琵琶湖レジャー利用適正化条例

この条例は、琵琶湖の生態系をブラックバスなどの外来種生物から守ろうというものである。この条例に対し、釣り好きが「魚釣りを自由に楽しむ権利を侵害し、違憲」として大津地裁に提訴していたが、裁判所は条例の違法性はないとして原告の訴えを退けた。
私は釣りをしない。そして、環境保護にうるさくもないが、この裁判は「釣りの楽しみ」と「琵琶湖の生態系並びに漁業関係者の利益」を天秤にかけたと言える。
まあ、なんと自分勝手な訴えだろうか。釣りが楽しめれば、琵琶湖の生態系などどうなってもいいということなのだ。
なぜ琵琶湖にブラックバスが増えたのか、確かに外来魚だけの問題ではない。湖岸開発による環境悪化、住宅排水による水質汚濁に、琵琶湖は長年晒されてきた。その中で、環境の変化に強い外来魚が生き残ったのかもしれない。しかし、外来魚は、人為的に琵琶湖に持ち込まれたものである。釣り好きなら胸に手を当ててよく考えて欲しい。
琵琶湖で釣りをしておきながら、その釣り場である琵琶湖の生態系についてなんら考えるところがないというのは、釣り人以前に、人間としてどうかと思う。
キャッチアンドリリースの精神を非難しているのではない。元々キャッチアンドリリースこそ、生態系を狂わせない釣り人の優しさであった。だが琵琶湖は違うのである。リリースすればするほど、生態系は崩れていくのである。
原告は、「もう釣りはできない」と言った。釣りをする人は、一般人より少しは自然や環境に関心があるはずである。そういう人々が、自然の生態系をさておいて自分達の楽しみを優先するとは、悲しい限りである。どうぞどうぞ、釣りはお止めいただきたい。それで少しは、琵琶湖の生態系がこれ以上悪くなるのを防げるのだから。

ビオフェルミン

子たるもの、親に似るのは必定である。私はどうも、余計なところが父親に似ている。出っ歯なところや下腹の出具合、それに下痢症。
今回の風邪、熱は早々に下がったものの、下痢がずっと続いていた。下痢は慣れているので苦ではないが、こう数日続くとちょっと何か他の病気を疑いたくなる。幸い、腹痛は伴わないので薬の副作用か、腸内細菌のバランスが崩れているかだろうが、週末の職場は神戸なので、電車の中で便意など感じようものなら、それこそゲームオーバーである。
一応医者からも下痢止めの薬を処方されてはいるが、これが全く効かない。熱や風邪の症状も治まったので、医者の薬を切り上げて、ビオフェルミンを飲んでみた。
小さい頃からの常備薬である。お腹が痛くなったらビオフェルミン。ほんのり甘い乳酸菌の塊である。
大人になってからは、ほとんど飲まなくなっていた。というのも、効能を少し疑っていたのだ。大きくなるといろんな病気になる。たかが下痢くらいでは薬など飲んでいられない。出すものを出して風呂に入って腹を温めれば大抵は治るのだ。
今回、ビオフェルミンは最後の綱である。これでだめなら、また医者で診てもらわなければ。出かける直前まで下痢は続き、ビオフェルミンを飲んで外出した。
するとどうだろう。私の肛門は、まるで縫い合わせたかのように沈黙を守った。神戸までどころか、帰宅しても屁すら出ない。私の腸内細菌は、まるでビオフェルミンを待っていたかのようにそのバランスを取り戻した。さすがに小さい頃から飲んでいる薬である。私との相性は抜群だ。
みなさんも、おなか大切に。
http://www.biofermin.co.jp/

受験生諸君

受験生が乗る列車を間違え、それを聞いた車掌が温情で停まるはずのない駅に停まって受験生を下ろし、試験に間に合ったというニュースが今年もあった。昨年も、試験会場を間違えた受験生が、パトカーで送ってもらうというのがあった。
果たして、これは美談だろうか。
確かに、人生を左右する一大事ではあるし、これによって受験生の今後の人生が狂うかもしれない。
しかし、人生を左右する一大事にしては、あまりにもその当人たる受験生はあさはかなのではないだろうか。
試験会場までの道のりは、事前に充分に調べ、もし他府県など遠い地域ならば、前ノリ(業界用語で一日前にロケ地に赴くこと)するなどして現地の交通に慣れることも必要である。
ましてや大雪の降った日など、例え試験会場が近くであっても、交通が乱れるのは必至である。時間に余裕を持って家を出るなどは当然のことである。
不可抗力は仕方ないにしても、君たちのうっかりミスに社会はいちいち付き合ってはいられない。
その辺の厳しさを教えるのも、大人たちの責任ではないだろうか。

あーしんど

というわけで、インフルエンザにかかってしまった。高熱と身体のだるさがとれず、ぶっとい注射を打ってもらった。
医者に行こうと外に出ると、京都は久々の大雪だった。この冬一番の寒さだったらしいが、高熱なのでちょうどいい感じだ。
京都は寒いわりに雪が降らない。寒くても雪が降ればなんとなく楽しい気分になるから不思議だ。3日は一応仕事に行くつもりだが、シティボーイズの先行予約チケットの受取期限なのでなんとかしたい。
しかし年末に体調を崩したときも火曜日だった。どうも週末神戸や大阪でウイルスを拾ってくるようだ。外から帰ったらうがい手洗いを忘れずに。
050203

