夢を諦めた芸人達

継続は力なりと言うのは容易い。しかし、そこにはいろんな事情もあるだろう。みんな最後には笑いたかったはずだ。惜しまれたかどうかは知らないが少なくとも私はそう思った、今は無きお笑い芸人達を書き留めておく。

ジャリズム
NSC10期生の渡辺鐘(あつむ)と山下栄緑(しげのり)が、91年に組んだコンビ。コントをメインに、渡辺の癖のあるボケキャラを山下が鋭く突っ込む。
ダウンタウン後の2丁目を千原兄弟とともに引っ張っていったが、98年に解散。渡辺は構成作家として活躍、山下はダウンタウン松本の舎弟に転がり込む。今年、コンビを復活したそうだが、昔のキレはなかった。バカドールシアターは必見の価値あり(メディア化求む)。

ぴのっきお
チャンバラトリオの山根伸介を師匠に持つ新井正浩(タコ)と、いかりや長介に弟子入りしたことがある清水共一(清水)が、88年に組んだコンビ。しゃべくり漫才が基本だが、ネタ後半にショートコントを挟む。このショートコントが秀逸。清水のラジカルなボケが鋭く、若手芸人にも人気があった。
残念ながら2000年に解散、清水はその後吉本新喜劇に入って活動している。

みのなが
NSC11期生の美濃昌樹と長岡大祐(ゆうすけ)が92年に組んだコンビ。しゃべくり漫才の王道を歩み、将来はオール阪神巨人クラスにも成り得る実力派だったが、2000年に突然解散。二人とも引退した。確かに花はなかったが、漫才の腕はあっただけに惜しい解散である。


NSC10期生の遠藤敬と宇野誠が91年に組んだコンビ。2丁目劇場を中心に、宇野のシュールで不敵なキャラと遠藤の緻密なネタで人気を博した。だがコンビ仲の悪さは公然の秘密で(実際オンエアにもバンバン乗った)、それが災いして97年に解散した。宇野は引退、遠藤は作家として活躍している。

スミス夫人
NSC8期生の灘儀武と松村博司が89年に組んだコンビ。松村の強烈でアクの強いキャラと、灘儀のやたらテンションの高いツッコミで舞台を狂わせ惑わせた。松村のキャラはハンパではない。トークでもあまり地を出さず、ある種不気味な存在でもあった。ということはあれが地なのか。
01年に解散、灘儀はTHE PLAN9として活躍中。

プラスチックゴーゴー
NSC10期生の南郷和幸と蓮見正雄が91年に組んだコンビ。若さに任せたスピーディな秒殺ショートコントがよかった。勢いに乗っていくかと思われたが、97年に解散した。
蓮見は現在作家として、南郷は南郷伯爵としてピンで活動中。

しましまんず
記事を書こうと思ったらまだ解散してないようだ。お詫びに藤井さんの公式サイトを(FLASH必見)。
http://www.nocturne-jp.com/fujii_teruo/

夢を諦めたとはいえ、作家に転向する者も多く、やはりお笑いを捨てきれないのだろう。そう、一度芸人を目指したからには、カタギには戻れないのだ。

史上最悪のお笑い番組「エンタの神様」がヤフーのニュースにあったので

捨て置こうとも思ったが、少し触れておく。以下、記事。

プロデューサーに聞く「エンタの神様」好調の秘密
若手お笑い芸人ブームといわれるなか長井秀和(34)、はなわ(28)、青木さやか(31)、友近(31)らが育った日本テレビ系「エンタの神様」(土曜午後10時)が好調だ。プロデューサーで、数々のヒット番組を送り出してきた五味一男氏(48)に舞台裏を聞いた。
「投稿!特報王国」「マジカル頭脳パワー!!」などのヒットバラエティーで知られる五味氏が手がけ、昨年4月にスタートした「エンタ…」。当初は歌+芸のコンセプトだったが、その後、毎回約10組の芸人が登場し、次々とネタを披露するだけの形態に。これが土曜夜の激戦区で平均視聴率15%という人気ぶり。
まさに芸人のネタが勝負の番組だけに、出演者の選考も真剣。五味氏は毎回、お笑いライブなどのテープ100-300本をチェック。目についた芸人も約半年育ててから出演させるという。
この間、「選んだ芸人にただ時間を与えてネタをやらせるだけということはしない。全国区で分かりやすい笑いになるように、一緒に笑いを作っていく」と、登竜門ならではのマンツーマン。
また、「コンビの場合は、メジャーでないと『どこの2人が話してるんだ?』と視聴者も感情移入できないが、“ピン(一人)芸人”はメッセージを送る相手(客)が明確で、見る方も“ツッコミ視線”で見られるから」と、ピン芸人が多いのも特徴で、ブームを後押ししている。
現在、番組では“ギター侍”こと波田陽区(29)がイチ押しだが、五味氏は「今後、新しいスタイルのお笑いもお見せできるでしょう」と次なる芸人の発掘、ブレークにも自信を見せた。
(夕刊フジ) – 8月21日13時4分更新

