韓国映画が元気である。まだ私は観たことがないが、製作本数、興行収入ともにうなぎのぼりである。この背景には、韓国政府による強力な後押しがある。国家予算を映画産業に割り当て、人材育成やスタジオ整備などを進めた結果だ。
テレビやインターネットが格段に発達した現代で、映画産業がここまで発展するというのは、映画を文化として捉え、国が積極的に投資した成果である。しかし、やがて彼らも重大な危機に陥るだろう。コンテンツ不足である。
既にハリウッドは重大なコンテンツ不足に陥っている。続編ものの横行、どこかのプロ野球球団のように世界中のヒットした映画原作を金で買い取り、リメイクする。ハリウッドでリメイクされて喜んでいる日本映画は、もっとプライドを持ってもらいたいものだ。
技術は常に革新し、先へ先へと進んでいくが、いくら最新の技術を揃えたところで、脚本がなければ映画はつくれない。スタートが遅かった韓国は、そこを見越して人材の育成を進めているはずである。これからもしばらくは、韓国映画は発展を続け、アジアで一二を争うまでになるだろう。
エンターテインメントとして映画産業を発展させたアメリカ。芸術志向で独自の道を歩むヨーロッパ。国策で映画制作が進められているインド。海賊版気質から強烈なオリジナリティを産み出した香港。
さて、我が日本の映画は、どうなっていくのだろうか。今のところ、政府は全く関心がないようだが。
投稿者: みかつう
シティボーイズ 「だめな人の前をメザシを持って移動中」
ブログには間に合わなかったが、演劇カテゴリーが寂しいので記事を置いておく。
今年で観るのは三回目、春もGWも終わったこの時期にいつも観るので、季節感が一致してきたと思いきや、今年はえらく蒸し暑く、しかも大雨。おまけに休みを取らずに仕事終わりで行ったものだからどうにも落ち着かない。
とりあえず、いつものオムライスで腹ごしらえをしてから劇場へ。一応、今までで列としては前だが、一番右端。しかも、開演してから意外な落とし穴が。
ああいう大きな劇場の席配置は、気を利かして互い違いの列になっている。前の人の肩と肩の隙間から見えるように。しかし、それは舞台を正面に見てのこと。舞台を斜めから見る端の席では、舞台は肩と肩の隙間の方向にはない。その辺り、新しい劇場を建てる際には一考していただきたい。
そんなこんなで、やや消化不良な舞台ではあったが、そこはシティボーイズ、いつものようにたっぷりと笑わせてくれた。一番のお気に入りは、斉木氏の20万円の演技である。斉木氏の一人芝居は、いつも楽しませてくれる。一昨年「パパ・センプリチータ」のエスプレッソ王子のときには、死ぬかと思うほど笑わせられた。
客演のチョップリンは、大竹氏が気に入って連れてきたらしいが、正直なところ、今一つであった。それはシティボーイズのレベルで考えてという意味であり、チョップリンが今一つというわけではない。いい勉強になったと思うので、精進してレベルを合わせてまた出てきて欲しい。
年々、過激なネタが減ってきているのは少々気にかかる。思想ネタや差別ネタも皆無で、シティボーイズも歳を取ったというところか。ラジカルさも売りの一つだったので、いずれまた見せてほしいものだ。
来年もまた、ぜひ。
May.13,2004 大阪:シアタードラマシティ
史上最悪のお笑い番組「エンタの神様」
とうとう私も堪忍袋の緒が切れた。この記事をブログとしてネットの世界に留めておく。
日本テレビが土曜の夜10時から放送している「エンタの神様」という番組がある。こういう芸人のネタ見せ番組は基本的に歓迎するが、この番組は違った。
私が初めて観たのはチャンネルのザッピングで、ちょうどますだおかだが目に留まった。M-1を獲って、いよいよ東京進出かと思っていたら、画面にテロップが出た。私は長い間漫才やお笑いの番組を観ているが、画面に演者のセリフのテロップを見たのは初めてである。
と驚いている次の瞬間、画面はCMへ行った。
「えーっ!」
思わず私は声を上げてしまった。これは芸人に対する冒涜以外の何者でもない。私は即座にチャンネルを変えた。しばらく、何とも言い様のない感情で胸が一杯だった。
ネタ中にテロップを入れ、CMを挟む。例えば、ミュージックステーションで宇多田ヒカルが歌っていて、サビのところでCMを挟むだろうか。「エンタの神様」はそれを堂々とやってのけたのである。これは存在を許してはならない番組である。にもかかわらず、放送開始から間もなく一年半が経とうとしている。
先日、久しぶりにチャンネルを合わせてみた。確かインパルスがコントをやっていたように思うが、テロップは流れない。改心してくれたかと安心した次の瞬間、オチの決めのところでテロップが出た。あーあ。
確かに、その決めは聞き取りにくかったかもしれないが、決めが聞き取りにくいなど、芸人としては致命的であり、練習していない証拠である。たぶんディレクターは、フォローしてやってるつもりなのだろう。そんなことで芸人が育つか、あほんだら。