誕生月だが

毎年2月はロクなことがない。
妹のキャラメルを盗み食いして歯の詰め物がとれたり、インフルエンザが腸に来て血が出るほど下痢したり、仕事で金銭面のトラブルがあったり、友達だと思っていた女性に電話で泣きつかれたり、去年はとうとう祖父が亡くなってしまった。
今年も、実は今ちょっと熱があって体がだるい。
今月無事に乗り切れるかどうか心配だが、まず明日の原稿をなんとかしないと。

昭和二十七年

風呂上がり。ジュースでも飲もうと小銭を持って近くの自動販売機へ行った。100円、10円、10円、最後の10円玉が戻ってくる。何度も何度も戻ってくる。目当ての物が買えず、舌打ちして帰ってきた。
その10円玉をよく見ると、昭和二十七年のいわゆるギザ10だった。他の10円玉と比べると、こいつはやや薄く、重量が違うので機械が弾いたのだろう。
昭和二十七年といえば、今から53年前。私なんぞは欠片も存在していない。戦後日本がようやく独立自治国として再スタートした年である。テレビもまだない。
こいつが製造されて53年。いろんな人の手に渡っただろう。ギザ10だから、仲間の大半はコレクターが抱えてどこかにしまわれているはずだ。
とりあえず、職場の机の引き出しに入れてある。そのうち使ってやるよ。

阪神大震災から10年

1995年1月16日、私は神戸の仕事場をそそくさと後にした。和歌山の友人と遊ぶ約束をしていたからだ。いつもより急いで大阪へ向かった。神戸に仕事を持って3年、まだあまり街をよく知らない。そのうち時間をつくってうろうろしてみようと思っていた。
和歌山で友人と落ち合い、夜遅くまで遊んで、眠ったのはいつものように夜更け。だが深いはずの睡眠は、轟音と共に破られた。
「・・・地震やんな?」
揺れは覚えていない。だがゴーっという音がしたのは覚えている。部屋を見渡したが、何も壊れていないし、倒れていない。枕元の棚に立てかけてあるビデオテープすらもそのままだった。友人がテレビをつけた。そこには、信じられない光景が映し出されていた。
昨日まで毎週通っていた神戸の町が、崩れていた。家が、ビルが、高速道路が、崩れていた。
電車が開通するのを待って、昼過ぎに当時住んでいた守口へ戻った。駅から京都の実家へ電話する。京都は震度5だったが、実家は何も被害がなかった。神戸の職場の友人は、みんなは大丈夫だろうか。
守口の部屋は、洋服を掛けていた衝立が倒れ、その煽りで近くのビデオテープの山が崩れ落ちていた。それ以外、物的被害は何もなかった。
夕方、その職場の友人から電話があった。彼を含めて、とりあえずみんな無事だという。私は一安心した。だが、しばらく神戸での仕事はなくなるだろう。再開はいつになるのだろうか。もしかするともうないのかもしれない。テレビは、次第に凄惨な光景を映し出し始めた。
一週間ほどして、職場の友人から請求に来てくれと電話があった。震災で被害を受けている職場へ金を請求しに行く。私は複雑な心境だった。
JRは芦屋-灘間で依然不通だった。芦屋までの車窓の風景は、ところどころ屋根が崩れている家はあったが、それほどではなかった。芦屋から灘まではバスでの代替輸送となる。だがバス乗り場は長蛇の列で、二、三時間待ちということだった。私は、灘まで歩くことにした。
芦屋駅前も比較的被害は軽そうに見えた。しかし、それは国道二号線沿いで一変する。屋根が、私の目線上にある。視界に入る全ての建物が、私と同じ目線にある。いつもなら見上げる店の看板が、手の届くところにある。私は、まるで夢を見ているようだった。
丸い筒状の大きな建造物が、マンションの前に横たわっている。それが非常階段だとわかったとき、私はますます現実感を喪失した。目に見える物の全てが、壊れている。砕かれて、瓦礫が散乱している。その中を、私は歩いている。そして、被災した人々が生活をしている。おかしい。これは絶対におかしい。
職場の友人は、足に怪我をしていたが相変わらず元気そうだった。職場も見た目は変わらなかったが、震災直後はモニターやデッキを収納しているラックが傾いていたそうだ。倒れなかったのは、後ろのケーブルが引っかかっていたからである。倒れていれば、物的損害は相当酷かっただろう。
ゆっくりと話をしたいとも思ったが、交通事情を考えてすぐに出た。下手をすれば帰れなくなってしまう。おかしなものだ。ちょっと離れた大阪では、いつもと同じ生活が続いている。食べるものにも不自由なく、風呂も入れるし、電気もガスも通っている。
神戸が元に戻るのはいつになるのだろうか。また私は神戸で仕事ができるようになるのだろうか。神の名の付く街に対して、あまりにも酷い仕打ちだと、私は天を睨んだ。