なんか、そうらしい。
今日生まれた赤ちゃんには、証明書を発行するとかしないとか。まあ記念が一つ増えていいかもしれない。
国別の人口は、1位が中国、2位がインド、3位がアメリカだ。
そのうちインドが中国を抜くらしい。一人っ子政策の影響だ。中国は日本より数段厳しい少子高齢化社会が待っている。
増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって。。。みたいな時代がいずれやってくるのだろうか。
もうこれ以上地球の資源を食いつぶすわけにもいかない。
自然の摂理が人類にもあてはまるなら、やがて大きな淘汰が訪れるのだろう。
そういえば、マヤ歴が地球の滅亡とかなんとかいう話はどうなったんだ???
カテゴリー: 政治・社会
一番愚かなのは人間
まだまだ、この国は平和ボケしているようだ。
三菱重工という軍事も扱う企業だけでなく、衆議院議員のPCもウイルスに感染していたとは。
セキュリティ意識はおろか、ツールを扱う基本もなってない。
怪しいリンクをクリックしない、ファイルを開かない、データを家に持ち帰らない、基本中の基本である。
同じ事象に警官の誤射事件がある。これもツールを扱う基本ができてない。
なぜ、拳銃の点検中にトリガーに指がかかっているのか。撃つ時以外はトリガーに指をかけないという、いろはの「い」が理解できていない。
バカである。バカが拳銃を持っているわけだ。
拳銃やPCは悪くない。悪いのは、それを扱う人間だ。
そんなバカな人間どもは、一度痛い目をみないとわからないだろう。
己の足でもぶち抜きゃいいのに。
焦点を合わせるということ
姪と散歩するようになって、公園の存在に気を付けるようになった。
子供というのは、とかく公園好きなのだろうか、放っておけば一日中遊んでいる。
家の近くにも、そういう公園がけっこうあることに気付いた。
そこにあるというのは知っていたが、地理的情報として処理しているだけで、生活の役には立たなかった。
焦点を合わせないと気付かないことが、この世にはヤマほどある。
バリアフリーだってそうだ。
以前PCが壊れたときに、診てもらおうとキャリーバッグに詰めて出かけていった。
当然階段は使えないのでエレベータを使うわけだが、最寄の駅のどこにエレベータがあるのか全くわからない。
いつもならすんなり行ける道も一苦労だ。
いろんな人がいろんなところに焦点を合わせることによって、世の中がうまく動いているのだろう。
自分に必要なことだけ、真っ直ぐ前だけ向いて歩くのもいいが、たまにはよそ見をするのも必要なのかもしれない。
東京の人は学習しないのかね
台風15号は東日本を縦断して駆け抜けていった。
夕方の帰宅時に首都圏を直撃し、各ターミナルは帰宅難民でごった返した。
ん?半年前くらいに見たことあるぞ。
しかしあの時は地震で仕方ないとして、今度のは台風で何日も前に予測していたはずだ。
東京に住んでいる人は天気予報を見ないのだろうか。
電車が停まる可能性があることは容易に予想できたはずだ。
夜のニュースは、ターミナルで烏合の衆のごとく群れている人々を延々と映していた。
なんとなく滑稽に見えたのは正直な感想だ。
インタビューを聴いていると、早く終業したにも関わらず駅に着いたときにはもう電車が停まっていたという話もあった。
台風はそんなにすぐにはやってこないので(来たけど)、もうちょっと電鉄側も我慢して間引き運転でもすればよかったのに。
とにかく、東京には人が多過ぎるということだ。
あれだけたくさんの人がいれば、ちょっと何かがおかしくなっただけで全部がおかしくなってしまう。
死に損ないの都知事がまたおかしな条例を作ろうとしているので、その前に都民自身でなんとかしてくれ。
緊張の夏、日本の夏
関東、東北のみなさんはきっと辛い夏になることだろう。
節電することはやぶさかではないが、それで体調を崩したら本末転倒だ。
大きな節電は企業に任せて、家庭はこまめに照明を消すとか、エアコンのタイマーを一時間短くするとか、その程度でいいのではないだろうか。
確かに原発の安全神話は崩れたが、かといって全ての原発がただちに危険だという論理は少しおかしい。
代替エネルギーの開発や研究を進め、原発廃止の方向に進めた上で、産業活動に影響が出ないレベルでの再稼働は認めるべきだと思う。
イデオロギーや一時の感情で決められる問題ではないのだ。
いずれにせよ、今年の夏はこの国にとって厳しい夏になるだろう。今年だけならいいのだが。
関電の言いなりになるのは癪に障るが
節電は別に悪いことではない。省エネは未来永劫必要だと思うし、エネルギーのムダ使いはよくない。
私が小さい頃、化石エネルギーは資源に限りがあるので省エネしようという風潮は確かにあったと思う。
それが原子力発電の台頭により、あまり聞かれなくなったような気がする。
原発推進も、そんな理由が一つにあったのかもしれない。
原発の安全神話(まあそんなものは端からないのだが)が崩れた今、原発にエネルギーを頼るわけにはいかない。
関電が電気が足りないから節電を要請し、それが原発ありきの論調から出ているものだとしても、我々も節電ということを真剣に考えてみてもいいのではないだろうか。
原発がなくても夏を乗り切れるということを、関電に知らしめてやってもいいのではないだろうか。
原発があってもなくても、どれだけ政府が無能でも、ムダ使いというのは何事においてもよくないと思うのだが。
菅内閣不信任案否決
もはや茶番である。
野党が提出した内閣不信任案は、結局大差で否決した。
小沢グループ、鳩山グループが反旗を翻したかに見えたが、賛成票を投じた与党議員はごく僅かだった。
これを茶番と言わずしてなんと言おう。
政局に混乱を招いた野党、ひいては、与党内に混乱をきたした小沢代表以下の責任は重い。
しかしこの議決が、現内閣の信任に結びつくわけではない。
国民の間でも不信任感は確かにあるわけで、近いうちに菅内閣は何らかのケジメをつけることが必要になるだろう。
まったく、近年こんなに政治家が愚かだと思ったことはない。復興への道のりが、また遠くなった気がする。