田島貴男の後を継いで、三代目のヴォーカルとして野宮真貴が加入した。ハルメンズ、ポータブルロックと彼女を古くから知っている私は、驚きと困惑でいっぱいだった。それは、彼女が加入したピチカートが想像できないからであった。
一体どういうサウンドになるのだろうか。何より、私の好みの音になってくれるのだろうか。期待よりむしろ不安のほうが大きかったのは否めない。しかし、それは徒労に終わった。
野宮真貴というヴォーカルを、崖から落ちるくらいの勢いで前面に出し、小西・高浪のサウンドががっちりと固める。ピチカートファイヴは、今まで採らなかったフロントヘビーのスタイルでガンガン攻め始めた。野宮の持ち合わせていたファッションセンスと、小西の天才的サウンドプロデュースは、やがて「渋谷系」というムーブメントに発展する。
しかし、その頃から私は少し距離を置くようになった。もちろん、曲は聴き続けていたが、私はピチカートが渋谷系だなどと思わないし、そんなジャンル分けは音楽を作り出す者にとっては関係のないことだ。それは、ピチカートがビジネスという無限軌道に入ってしまったことを意味していた。
それでもやはり、新しい曲を聴くごとに、ピチカートのサウンドはがっちり私を捉えて離さない。これほどはまったアーティストは、今までなかった。それこそ、遺伝子レベルでそのサウンドがインプリンティングされているような感じさえあった。
終焉は、突然で呆気なかった。私が独り暮らしを終えて実家に帰ると同じくして、ピチカートファイヴは解散した。奇しくも、私が独り暮らしをしていた十年間とともに、野宮真貴のピチカートファイヴはあったのだ。
この頃から、私はあまり新しい音楽に手を出さなくなった。意識しているわけではないが、やはり失ったものは大きかったということだろう。次に私を狂わせてくれるほどの音に、果たして出会えるのだろうか。
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投稿者: みかつう
でかみかんの皮むき器
普通のこたつみかんよりも、夏みかんのようなでかい柑橘系が好きである。なぜかというのは訊かないでいただきたい。好きなものは好きなのである。
しかし、あのでかい系みかんというのは、皮が厚いので食べるのが少々厄介である。こたつみかんのように簡単に皮むきできないし、いざ食べる段になればナイフが必要になり、洗い物も増えて面倒である。
4、5年前、独り暮らしをしていたときに、八朔が4個200円くらいで売っていて、これはいいやと買ったときに、ある道具が赤いあみあみの中に入っていた。それが、文末写真の皮むき器である。
道具といってもプラスチックの板だが、その鉤状になった先をでかみかんのへそに差し入れて、そのまま下へ持っていくと簡単に皮が切れるのだ。鉤の部分は刃のように鋭角になっていて、その刃の幅はちょうどでかみかんの皮幅と同じなので、深く切り入れても中身まで届かない。
加えて、素材の程よい強度や持ちやすい大きさ、何よりちょうどみかんの形や色に工夫されているのが憎いではないか。マジな話、私は常にこれを持ち歩いていて、いつでもどこでもでかみかんが食べることができるのである。
全国のでかい柑橘系を出荷している方々は、ぜひこの道具を同梱してもらいたい。というのも、私が手に入れてから全くお目に掛かっていないのだ。こんな便利な道具を使わない手はない。でかみかん消費アップにもつながるので、どうかご検討いただきたい。
ガンアクション演出講座 #終 私が惚れたアクションシーン
既出のニキータやレッドブル以外にも、私のハートを捉えて止まないガンアクションは数々ある。
まずは切っ掛けともなった「リーサルウェポン」のヘリ銃撃シーン。重要な証人を狙撃した犯人をリッグス刑事が追い掛け、海上を逃走するヘリに向けて、ベレッタを1マガジン全弾叩き込む。「終わったか?」「まだ始まってもいねえよ」。あのシーンは今観ても背筋が震える。メル・ギブソンのシューティングに関してはこの際目を瞑ろう。
マイケル・マンが「ヒート」以前に撮った「メイドインL.A.」という作品に、「ヒート」とまったく同じ長時間の銃撃戦シーンがあるのだが、その冒頭、同僚の刑事が撃たれた報復に、主人公がフランキのSPAS15をセミオートでぶっ放す。もう撃つわ撃つわ、車はぼこぼこ穴だらけ。セミオートショットガンは、なかなか登場しないので貴重である。
「Ghost in the Shell」にもいいシーンがたくさんある。この映画のガンアクションは、実写以上に完璧である。マイクロウージーのホットロードフルオート射撃や(ほんま無茶しよる)、トグサがマテバを扱うシーンなどは、観ていてよだれものである。続編である「イノセンス」にVP70が出てきたときは涙が出てきた。
「ダイハード」のステアーAUGもよく回転している。部屋中のガラスを撃つシーンは、大音響で観れば迫力があるだろう。ステアーと言えば、「ニキータ」のシーンも緊迫感があってよかった。狙撃は難しいのである。