という記事である。
まず訂正。友近はこの番組で育っていない。友近を育てたのはバッファロー吾郎である。それに、テレビで芸人は育たない。芸人を育てるのは舞台であり、客である。
さて、「エンタの神様」が高視聴率なのは、番組の内容以外に裏番組の影響もある。TBS系は「ブロードキャスター」、フジ系は映画、テレ朝は「土曜ワイド劇場」と、二時間ぶち抜きものが二つもある。それに若者の見る番組がない。土曜の夜とはいえ、遊びに行く若者ばかりではない。家でテレビを見ているのもいるだろう。加えて、前の番組はジャニーズ系やハロプロ系のタレントが出ているドラマがある。ぶら下がり効果は絶大だ。そこに、「エンタの神様」はうまく付け込んだ。
”芸人のネタが勝負”とあるが、テロップで邪魔(援護か?)している限りはネタで勝負とは言えない。ネタで勝負するならテロップをやめよ。それとも、テロップもネタの一つか。五味氏の芸人選びはプロデューサーとして当然の仕事である。別段書き立てることでもない。
”全国区で分かりやすい笑い”と来たか。まさに東京キー局の考えそうなことだ。あいつらは、全国に同じような人間が住んでると思ってる。これこそ私が危惧している感性の画一化である。服や色に流行があるのも、そのほうが作りやすいし売りやすいからである。送り手の都合のいいように事は運ぶようになっている。一億総白痴化は、相当進んでいるようだ。
次のセリフが一番引っかかった。
「コンビの場合は、メジャーでないと『どこの2人が話してるんだ?』と視聴者も感情移入できないが、“ピン(一人)芸人”はメッセージを送る相手(客)が明確で、見る方も“ツッコミ視線”で見られるから」
視聴者のみなさん、バカにされてますよ。どっちが喋ってるかわからんやろってさ。つまりこれは、同じ無名で腕のない芸人なら、コンビよりピンのほうが扱いやすい、ということである。とても本気でお笑い芸人を育てているようには思えない。ピン芸人なら、なぜ落語をしない。落語はまさに客と1対1だ。落語では数字は取れんか。明らかにテレビ用の芸人を生産しようとしている番組の姿勢が窺える。いっそ、視聴率を重視して何が悪い、と開き直って欲しい。
批判記事を書き始めて、スタッフの考えを知りたいと思っていたのだが、タイミングよくこの記事を見つけた。しかし、番組をろくに見ないで批判するのもなんなので、来週あたり我慢してちゃんと見てみようと思う。最後まで見通せるか自信はないが、他の番組では見かけないギター侍も見てみたい。
じゃ、また来週(笑

