携帯ゲームは任天堂、といった住み分けが、近い将来起こり得ると、私は感じている。

MTJ #12

「1999 Secret Object」聖飢魔II
プロモーションに訪れたレコード会社の関係者が、聖飢魔IIのステージを観てぶっ飛ぶ。文字通りぶっ飛ぶ。ブラックというかシュールというか、今から考えると、オウムと同時期だったらかなりやばかったかも知れない。今はもう時代が寛容なので。解散するときにほんまに会場爆破くらいやってくれると思ったけどなあ。

「Limited Night」Zero Spectre
尊敬するドラマー(別にやってるわけじゃないが)池畑潤二がルースターズ解散後に結成したバンド。ヴォーカルがちょっとスカしててやな感じだったが、そこそこ頑張ってた。この曲はドラマ仕立てで面白い。女性を三股かけてる男にヴォーカルが扮し、どたばたやったあとに女三人から撃たれる。ノリのいい曲もいい。

「All My Dreams」The Jadoes
コミックバンドを欠片も感じさせない曲。ジャドーズにはある意味不必要な爽やかさが、ふんだんに詰まった一曲。しっとりじみじみと聴かせてくれる。笑いどころ一切なし。果たしていいのか悪いのか?

「All Night All Right」Rollie
90年代ももうすぐというときに、オールディーズを引きずっていたバンド。しかし、この曲はノリノリでかなり好きである。滅多にいかないカラオケで見つけたときには思わず歌ってしまった。ツインヴォーカルも新鮮。

「さいざんすマンボ」トニー谷
この曲あたりからリミックスが流行り始めた。コンピュータの発達で技術的に簡単になってきたのだろう。もちろん映像はトニー谷の映画からコラージュ。確かCDシングルもこのあたりから。プロデュースは大瀧詠一ざんす。

火事

23日午後5時半ごろ、私の家の前を消防車がサイレンを鳴らして通り過ぎ、すぐに停まった。そこには消火栓があるので、近所が火事に違いないと、私はPCの電源を落として窓を開けて辺りを見回した。
煙らしきものは見当たらないので外に出てみると、家の近くに停まった消防車から、北へホースが伸ばされていた。相変わらず煙や炎は見えない。町内から一斉に人が飛び出し、心配そうに様子を窺う。
どうやら台所からのボヤらしく、通行人が発見して消火しながら119番に電話したそうだ。おかげで大事には至らず、無事夕食の時間となった。
これから寒い季節になる。ストーブなどの暖房器具を使う機会も多くなる。皆さんもくれぐれも火事には注意していただきたい。

北斗の拳

この作品のために、我が家にビデオデッキの導入を急かしたのは事実である。まだハイファイが高級機だったころの話だ。テレビコードギリギリで破裂する敵の様子をぜひコマ送りで見たかったのだ。しかし、よくもこんな作品をゴールデンタイムに放送していたものだ。今なら不可能に違いない。
確か当時、スプラッターホラーのブームが来ていたような気がする。内蔵飛び散るあれである。まさか北斗の拳がそのブームに乗ったわけではないだろうが、相手を殴って倒すのではなく、秘孔を突いて内部から破壊するという発想は素晴らしい。リアル志向で勧善懲悪ものが減っていた時代、これだけ完膚なきまでに悪を倒すケンシロウの姿は勇ましかった。
作画も東映動画だけあって常にハイレベルに保たれ、見やすい作品になっている。加えて、神谷明の起用は他に選択肢がないほどピッタリであった。この作品は彼の代表作の一つにもなっただろう。
199X年はとっくに過ぎたが、今なお沸々とどこかで噂を聞く、北斗の拳である。あたぁーっ。