大阪弁べらべらのスティーブン・セガール師匠も、「刑事ニコ・法の死角」でベレッタ92SBを華麗に操る。実は私と師匠の銃の持ち方は同じで、両の親指を重ねて握る。シューティングスクールなどでは親指は平行にしろと教えているのだが、私はどうも平行にすると安定が悪いので、自然に重ねるようになった。師匠の上から見下ろすような構え方も好きである。
この講座を締めくくる最後のガンアクションは、デスペラードである。まさに問答無用、あの映画を観てしまうと、ちまちまリアルにこだわっていた自分がばかばかしくなるだろう。なんといってもあのギターケースである。あれは誰にも真似のできない(したくない?)オリジナリティ溢れる実にクールなガンアクションである。
全5回に渡ってくだくだ言ってきたが、結局は日活アクションに戻ってしまった。一番大事なのは、自分のスタイルを追求して確立することである。それができれば、日活だろうとバイスであろうと怖くはないのだ。ではまた、近いうちに。
8番らーめん
母は石川県金沢市の生まれである。毎夏、家族でぞろっと帰省する。私はもうすっかりいい大人だが、それでもぞろっとついていく。生まれてからずっとそうしてきたので、母が行かないと言うまでは一緒に行くだろう。いや、行かなくても一人で行くかもしれない。私を形成してきた要素に、金沢という街は間違いなく含まれているからだ。
ラーメンほど、日本人が口やかましく言及する食べ物はないかもしれない。しょうゆだ、とんこつだ、しおだ、札幌だ、長浜だ、和歌山だ(そういやまだ食ってないぞ、辻田くん)と、それこそ日本全国あちこちにいろんな味のラーメンがある。
どうも日本人は、殊に都会に住んでいる連中は、感性を並列化したがる傾向があるようで(まあその方が商品を売る側としては楽なのだが)、食べ物にもブームなどという訳のわからないものがある。ブームに乗って新しい味を知るのは多いに結構だが、自分の味覚というものをしっかり持った上での話なので、その辺はちゃんとしてもらいたいものだ。
長いので閑話休題(食べ物の話になると妙に毒っぽくなっていかん)。
8番らーめんを知ったのはもう記憶の遥か彼方だが、石川県を中心に北陸地方に展開しているチェーン店である。なぜ8番かというと、北陸に延びている国道8号線沿いに店を出したからだそうだ。
特長は、なんといっても麺の上に乗っている野菜である。キャベツ、タマネギ、もやしなどを炒めて、ともすると麺より多いくらいのボリュームでどかっと乗っている。チャンポンやタンメンの比ではない。シナチクも割とたっぷり入っている。それに、太麺である。細麺がラーメン業界の主流の中、8番はずっと太麺である。8番らーめんは、どちらかと言えば味わうより食べるラーメンである。8番ナルトは、具が減ってきたころにささっと食べよう。
私は、いつも塩バターを注文する。他のメニューも食べたいと思うのだが、何日も帰省しているわけではなく、せいぜい一、二度くらいしか食べられないので、どうも他を注文する気になれない。一年に一度しか食べないからうまいのか、白山山系の水がうまみを育むのか、ともかく、これだけ気に入ってしまうともう他のラーメンは食えない。唯一浮気したのは、天下一品くらいだ。
他のラーメンを食べるとき、8番らーめんは味の基準になるが、未だ超えるものは出てこない。それほど有名なラーメンではないので、うまいラーメンは他にもっとあるはずだが、たぶんこれからも出てこないだろう。それは、単純に味だけでは量れないうまみが、8番らーめんにはあるからなのだ。
小泉今日子 「BEAT-POP」
このアルバムは、スーパーセッションというサブタイトルがついているが、まさにその通りである。作詞作曲陣には、小室哲哉、久保田利伸、サンプラザ中野、サエキけんぞうらが名を連ね、スタジオミュージシャンには、山木秀夫、浅田崇、ホッピー神山、野村義男、戸田誠司、池畑潤二、下山淳、スティーブ衛藤、岡野ハジメ、松武秀樹、窪田晴男、布袋寅泰、パール兄弟など、絢爛豪華なメンバーである。
布袋のギター、浅田のベースで始まるトップチューンから、小室作曲、戸田編曲という夢のようなテクノナンバーへ、更にハイパーパワーチューンの「Heart of the Hills」へ続く。
「Heart of the Hills」は大好きなナンバーである。イントロだけ聴くと、完全にルースターズである。下山の泣きのギターに、池畑のパワードラムが炸裂する。PINKチームも負けてはいない。岡野の畳み込むようなベース、メロウなホッピー神山のキーボードに、弾けるスティーブ衛藤のパーカッション。もう身体はリズムを刻まずにはいられない。
ハードチューンのあとは、ちょっとナンパにひと休み。とはいえ、窪田のサイバーギターは唸りまくりである。サンプラザ作詞、久保田作曲のファンキーな4曲目のあとは、同じコンビでちょっとほっこりと。大御所芳野藤丸のギターはどこか懐かしげである。