スタッフに一人でも関西人がいれば、この暴挙は回避できたであろう。なぜなら、関西人はお笑いを愛し、また尊敬している。尊敬するお笑い芸人のネタをテロップで隠し、CMでぶったぎるなど、まさに万死に値する行為である。お笑いを単なるエンターテインメントとして扱っている連中には、きっと永遠にわからないだろう。
話によると、毎回新ネタを下ろしているらしいが、それが番組の構成作家によるものだそうだ。面白ければそれでいいと思っているのだろうが、芸人はどんなネタでもやればいいわけではない。芸人とネタにも相性があり、芸人はネタを客前で転がすことによって、細かな間の取り方や喋りの勢いなどを量っていく。そうやって徐々に修正していくことによって初めて完成されたネタができあがる。「エンタの神様」のやり方は、まさにお笑いの量産である。しかも、品質の著しく悪い、露店で20円で売っているようなネタである。
一体、当の芸人達は何と思っているのだろうか。もしネット上でこの記事を見ているのなら、ぜひコメントをいただきたい。あんな番組でも出られるだけマシ、なのだろうか。もしそう思っているのなら、所詮その程度の芸人であることに気づいてほしい。
ともかく、「エンタの神様」はお笑い界に存在してはならない番組である。それはまさにメルトダウンした原子炉、笑いを滅ぼす放射能は、依然としてお茶の間に降り注いでいる。
pizzicato five 「女性上位時代」
田島貴男の後を継いで、三代目のヴォーカルとして野宮真貴が加入した。ハルメンズ、ポータブルロックと彼女を古くから知っている私は、驚きと困惑でいっぱいだった。それは、彼女が加入したピチカートが想像できないからであった。
一体どういうサウンドになるのだろうか。何より、私の好みの音になってくれるのだろうか。期待よりむしろ不安のほうが大きかったのは否めない。しかし、それは徒労に終わった。
野宮真貴というヴォーカルを、崖から落ちるくらいの勢いで前面に出し、小西・高浪のサウンドががっちりと固める。ピチカートファイヴは、今まで採らなかったフロントヘビーのスタイルでガンガン攻め始めた。野宮の持ち合わせていたファッションセンスと、小西の天才的サウンドプロデュースは、やがて「渋谷系」というムーブメントに発展する。
しかし、その頃から私は少し距離を置くようになった。もちろん、曲は聴き続けていたが、私はピチカートが渋谷系だなどと思わないし、そんなジャンル分けは音楽を作り出す者にとっては関係のないことだ。それは、ピチカートがビジネスという無限軌道に入ってしまったことを意味していた。
それでもやはり、新しい曲を聴くごとに、ピチカートのサウンドはがっちり私を捉えて離さない。これほどはまったアーティストは、今までなかった。それこそ、遺伝子レベルでそのサウンドがインプリンティングされているような感じさえあった。
終焉は、突然で呆気なかった。私が独り暮らしを終えて実家に帰ると同じくして、ピチカートファイヴは解散した。奇しくも、私が独り暮らしをしていた十年間とともに、野宮真貴のピチカートファイヴはあったのだ。
この頃から、私はあまり新しい音楽に手を出さなくなった。意識しているわけではないが、やはり失ったものは大きかったということだろう。次に私を狂わせてくれるほどの音に、果たして出会えるのだろうか。
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でかみかんの皮むき器

普通のこたつみかんよりも、夏みかんのようなでかい柑橘系が好きである。なぜかというのは訊かないでいただきたい。好きなものは好きなのである。
しかし、あのでかい系みかんというのは、皮が厚いので食べるのが少々厄介である。こたつみかんのように簡単に皮むきできないし、いざ食べる段になればナイフが必要になり、洗い物も増えて面倒である。
4、5年前、独り暮らしをしていたときに、八朔が4個200円くらいで売っていて、これはいいやと買ったときに、ある道具が赤いあみあみの中に入っていた。それが、文末写真の皮むき器である。
道具といってもプラスチックの板だが、その鉤状になった先をでかみかんのへそに差し入れて、そのまま下へ持っていくと簡単に皮が切れるのだ。鉤の部分は刃のように鋭角になっていて、その刃の幅はちょうどでかみかんの皮幅と同じなので、深く切り入れても中身まで届かない。
加えて、素材の程よい強度や持ちやすい大きさ、何よりちょうどみかんの形や色に工夫されているのが憎いではないか。マジな話、私は常にこれを持ち歩いていて、いつでもどこでもでかみかんが食べることができるのである。
全国のでかい柑橘系を出荷している方々は、ぜひこの道具を同梱してもらいたい。というのも、私が手に入れてから全くお目に掛かっていないのだ。こんな便利な道具を使わない手はない。でかみかん消費アップにもつながるので、どうかご検討いただきたい。
ガンアクション演出講座 #終 私が惚れたアクションシーン