重戦機エルガイム

全国のアニメファンがその一挙手一投足に注目していた富野由悠季。ダンバインの不甲斐ないラストを受けたのか、エルガイムでは主導権を永野護に譲った。彼の世界観が存分に発揮され、富野色はかなり薄められた。
ずんぐりむっくりのメカとキャラに慣れていた我々は、永野の創り出す流麗なメカニックや個性的なキャラクターに翻弄され、また虜にさせられた。中世ヨーロッパのエッセンスが漂うその世界観は、エルガイムならではのものである。
その斬新なメカニック故、スポンサーのうけはあまり良くなかったように思うが、それほど影響はなかった。それもそのはず、このエルガイムの後には、あのビッグタイトルが潜んでいたのだ。だから黙っていたのだろうか。
劇中に登場するメカ、ヘビーメタルが使用する、背丈程もある射撃兵器バスターランチャーは、後に他のいろいろ作品でも登場するほどの人気となった。リアルロボットと謳っておきながら、こんな取り回しにくい兵器などナンセンスなのだが。

京一会館

名画座と呼ばれた劇場が駆逐されている。京都も中規模の劇場が相次いで閉館し、シネコンに生まれ変わった。私は映画を必ず一人で観に行くので、シネコンの騒々しい雰囲気は嫌いである。指定席制も大きなお世話だ。観たい映画があっても、シネコンへは観に行かない。もっとも、子供やカップルがうようよいる映画は観ないが。
しかし、やはり京都というところは、映画産業で発展したところもあって、まだまだ映画館も多く、名画座も少なくはなったが残っている。
高校生の頃、足しげく通った映画館があった。京都の北の方、裏通りの商店街のようなところにあった、京一会館である。二本立て、三本立ての映画を、一週間単位で上映していた。なにより料金が安い。会員になれば、たった500円で二本も三本も映画が観られるのである。バイトもしていない高校生にとっては実にお買い得である。
名画のスチールが貼られた階段を上っていくと、こぢんまりしたロビーにチラシやポスターの類いが置いてある。お世辞にもきれいな劇場ではなかった。中に一足踏み入れると、足の裏がねちゃっとしたりする。名画座とはいえ、月の半分は成人映画がかかっていたためでもある。だからスケジュールを間違えるととんでもないことになるのだ。
実は満席になったのを見たことがない。恐らく200人くらいは入ると思うが、隣に誰か座ることはまずなかった。20人くらいいると、今日は人多いなあという感じである。だからこそ、どっぷりの映画の世界に浸れたわけである。
私はこの劇場で、映画の知識のほとんどを吸収したと言ってもいい。小津安二郎、溝口健二、大島渚、寺山修司、ヒッチコック、エイゼンシュテイン、タルコフスキー。寺山修司の二本立てなどはかなりヤバかった。よくハマらなかったと思う。朝から夕方まで、それこそ映画三昧の休日であった。
昭和63年4月、京一会館は惜しまれながら閉館した。私が芸大へ進めたのも、京一会館があったからこそであった。わずか数年ではあったが、京一会館で過ごした日々は、大切な思い出である。
まぼろし映画館・京一会館博覧会
http://homepage2.nifty.com/bkbn/hakurankai.html

蒼き流星SPTレイズナー

サンライズのリアルロボットものは、この作品で一応の区切りをつける。テレビアニメというコンテンツが限界に来ていたのだ。時代はオリジナルビデオアニメ、OVAへとその主流を移していく。
毎週その回のセリフを挟むオープニングは、スタッフ内では不評だったらしい。つまり、お金がかかるのだ。しかし、ファンには好評であった。作り手と受け手の温度差はかなり開いていた。
ネタばれになるが、ロアンの裏切りの寝返りは、最後の最後までハラハラさせてくれた。たぶん寝返って味方に戻ることはわかっていたが、ぎりぎりまでやっぱりだめなのかと思わせてしまう演出は素晴らしい。
ボトムズで育ったメカニック系の作画もかなりパワフルである。あのスカルガンナーとの戦闘シーンは秀逸であった。この作品は谷口守泰作監なので、メカのいい日はキャラが悪い、なんてことはなかった。
この作品も打ち切りの影響で話がまとまらず、物語の結末はそのOVAに委ねることになる。