維新の会と太陽の党が合流

ある意味、一番恐れていた出来事が起こってしまったが、今の政治状況で選挙を戦うには、これがやむを得ない選択なのかもしれない。
政策の違う二党が合流したことで、野合という批判は多い。
この際各党が掲げている個々の政策には目を瞑り、政権を握ったときに、物事を決められる政党かどうかを判断してみてはどうだろう。
政治に期待することが無意味だということは、民主党が教えてくれた。
政治家は国民を欺くということを大前提にしても、民主党のように何も決められない政治では話にならない。
日本維新の会は、威勢こそいいが所詮は素人集団だ。素人に政治を任せれば、また民主党の二の舞である。
個人的にはあまり歓迎しないが、太陽の党と合流することで、1+1が3くらいにはなったのではないだろうか。
私の理想としては、自民党が第一党になって、維新がキャスティングボートを握れる位置になればと思っている。
車をモデルチェンジするときも、大抵は前の意匠を残しておくものだ。
民主党はあまりにかけ離れすぎた。程々に古い政治のいいところを残し、新しい血を入れて少しずつ前に進めばいい。
街はもうクリスマスのイルミネーションが煌く。一ヵ月後など、あっという間なのだ。

さらば民主党

消極的な選択だったとはいえ、前回の選挙で民主党に投票したのは、失敗だった。
だがそれは結果論であって、大飯原発再稼働と同じく、違う選択肢だったら違う結果になっていたのかというと、決してそうではないだろう。
もはや政党政治は終わった。マニフェストも無意味だ。次の選挙は、党ではなく、個人を見極める力が有権者に必要になるだろう。
難しい選挙になる。
衆議院解散が決まって、泥舟から逃げ出すネズミのように民主党から離れていく議員がいる。
誰がそんな奴に投票するだろうか。
もう誰がやっても同じだという意見は多い。しかしここで諦めては、本当にこの国は沈没してしまう。
そのためには、決して後戻りしないという断固たる決意が必要なのだ。
私はこの国をどうしたいのだろうか。それを実現するためには、誰に政治を任せればいいのか。
国民一人一人がそのことをよく考えて、来月の投票に赴いていただきたい。
棄権するなら、この国から出て行け。

やはり一味違う田中真紀子

恐らく世論としては暴走大臣田中真紀子のレッテルを貼りたいのだろう。そのほうが彼女のキャラクターがわかりやすい。
しかし、大臣はちゃんと制度のおかしな点を指摘して問題提起をした。これは評価すべきだと私は思う。
確かに、政府の認可が出てすぐに大学が開校するということは、認可が下りるという前提で物事が動いているに他ならない。
これはおかしい。
大学間の競争を促す橋下市長のような意見もあるが、切磋琢磨した結果大学が潰れてしまっては、それはそれでまた悲劇を招く。
少子化で学生が減っているのは動かしようのない事実だ。しかし大学だけはどんどん増えている。
少ないパイの奪い合いがどういう結果をもたらすか。田中大臣はその問題に一石を投じたわけである。
政治家としての資質に問題があるかもしれない。しかし、今のうのうと政権の座にあぐらをかいている連中と比べれば、よっぽどマシである。
残り少ない民主党政権、まあせいぜいがんばっていただきたい。

死刑台のエレベーター再び

またシンドラー社のエレベーターで死者が出た。
結局前の教訓は生かされず、何も変わっていないということなのだろう。
明日からまた、エレベーターに乗るときは製造元のプレートを確かめなければならない。
シンドラー社が悪いと言うのは簡単だ。改修には莫大な費用がかかるらしい。何かもっといい方法はないだろうか。
主な対策としてブレーキを二重にするというのが挙げられているが、故障する可能性のあるブレーキをもう一つ付けたところで、二つとも故障する可能性がないわけではない。
例えば、扉が開いたときに、物理的にカゴが動くのを抑制する何かを取り付けられないだろうか。
フックとかストッパーのようなもので、外に引っ掛けてカゴの動きを止めるのだ。
電気的装置に対するフェイルセーフは、電気的装置以外のほうが理想的である。
シンドラー社には何も期待していないので、どこか他のエレベーター会社の偉い人、なんとかいい知恵を出し合って、二度とこんな悲劇が起こらないようにしていただきたい。