既出のニキータやレッドブル以外にも、私のハートを捉えて止まないガンアクションは数々ある。
まずは切っ掛けともなった「リーサルウェポン」のヘリ銃撃シーン。重要な証人を狙撃した犯人をリッグス刑事が追い掛け、海上を逃走するヘリに向けて、ベレッタを1マガジン全弾叩き込む。「終わったか?」「まだ始まってもいねえよ」。あのシーンは今観ても背筋が震える。メル・ギブソンのシューティングに関してはこの際目を瞑ろう。
マイケル・マンが「ヒート」以前に撮った「メイドインL.A.」という作品に、「ヒート」とまったく同じ長時間の銃撃戦シーンがあるのだが、その冒頭、同僚の刑事が撃たれた報復に、主人公がフランキのSPAS15をセミオートでぶっ放す。もう撃つわ撃つわ、車はぼこぼこ穴だらけ。セミオートショットガンは、なかなか登場しないので貴重である。
「Ghost in the Shell」にもいいシーンがたくさんある。この映画のガンアクションは、実写以上に完璧である。マイクロウージーのホットロードフルオート射撃や(ほんま無茶しよる)、トグサがマテバを扱うシーンなどは、観ていてよだれものである。続編である「イノセンス」にVP70が出てきたときは涙が出てきた。
「ダイハード」のステアーAUGもよく回転している。部屋中のガラスを撃つシーンは、大音響で観れば迫力があるだろう。ステアーと言えば、「ニキータ」のシーンも緊迫感があってよかった。狙撃は難しいのである。
大阪弁べらべらのスティーブン・セガール師匠も、「刑事ニコ・法の死角」でベレッタ92SBを華麗に操る。実は私と師匠の銃の持ち方は同じで、両の親指を重ねて握る。シューティングスクールなどでは親指は平行にしろと教えているのだが、私はどうも平行にすると安定が悪いので、自然に重ねるようになった。師匠の上から見下ろすような構え方も好きである。
この講座を締めくくる最後のガンアクションは、デスペラードである。まさに問答無用、あの映画を観てしまうと、ちまちまリアルにこだわっていた自分がばかばかしくなるだろう。なんといってもあのギターケースである。あれは誰にも真似のできない(したくない?)オリジナリティ溢れる実にクールなガンアクションである。
全5回に渡ってくだくだ言ってきたが、結局は日活アクションに戻ってしまった。一番大事なのは、自分のスタイルを追求して確立することである。それができれば、日活だろうとバイスであろうと怖くはないのだ。ではまた、近いうちに。
8番らーめん

母は石川県金沢市の生まれである。毎夏、家族でぞろっと帰省する。私はもうすっかりいい大人だが、それでもぞろっとついていく。生まれてからずっとそうしてきたので、母が行かないと言うまでは一緒に行くだろう。いや、行かなくても一人で行くかもしれない。私を形成してきた要素に、金沢という街は間違いなく含まれているからだ。
ラーメンほど、日本人が口やかましく言及する食べ物はないかもしれない。しょうゆだ、とんこつだ、しおだ、札幌だ、長浜だ、和歌山だ(そういやまだ食ってないぞ、辻田くん)と、それこそ日本全国あちこちにいろんな味のラーメンがある。
どうも日本人は、殊に都会に住んでいる連中は、感性を並列化したがる傾向があるようで(まあその方が商品を売る側としては楽なのだが)、食べ物にもブームなどという訳のわからないものがある。ブームに乗って新しい味を知るのは多いに結構だが、自分の味覚というものをしっかり持った上での話なので、その辺はちゃんとしてもらいたいものだ。
長いので閑話休題(食べ物の話になると妙に毒っぽくなっていかん)。
8番らーめんを知ったのはもう記憶の遥か彼方だが、石川県を中心に北陸地方に展開しているチェーン店である。なぜ8番かというと、北陸に延びている国道8号線沿いに店を出したからだそうだ。
特長は、なんといっても麺の上に乗っている野菜である。キャベツ、タマネギ、もやしなどを炒めて、ともすると麺より多いくらいのボリュームでどかっと乗っている。チャンポンやタンメンの比ではない。シナチクも割とたっぷり入っている。それに、太麺である。細麺がラーメン業界の主流の中、8番はずっと太麺である。8番らーめんは、どちらかと言えば味わうより食べるラーメンである。8番ナルトは、具が減ってきたころにささっと食べよう。
私は、いつも塩バターを注文する。他のメニューも食べたいと思うのだが、何日も帰省しているわけではなく、せいぜい一、二度くらいしか食べられないので、どうも他を注文する気になれない。一年に一度しか食べないからうまいのか、白山山系の水がうまみを育むのか、ともかく、これだけ気に入ってしまうともう他のラーメンは食えない。唯一浮気したのは、天下一品くらいだ。
他のラーメンを食べるとき、8番らーめんは味の基準になるが、未だ超えるものは出てこない。それほど有名なラーメンではないので、うまいラーメンは他にもっとあるはずだが、たぶんこれからも出てこないだろう。それは、単純に味だけでは量れないうまみが、8番らーめんにはあるからなのだ。