THE PLAN9

既に関西ではコアな人気を博しているプラン9。コントだけかと思ったら、どうも漫才も本腰を入れてやっているようだ。かつて、電車道という4人漫才がいたが、5人は恐らく史上初めてであろう。
プラン9は、メンバー全員がコンビ解散を経験している。おーい!久馬(シェイクダウン)、鈴木つかさ(シンドバッド)、浅越ゴエ(デモしかし)、灘儀武(スミス夫人)、ヤナギブソン(君と僕)。夢を捨てきれない芸人達の吹きだまり、と言ったら失礼だろうか。
コントでは既に定評を得ているプラン9だが、5人漫才となるといろいろと問題点や課題も出てくる。先日、「松紳」でネタを披露したとき、紳介師匠が開口一番「スピード感がない」と言った。松本さんは「5人でやる必要性を問う」と言った。さすがはお笑い界のゼウスとアポロンである。
プラン9は漫才をするとき、ツッコミ1人、ボケ4人という体制になる。センターにツッコミがいて、両サイドに2人ずつ、それぞれのボケにツッコむのだが、漫才といっても所詮は会話である。複数が同時に喋れるわけもなく、どうしても3人あぶれてしまう。そこがスピード感の喪失につながっているのである。
紳介師匠は、それをレースのピット作業になぞらえた。ピット作業は、マシンに触れることのできるクルーが3人(恐らく鈴鹿8耐の場合だろう)までと限られている。ピットクルーは7、8人いるが、実際の作業は3人しかできない。が、まるで全員が一斉に作業しているように見えるという。
つまり、喋れるのは2人だけだが、それを全員が喋っているように見えるスピード感が欲しい、ということなのだろう。
しかし、ここで私はふと思った。もし舞台上で5人がそのようなスピードで漫才をすると、たぶん客はついてこれないのではないかと。
5人は舞台上で横一列に並ぶ。すると客は、5人の動きに注意しなければならない。全員視界には入るだろうが、一人一人の動きを全て把握するのは無理だろう。そうすると、客の見ていないところでネタが進む可能性があり、これは非常に危険である。
ピット作業は、タイヤ交換を見ていて給油が見えなくても構わないが、漫才のネタはそうはいかない。右に気を取られている間に、左のフリが見えなくて真ん中のオチがわからなかった、では漫才として成立しない。
たぶん、メンバーもテンポの悪さは実感していると思うが、テンポを上げれば客にわかりにくくなる、客にわかるようにすればテンポが鈍る。そうまでして5人でやる必要があるかといえば、確かに疑問が残る。
現状では、ネタはよく練られていて非常に優れており、5人である必要性を感じさせるものとなっているが、絶対的な必要性があるかといえば、そうでもない。しかしそれはプラン9が5人だから5人漫才、という有無を言わさぬ存在価値を見いだせれば、それはそれで彼らの勝利である。
5人漫才という未知の領域に踏み込んだプラン9。やっぱりあかんわ、と得意のコントに逃げても私は寛容するが、できればこの未知の領域を制覇して、新たな金字塔を打ち立ててもらいたい。期待している。