すっかり定着してしまった、スティーブン・セガール師匠の沈黙シリーズ。
最新作は残念ながら劇場公開はされないが、なんとタイトルを一般公募することになった。
これは応募しないわけにはいくまい。
「刑事ニコ/法の死角
」から二十年、還暦目前の師匠はまだまだ現役だ。
http://www.geneonuniversal.jp/movie/campaign/seagal/
すっかり定着してしまった、スティーブン・セガール師匠の沈黙シリーズ。
最新作は残念ながら劇場公開はされないが、なんとタイトルを一般公募することになった。
これは応募しないわけにはいくまい。
「刑事ニコ/法の死角
」から二十年、還暦目前の師匠はまだまだ現役だ。
http://www.geneonuniversal.jp/movie/campaign/seagal/
「ヒート」のオリジナルで、同じくマイケル・マンが89年に撮った作品。
常々私は、「ヒート」のそれよりこっちのほうが断然かっこいいと公言していたが、何せ20年前の話だ、私も久しくそのシーンを見ていないので自分の意見が疑わしくなってきた。
あったんだよ、ようつべに。その銃撃戦が。
もうSPAS15最高!よく見れば、発火してないのに銃声があったりいろいろとあらはあるが、それを差し引いてもこの緊迫感、このかっこよさ。
有名な俳優は一人も出ていないが、銃撃戦に名優はいらない。銃が芝居をしてくれる。
「ヒート」のそれも探せばあるので、見比べてみるのも面白い。「ヒート」のは間延びしすぎて途中で止めたわいw
アップ主に感謝。
どうぞ。
を見る機会があった。というか、ちょっと興味があって見てみた。
あまりよく知らなかったので、自分の中で着エロはソフトなイメージがあった。着エロ作品の中には著名なアイドルの名前もあるし、ちょっとエッチくらいかなと思っていた。
ところがどっこい、これがめちゃめちゃエロなのだ。ソフトどころか、作品によっては表AVよりハードだ。いや、むしろ裏に近いものもある。
これには驚いた。エロという言葉が付く通り、そこはものすごいエロだった。
それにだ、ルックスは40点くらいの女の子が、明らかに18歳未満の(に見えると言っとかないとヤバイな)女の子っぽい感じで、その子がもうエロエロなのだ。
一応立場的には検閲などという無粋な行為には反対だが、これはちょっと取り締まったほうがいいと思う。
着エロからAVへ出演というルートも最近増えてきている。それはそれとしても、出演者の低年齢化はいかがなものかと思うのだ。
初めて名前を知ったのは、もちろん探偵物語だ。そして、あぶない刑事、最近では相棒、刑事ものにはかかせない監督だ。
私が知っている探偵物語以降30年間、常に最前線でメガホンを取り、刑事ドラマの一時代を築き上げた功績は大きい。
今年公開された「相棒~米沢守の事件簿」が映画としての遺作となった。
これからしばらくの間、刑事ドラマは面白くなくなるかもしれない。しかし、それはすぐに回復するだろう。
長谷部監督の蒔いた種は、もうあちこちで大きく芽吹いているのだから。
京都でただ一館残っていた非シネコンのロードショー映画館が、31日閉館した。
思えば、私が生まれて初めて映画を見たのはこの劇場だった。
なぜか祖父に連れられ、見に行ったのは「マッハ78」だった。スーパーカーブーム全盛の頃だ。
たまたま閉館の日に通りかかったのも何かの縁だろう。跡地にはホテルが建つらしい。
映画見てないなあ。
新作の「スカイ・クロラ」は8月に決まったが、その前に攻殻機動隊が21世紀バージョンとしてリニューアルされる。
そうか、あれは20世紀の映画だったかとつくづく思う。
映像もアフレコも全面見直し、新たに人形遣い役には榊原良子と完璧な布陣だ。
「サブマシンガンでぇ?無茶な野郎」
あの大好きなシーンがどんなタイミングで新録されているのだろうか。むしろ新作より楽しみである。
7月公開だ。
やはりというか、予想通り、劇場用ショートコントであった。
だからこそ、カンヌへ持っていったのは全く意味がない。日本人で、しかも松本人志の笑いを知っている人間でないと、あの映画を理解することはできない。
恐らくそのカンヌ関係者は、北野武に匹敵する日本の天才お笑い芸人が映画を撮ったと聞いて、映画の内容を理解しないままに出品を決定したのだろう。
北野作品と比較するのはお門違いもはなはだしい。そもそも、大日本人は映像本位の映画ではない。完全に笑いを取りに来ている映画だ。
大日本人にスポンサーがついて、そのスポンサーがカトキチだったという、これはフランス人には絶対にわからない笑いだ。
ごっつの頃から、ショートコントの枠に囚われず、アドリブで展開するような長いコントをやりたいといっていた。それが「トカゲのおっさん」である。この映画でも、板尾怪獣とのやりとりはまさにそれであった。
そしてあのラストの実写シーン、あれは完璧にショートコントの域である。
日本のマスコミにも、大ヒットを礼賛する一方で、理解不能だという意見も多い。
人は理解不能なものを見せられたときに、なんとか持っている知識で解読しようとするのだが、松本人志の笑いを知らない者にとって、所詮それは無駄骨である。
確かに、北朝鮮らしき敵と戦い、アメリカらしきヒーローに救われ、日本よもっとがんばれという憂国的な表現はあるが、それはあくまでも笑いのための展開であって、思想的大義は皆無である。考えるだけ無駄なのだ。
松本人志の映画の才能については、残念ながら高いとは言えないレベルだ。しかし、表現者として笑いを追及する能力は超一級である。
問題は二作目だ。大日本人はご祝儀相場として、二作目をしっかりつくらないと、世間はついてこないだろう。
ファンとしては、それでも全然嬉しいのだが。