2002年のM-1で決勝に出てきたとき、はっきりいってノーマークだった。名前さえ知らなかった。大阪人は、見たことのない芸人については厳しい。評価はマイナスから始まるのだ。しかし、笑い飯は違った。それはすぐにプラスになり、及第点をあっさり超えて、あっという間に最高評価に到達した。
笑い飯を語るとき、まずそのスタイルに注目が集まる。漫才は基本的にボケとツッコミという役割分担をすることによってネタを運んでいくが、笑い飯は互いの立場を固定せず、ボケとツッコミを繰り返し続けるという特異なスタイルである。
オール阪神巨人ややすきよなども、たまにボケとツッコミが替わるときがあるが、それは一時的なネタの流れに過ぎず、笑い飯のように常に入れ替わるスタイルは、恐らく過去にも例がないと思う。しかし、笑い飯の漫才はスタイルから始まったわけではないだろう。あのネタありきで、あのスタイルになっただと思う。
ツカミこそ普通の漫才のように始まるが、場が温まった頃合いを計って交互にポジションを替え、ネタが進むごとにそれはスピードを増す。まさにツインエンジン漫才である。何気なくやっているようで、間の取り方やネタの運び方などには細心の注意が払われ、そして何より、ほんの僅かでも噛んだりすると、あのネタは終わりである。スピーディなネタには、確実な喋りが不可欠なのである。
学業成績は優秀な二人だが、見た目には一切それを感じさせない。だが、何も考えていないような風貌に騙されてはいけない。彼らの頭の中では、凄まじいスピードで笑いという名のターボチャージャーが唸りを上げているのだから。
今年のM-1は、ほぼ間違いない。
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東京進出
大阪で売れてきた芸人がよく口にする言葉である。明石家さんま、ダウンタウン、ナインティナイン、まさに大活躍である。東京で一旗揚げようという、その意気込みはよくわかる。しかし、少し立ち止まって考えて欲しい。彼らが、東京へ行って失った物があることを。
東京へ進出した芸人は、確かにテレビによく出ている。そこで、彼らはどんな仕事をしているのだろうか。番組の司会である。そこに、芸の場はない。己の芸を生かすことはできるだろうが、ネタを見せて笑いを取っているのではない。
それは、芸人としてどうだろうか。
東京進出で金儲けはできるだろうが、己の芸が未熟であれば、ただのタレントに成り下がってしまうのだ。そうまでして、東京へ出る意味があるのだろうか。
東京は野球でいうメジャーに例えられる。大阪芸人は、いくら腕があっても東京ではルーキーである。しかし、東京にメジャーに例えるほどの笑いがあるだろうか。むしろ笑いに関して言えば、大阪のほうがメジャーである。東京はただ、情報発信の中心であり、人口が多いだけなのである。笑いを知らない、流行に流されやすい客の前で、己の芸が向上するはずがない。東京で芸を潰してきた芸人は、決して少なくないはずだ。
芸人の本分は、舞台に立ち、客の前でネタを披露して笑いをとる。多少シチュエーションは変わっても、ネタで笑いをとるのが芸人の本分ではないのだろうか。
ようやく最近、ゴングショー形式も含めてネタ見せができる番組が増えてきた。大阪を出て、東京へ行くのは構わない。が、どこへ出ようとも、ネタで勝負して欲しい。キャラクターやルックスではなく、ネタで勝負して欲しい。
特に、千原兄弟とハリガネロック。東京のクソみたいな芸人に負けてるぞ。何をしとんねん。もっと頑張らんかい。
「面白い」は褒め言葉
例えば、芸人の漫才やコントを観たとする。あなたは何と言うだろうか。きっと、面白いと言うだろう。しかし、この「面白い」という言葉は、関東と関西(というより、関西以外と関西)で大きく解釈が異なることをご存知だろうか。
芸人の舞台を見て「面白いねえ」と言うのは至極当たり前である。面白いんだから面白い。面白いから笑う。全くもって当然である。しかし、関西では違う。関西で言う「面白い(おもろい)」は感想ではなく、褒め言葉になるのだ。
実は、関西人はこの言葉を滅多に使わない。普通の人が面白がるレベルでは、「まあええんちゃう」であって、関西人が「おもろい」と言うときは、芸人のレベルが相当高い時である。例えば、ダウンタウンが久しぶりに漫才っぽいトークをしたときや、やすきよの漫才がテレビで流れたとき、「やっぱおもろいなー」と関西人はテレビの前で腕組みをするのである。しかも、その顔は笑っていない。むしろ顰めっ面だ。
このことは、関西人が全員、芸人のような気持ちでいることの現れである。関西人が「おもろい」と言うときは、「こいつらには勝たれへん」という(当たり前じゃ)賞賛と尊敬の念が込められているのである。
東京の芸人が、大阪の舞台は怖いとよく言う。当たり前である。客は笑いに来ているのではない。芸人が自分たちよりどれだけ面白いか、それを確かめに来ているのだから。
ヒロシ
ピンは難しい。ギャラは分けなくても済むが、板の上では一人しかいない。ネタを間違えても誰もフォローしてくれないし、誰も突っ込んではくれない。
何が難しいのか、それは間である。漫才は、呼吸やテンポさえあっていれば、ある程度喋りでごまかすことができる。だが一人ではそうはいかない。間の取り方を一つ間違えば、ネタふりやオチ運びが全て台無しになる。
その間の取り方がうまいと思う芸人は二人いる。マギー審司とヒロシだ。マギー審司の間は絶妙である。本来マジシャンに間などいらないが、あの間の取り方は関西芸人も見習うべきだ。
ヒロシは、いわゆる独白一行ネタ型のピン芸人である。実は最も危険な芸だ。過去に何人も沈んでいる。つぶやきシロー然り、ふかわりょう然り。
方言を使っているところはつぶやきシローのようだが、訛り具合はやや浅い。ネタは恐ろしく自虐的で愚痴に近いが、伏目がちで絶対にカメラや客席を見ず、しかも泣きそうな顔で終始演ずるので、客はネタに集中できる。加えて元ホストというルックスのよさが、余計に哀れみを誘う。
終始伏目がちという彼のスタイルが、絶妙な間を取らせた要因でもある。客と目線を合わせないということは、客は必然的に演者に集中する。彼が次に何を言うのか、客は期待する。ここでの次のネタへの間は重要である。どのネタで盛り上げるかという計算も必要だし、一つ一つのネタの受け具合で、間も変えていかなければならない。
喋りネタのピン芸人は厳しい。イラストや小物に逃げるピン芸人が跋扈する中で、久々に出てきた本格派ではないだろうか。
青木さやか
久々に現れた、ヒール(悪役)の女性芸人である。女性芸人で、ピンで、ヒールというポジションは、過去にもなかなかいない。
テレビでは女子アナを標的にしているところをよく見かけるが、彼女もなまじ声がいいだけに、その様子は迫力がある。
今後、おそらくネタ見せよりもそういった女子アナいじめみたいなポジションでバラエティに使われるだろう。かなり強烈な毒を吐くので、インパクトもあっていいのではないだろうか。
実際のところ、私も彼女のテレビ的なポジションを忘れて腹が立つこともあるのだ。まあ、それだけ彼女のロールプレイが優れているということだが、私生活に影響が出るので心配である。ヤバイ連中にいじめられないようにね。
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