史上最悪のお笑い番組「エンタの神様」 その2

いろいろとネットで調べていると、大半が批判的な記事であった。にもかかわらず、放送は続く。なぜか。視聴率がいいからである。
私が憤慨しているのはテロップであり、ネタぶち切りであって、出ている若手芸人には一切の非はない。彼らはむしろ被害者だ。ああいうネタ見せ番組は彼らのために必要であるが、それはオンエアバトルのように切磋琢磨の場でなければならない。
ではなぜテロップがだめなのか。
テレビは実に便利である。野球も観られるし、オリンピックも観られる。もちろん、現地で観戦するに越したことはないが、それほどみんなヒマじゃないしお金もない。
こんな話がある。念願叶って初めて野球の試合を球場で観た人が、何か物足りないことに気づいた。そう、実況である。球場に実況は流れない。歓声とバットにボールが当たる音が響くだけだ。ずっとテレビばかり観ていたせいで、本物の良さが感じられないのだ。
エンタの神様の視聴者層は、局が想定していたよりずっと若く、ほとんどが十代である。テロップでガチガチに演出されたお笑いを観て育った視聴者が、実際に舞台でお笑いを観てどう思うだろうか。
「テロップがない」
若く腕のない芸人で視聴率を取ろうとすれば、そのままネタを流していては到底無理である。芸人のためにネタを繰り、テロップでフォローし、継続した出演で露出度を高める。
つまり、若手芸人を芸人としてでなく、視聴率のための一部品として扱っているのだ。オンエアバトルでオンエアされなかった芸人のネタを、おもしろおかしく演出して流すような、エンタの神様がやっていることは、まさにそういうことである。
ネタを面白くしてやっている、放送してやっている、出演させてやっている。芸人を芸人として扱わない、このテレビの傲慢さに私は憤慨している。スタッフやスポンサーも含めてだ。
そこに前回言及した、お笑いに対するスタンスが関係してくる。日常からお笑いに接している関西人は、お笑いに対して厳しい反面、芸人を尊敬している。もしエンタの神様のスタッフに関西人がいたら、遺伝子が拒否するはずである。
確か東京にも、落語や漫才などで大師匠がおられたはずだ。芸能や大衆文化に対する畏敬の念は、それほど薄かったのか。それとも、やはり君たち都会人は、感性や個性を持ち合わせない烏合の衆なのか。
レベルの低いテレビ向けのお笑い芸人を養成し、自分達のいい様に使い回し、挙句の果てに使い捨てる。かつて、野球を知らない人々に巨人軍を押し付けたように、笑いを知らない人々に稚拙な笑いを押し付けているのが、エンタの神様である。
番組が改善、あるいは終了するまで、批判は続けていく。我々は真摯に危機感を持たなければならない。

お笑いと芝居

お笑い芸人といえども、人を笑わすことばかりがスキルではない。芝居のスキルもかなり重要になってくる。得てして、お笑い芸人でも役者紛いの芝居をする連中はたくさんいる。大阪の芸人が芸に厚いのも、ベースにしっかりとした芝居や演技のスキルが叩き込まれているからである。
漫才はまだしも、コントは完全に芝居である。新喜劇も、ちゃんとした芝居の上に、ギャグやおかしみをペーストしている。まず芝居ができて、それから笑いである。返して言えば、芝居心のない芸人は、いくら精進しても大成しない。
雨上がり決死隊の宮迫がNHKの大河ドラマに出るという話を聞いたとき、そこそこ芝居もできるから選ばれても不思議ではないな、という感覚で捉えていたところ、なんと彼の役どころは主役と堂々と絡んで立ち振る舞う、とても重要な役だったのだ。これにはさすがに私も驚いた。その後、彼は数々のドラマや映画に出演し、俳優としての才能も開花させている。
もちろん、中には芝居が不得手の芸人もいるが、それはそれで構わない。お笑いに特化してスキルを伸ばすのも芸人としては重要だ。しかし、自分の芸を広げていく上では、やはり芝居や演技は無視できないだろう。それは、才能でなく、努力でどうにかなるものなので、精進すれば笑いの神とも戦える日がきっとやってくるだろう。
「舞台は戦場や」明石家さんま