石原都知事辞職、国政へ

80のじいさんに期待しないといけないほど、この国は腐り切ってしまった。
与党はだらだらと政権にしがみつくのがやっとで、何もしない。
左傾化して軟弱になった日本を引き戻す意味で、私もある程度は期待したい。
しかし日本維新の会との連携はちょっと危惧している。
もし維新の会が石原新党と連携すれば、今まで薄っすらとしか見えていなかった維新の会の右左という意味での思想体系が表立ってしまう。
思想が表立ってしまっては、選挙に不利に働きかねない。
国民よ、民主党に投票した失敗は忘れろ。
失敗は正せばいい。
もはやマニフェストが完璧に形骸化した次の選挙、国に命を賭けている候補者を見抜くのだ。
さもなくば、この国は滅びる。
中国人に支配されるのが嫌なら、その手で政治を変えるのだ。
立てよ国民。ジークジオン。

綻びだした人権派メディア

朝日新聞と橋下大阪市長の対決は、朝日新聞の全面敗北といったところだろうか。
朝日新聞といえば、日本で有数の人権派、左翼、リベラルと評されるメディアである。
その天下の朝日新聞が、仇敵である右翼の代表(みたいに思ってる)を糾弾するために、部落差別を引き合いに出すとは、呆れて物が言えない。
その前に、朝日新聞出版の刊行物に対して、朝日新聞に責任はないという某記者の言い分は詭弁以外の何物でもない。では私も、明日からサイト名を朝日新聞みかつうとでもしようか。そのくらいのレベルである。
結局、差別はだめだとか、人権を守ろうとか、声高に叫んでいる連中の本性は、こんなもんである。
そういう連中ほど、それらの問題に対して本気で考えていないのだ。
もちろん、一般論として差別はだめであり、人権は守らないといけない。
しかしそれ以上でもそれ以下でもなく、思想を貫くために何をしてもいいという考えは危険極まりない。
それが今の朝日新聞である。
橋下市長は、朝日新聞に自浄を求めているが、思想に凝り固まった連中が一番苦手としているのがその自浄である。
日本という国は、意外とこの人権派メディアが力を持っている。
それは日本人の性格というのもあるが、やはり人権と言われると手も口も出ないのが正直なところだろう。
しかし、それはアンタッチャブルであっては決していけない。
本来なら、こういった人権や差別の問題に一歩踏み入った上で、自分の意見や考えをも持たなければならないのだが、そういう言葉に怖気づくのをいいことに、人権派メディアはやりたい放題を繰り返してきた。
もう、それは許されるべきことではないと、国民も気付く時にきているのではないだろうか。
人権派メディアの綻びが大きくなったその結果、彼らの自浄作用が促されれば幸いなのだが。

あるジャーナリストの死

内戦状態のシリアで、日本人ジャーナリストが殉職した。
正直、シリアという国を知らない人も多いと思うし、その国が内戦状態にあって、毎日多数の死傷者が出ていることを知らない人も多いと思う。
私も、なんとなく報道されている程度のことは知っていたが、別段気にかけることはなく、今の日本には他に気にかけることが山ほどある。
しかし、戦争をしている国で日本人が一人死んだ、というだけにしておくには、やはり余りにも悲し過ぎるではないか。
彼女の死をきっかけに、今シリアで起きていること、世界で起こっていることに、少しでも目を向けることができたら。
彼女がその命を賭けて我々に伝えたかったことは何だったのか。それが少しでもわかれば。
人が殺しあうことが日常である戦争状態においては、彼女も毎日のように死んでいく誰かと同じかもしれない。
争いを続けている当事者に、少しでもこの哀しみの気持ちが伝われば。