祇園で暴走車、死者8名

桜の写真をあちこちで撮りまくった帰り道、家の方向の上空で消防ヘリがホバリングをしていた。
消防車のサイレンは聞こえなかったし、おかんが燃えてるわけはないなと帰宅すると、事故のニュースだ。
祇園で車が暴走して、多数の死傷者が出ていると。
大和大路と言えば、私もよく歩く場所だ。四条なら、今頃は花見の観光客で人通りも多いだろう。
運転手は暴走した挙句電柱に激突して死亡。他にも車にはねられた人が多数亡くなっている。
私がこれまでネットで調べた事故の状況はこうだ。
まず、大和大路四条の南で、当該車とタクシーが追突事故を起こした。
タクシーの運転手に追いかけられたのかは定かではないが、当該車はその後現場から逃走を図って北上する。
そして赤信号の四条通に差し掛かってもそのまま歩行者を跳ね飛ばして突っ切り、最終的にハンドル操作を誤って電柱に激突。当該車は大破、運転手は死亡した。
報道では当該車の運転手はてんかん発作の持病を持っていたというが、その発症は定かではない。
その証拠に、当該車がクラクションを鳴らして交差点を突っ切ったという情報もあるのだ。
もし発作を起こしていたとするなら、直線ではない大和大路をそのまま走行できるはずもなく、途中で建物にぶつかるかして停まるはずだ。
しかも、当該車は最後に、タクシーを避けて電柱にぶつかっている。
これは、最後まで意識はあったと考えても差し支えないだろう。
てんかん発作の有無はともかく、運転手はそのことを会社には隠していたようで、てんかん患者に対する風当たりが強くなることは避けられない。
推測だが、その最初の事故が発作が原因で、てんかんを隠していることがばれるのを恐れて逃げ出した結果、7人もの何の関係もない人々の命を奪ってしまった。
原因がなんであれ、誰もが悲しくいたたまれないことになったことだけは確かだ。
現場近くの白川沿いは、桜並木になっている。散り始めた桜吹雪が、せめてもの供養になればと思う。

注意と指導

ちょっと気になるウェブニュースがあった。
何かと話題の橋下大阪市長、その大阪市職員の今年の新人を目の前にして、国歌斉唱のときは気をつけの姿勢でと、厳重注意した、とあった。
私はこの様子を映像を見ていたが、「厳重注意」という状況とは全く違い、国歌斉唱のときは気をつけの姿勢で歌いましょう、といった感じの、「指導」であった。
「厳重注意」といった文言を使う場合は、間違っていることを正す意味で使われることが多い。
だがこの場合は、新人に教えている感じで、決して注意という状況ではなかった。
なんかこう、橋下氏を快く思わないライターが、貶めて書いたような記事だ。
厳重注意したとあれば、またあの独裁市長がめちゃくちゃやっているのか、という印象を読者に与えかねない。
実際は違うのに関わらずだ。
こういう風な世論誘導が、今のマスゴミに往々にしてあるということを、頭の片隅に置いてもらいたい。

これね
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120402-00000532-san-pol

政党政治の限界点

個人的には、消費税増税はやぶさかではない。
納得できないのは、そのやり方だ。
マニフェストを守れとは言わない。守れない事柄があったとしても、その努力は認めよう。
しかし、マニフェストに書いてないことを、与党が命を賭けてやり抜くとはどういうことなのか。
我々は、自民党政治に不信を抱いてNOを突きつけて、民主党を選んだ。
だがその民主党は、その政治不信を更に増大させて、消費税増税を目論んでいる。
もはや、政党政治の限界に達したと言わざるを得ない。
民主党に票を入れた我々にも責任はある。このまま国民に対して、消費税増税の筋を通さないというなら、我々にも考えがある。
幸福実現党に投票して、この国を破壊する。

ほんとに衛星だったりして

こんな国はさっさと核で叩いたほうが世界のためなのだが、まあそういうわけにもいくまい。
4月に衛星を打ち上げるとかで、北朝鮮のキムなんとかさんが例のごとく息巻いている。
しかし、前とは違い、今回は黄海から南へ、周辺国に配慮した打ち上げになっている。
日本でも一応政府はやや過剰気味に、沖縄や首都圏にパトリオットを配備し、いざというときは破壊命令を出すとこちらも息巻いてらっしゃる。
まあ、いい練習にもなるし、国内外に国防体制はちゃんとやってますよというアピールにはなる。
実際問題、弾頭ならまだしも、ロケットの破片を撃ち落すとなると、日本の装備と能力ではいささか眉唾だ。
さて、北朝鮮が衛星だと言い張るミサイルだが、本当に衛星の可能性はないのだろうか。
衛星の写真を公開でもすれば決定的だろうが、それがないところをみるとやはりミサイルなのだろう。
せっかくアメリカの支援を取り付けたこの時期に、なぜこのような無謀なことをするのだろうか。
あれこれ考えるより、ピョンヤンにおっきい爆弾を落としたほうがすっきりしていいかもしれない。

あれから一年

まだあの妙な感覚を憶えている。
鴨川の河川敷を歩いていた私は、着地した足が揺さぶられるような気がした。
地に付けた足がぐーっと左右に引っ張られる。
周りは別段変わった様子もないので、とうとう身体にガタがきたかと帰宅しておかんの第一声。慌ててテレビをつける。
あれからもう一年が過ぎた。
阪神のとき、人間生きていて一度はこんな酷い震災に遭うのかと思っていたら、四半世紀も経たぬうちに二度までも。
この一年でわかったことは、この国は地震が多いということ。そんな国に原子力発電は性に合わないということ。
政治は何もしないということ。政治家は無能な連中のほうが多いということ。
しかし、日本人はまだまだ捨てたもんじゃないということ。
行方不明者の一刻も早い発見と、一日も早い被災地の復興を、通り一遍の言葉で申し訳ないが、心からお祈り申し上げる。

2012/1/17

あの大震災が霞むほどの大災害を、まさか生きているうちに二度味わうとは思わなかった。
比べるものではないが、阪神淡路大震災が地獄なら、東日本大震災はもう形容する言葉がない。
しかし前の震災で、人々はいろんなことを学び、それが今回の大震災に活かされたと私は思う。
地震と津波は、日本人が常に直面している災害だ。それを一時たりとも忘れることなく、恐らく近いうちにやってくるであろう、次の大震災に備えなければならない。
いくら時間が経とうとも、今日という日は忘れてはならない。

17年逃げてみたい

特別指名手配中だった元オウム真理教の平田信容疑者が警察に出頭したのは、今年最初の大きなニュースだった。
1995年から17年。彼はずっと身を潜めていたわけだ。
95年といえば、私が小説を書き始めたころだ。守口のマンションで独り暮らしを謳歌していた。
それから17年というのはやはり長い。
17年、平均寿命まで生きたとして人生の5分の1だ。
女性信者と一緒だったらしいが、どんな生活をしていたのか、ワイドショー好きの主婦でなくても興味深い。
17年逃げてみたいとタイトルを打ったが、やっぱり嫌だ。
堂々と逃げずに表へ出たい。
いやいや、何も悪いことはしてないぞw