若手お笑い芸人の冠番組タイトル予想

ゴールデンはさすがに難しいが、深夜枠ならちょっと売れてきた芸人でも冠番組(自分の名前が付いた番組)が持てるようになってきた。ちょっと予想してみた。

ヒロシ・・・「ヒロシです」
これはもうそのまんま。人見知りがひどいらしいのでトークは無理かな。

ブラックマヨネーズ・・・「ブラマヨサラダ」
朝とかにやってたらクレーム間違いなし。

ドランクドラゴン・・・「酔龍伝説」
ココリコの黄金伝説みたいな。しかしいつからココリコは自分達の手を汚さなくなったのだろう。

青木さやか・・・「青木さやかの何よ!」
実はうちのブログ、青木さやかで検索して来てる人が圧倒的に多い。ろくな記事なくてごめんね。

インパルス・・・「ごきげん!インパルス」
特に深い意味なし。語呂だけ。

マギー審司・・・「マギーにおまかせ!」
外ロケでぶらぶらさせても面白いかも。

笑い飯・・・「笑い飯定食」
こういうストレートのは実際に採用される確率低。容易に想像できるからね。

サバンナ・・・「サバンナ本」
昔やってた番組で、梅田-難波を誰にも会わずに歩くってのは面白かった。

FUJIWARA・・・「FUJIWARA違反」
大阪を代表する不条理ネタコンビ。番組もそんな感じで。

友近・・・「友近派」
女イッセー尾形になれるか、友近。

ますだおかだ・・・「ますだ氏おかだ姫」
ほんまはもっと面白いんやけどね。

ハリガネロック・・・「セックス、ドラッグ、ハリガネロック」
まあたぶん、セックスってついてるだけでボツかな。はよ冠持てるようになれよ。

麒麟・・・「きりきりきりん」
磯野貴理子と一緒に。あーこの辺でやめとこ。

長井秀和

昔、関西ローカルで爆笑ブーイングという番組があった。今のオンバトのように、ネタを観客に審査してもらうネタ見せ番組だった。
そこで、ピンで出てきた男の芸人が、何回出ても合格できず、挙げ句に客におもんないと言われて逆ギレし、板の上でマジ泣きしていたのだが、それがなんと、長井秀和だったのである。
それ以来、彼は大阪や大阪芸人に憎悪を抱いているそうな。
若手芸人よ、継続は力だ。頑張ればきっと君も長井秀和みたいになれる。間違いない。

史上最悪のお笑い番組「エンタの神様」

とうとう私も堪忍袋の緒が切れた。この記事をブログとしてネットの世界に留めておく。
日本テレビが土曜の夜10時から放送している「エンタの神様」という番組がある。こういう芸人のネタ見せ番組は基本的に歓迎するが、この番組は違った。
私が初めて観たのはチャンネルのザッピングで、ちょうどますだおかだが目に留まった。M-1を獲って、いよいよ東京進出かと思っていたら、画面にテロップが出た。私は長い間漫才やお笑いの番組を観ているが、画面に演者のセリフのテロップを見たのは初めてである。
と驚いている次の瞬間、画面はCMへ行った。
「えーっ!」
思わず私は声を上げてしまった。これは芸人に対する冒涜以外の何者でもない。私は即座にチャンネルを変えた。しばらく、何とも言い様のない感情で胸が一杯だった。
ネタ中にテロップを入れ、CMを挟む。例えば、ミュージックステーションで宇多田ヒカルが歌っていて、サビのところでCMを挟むだろうか。「エンタの神様」はそれを堂々とやってのけたのである。これは存在を許してはならない番組である。にもかかわらず、放送開始から間もなく一年半が経とうとしている。
先日、久しぶりにチャンネルを合わせてみた。確かインパルスがコントをやっていたように思うが、テロップは流れない。改心してくれたかと安心した次の瞬間、オチの決めのところでテロップが出た。あーあ。
確かに、その決めは聞き取りにくかったかもしれないが、決めが聞き取りにくいなど、芸人としては致命的であり、練習していない証拠である。たぶんディレクターは、フォローしてやってるつもりなのだろう。そんなことで芸人が育つか、あほんだら。
スタッフに一人でも関西人がいれば、この暴挙は回避できたであろう。なぜなら、関西人はお笑いを愛し、また尊敬している。尊敬するお笑い芸人のネタをテロップで隠し、CMでぶったぎるなど、まさに万死に値する行為である。お笑いを単なるエンターテインメントとして扱っている連中には、きっと永遠にわからないだろう。
話によると、毎回新ネタを下ろしているらしいが、それが番組の構成作家によるものだそうだ。面白ければそれでいいと思っているのだろうが、芸人はどんなネタでもやればいいわけではない。芸人とネタにも相性があり、芸人はネタを客前で転がすことによって、細かな間の取り方や喋りの勢いなどを量っていく。そうやって徐々に修正していくことによって初めて完成されたネタができあがる。「エンタの神様」のやり方は、まさにお笑いの量産である。しかも、品質の著しく悪い、露店で20円で売っているようなネタである。
一体、当の芸人達は何と思っているのだろうか。もしネット上でこの記事を見ているのなら、ぜひコメントをいただきたい。あんな番組でも出られるだけマシ、なのだろうか。もしそう思っているのなら、所詮その程度の芸人であることに気づいてほしい。
ともかく、「エンタの神様」はお笑い界に存在してはならない番組である。それはまさにメルトダウンした原子炉、笑いを滅ぼす放射能は、依然としてお茶の間に降り注いでいる。