アルバムチューンのシングル曲を挟んで、PINKコンビに布袋のギターが絡む7曲目。第4のYMOと呼ばれた松武シンセはここでも全開だ。
次は、小泉今日子とパール兄弟、である。私見を言えば、サエキの詞にキョンキョンはちょっと早かったかなという感じではあるが、どんどこバカボンベースにサイバー窪田のギターで大満足である。サエキ氏がコーラスで参加していればもっとよかったんだが。
ちょっとまったりしたあとは、ハイパワー池畑再びである。ヨッちゃんのグッバイシャウトが乙である。ラストはしっとり、ご本人作詞でたっぷりヴォーカルをお楽しみいただきたい(やっとかいな)。
小泉今日子 公式ウェブサイト http://www.koizumix.com/
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ガンアクション演出講座 #4 嘘も方便
往年の日活アクション映画などでは、撃っても撃っても弾の減らない銃がよく出てくる。銃に関して無知なはずはないだろうが、たぶんそんなことはどうでもよかったんだろう。
アメリカなどでは実銃を改造して劇中で使用するので、動作はもちろん実銃と同じだが、日本はまったくのスクラッチビルドになるため、多少の嘘は目を瞑らなければならない。オートマチックが撃ってもスライドしなかったり、薬莢が出なかったり、場合によってはモデルガンをそのまま使うこともあり、バレルのインサートが見えていた、なんてこともある。
かといって、海外で実銃を使って撮ったからリアルかと言えばそうでもない。ハンディキャップをカバーするのも演出の仕事である。カット割りやカメラワークでどうにでもなるのだ。
弾着は、ガンアクションでは難しい部類になる。こればっかりは、いくらハリウッドでも実際にやるわけにはいかない。今でこそCGでどうにでもなるが、主流はやはり火薬弾着であろう。
やったことがないのであまり詳しくはわからないが、つまりは火薬の爆発力で血糊の袋を吹き飛ばしてそれらしく見せるのである。実は、これは大嘘になる。それもそのはず、弾が入った場所が吹き飛ぶわけはない。吹き飛ぶとすれば、むしろ貫通した側である。更に、点火時の火花が見えてしまうことがある。お前はロボットか。
音響との兼ね合いも難しい。音がするのは銃から銃弾が発射されたときであって、人間に弾着したときには破裂音が出るはずはない。だからロボットちゃうっちゅうに。
こういう嘘がまかり通る背景には、銃についての無知がある。日本では当たり前の話だ。たぶん誰一人として人が銃で撃たれた瞬間などお目にはかかれないだろう。よく考えればおかしいことがわかるが、ぶっちゃけ、それっぽく見えれば細かいことはどうでもいいということになる。
意外な話だが、マイアミバイスにはほとんど弾着シーンがない。予算や手間の関係があるのかもしれないが、それでもあれくらいの名作品ができあがるのだ。
ついでにもう一つ、ガンダムの1話でザクがマシンガンを発射するシーンがある。そばで観ていたアムロの近くに薬莢ががらがらと落ちてくるわけだが、あれだけ科学が発達した未来なのだから、無薬莢弾の開発が進んでいてもいいようなものだ。特に戦争ともなれば、無用な物資の消費は避けねばならない。ではなぜ薬莢が出るのか。答えはそのほうがらしいからである。
嘘も方便。それが演出というものだ。
笑い飯
2002年のM-1で決勝に出てきたとき、はっきりいってノーマークだった。名前さえ知らなかった。大阪人は、見たことのない芸人については厳しい。評価はマイナスから始まるのだ。しかし、笑い飯は違った。それはすぐにプラスになり、及第点をあっさり超えて、あっという間に最高評価に到達した。
笑い飯を語るとき、まずそのスタイルに注目が集まる。漫才は基本的にボケとツッコミという役割分担をすることによってネタを運んでいくが、笑い飯は互いの立場を固定せず、ボケとツッコミを繰り返し続けるという特異なスタイルである。
オール阪神巨人ややすきよなども、たまにボケとツッコミが替わるときがあるが、それは一時的なネタの流れに過ぎず、笑い飯のように常に入れ替わるスタイルは、恐らく過去にも例がないと思う。しかし、笑い飯の漫才はスタイルから始まったわけではないだろう。あのネタありきで、あのスタイルになっただと思う。
ツカミこそ普通の漫才のように始まるが、場が温まった頃合いを計って交互にポジションを替え、ネタが進むごとにそれはスピードを増す。まさにツインエンジン漫才である。何気なくやっているようで、間の取り方やネタの運び方などには細心の注意が払われ、そして何より、ほんの僅かでも噛んだりすると、あのネタは終わりである。スピーディなネタには、確実な喋りが不可欠なのである。
学業成績は優秀な二人だが、見た目には一切それを感じさせない。だが、何も考えていないような風貌に騙されてはいけない。彼らの頭の中では、凄まじいスピードで笑いという名のターボチャージャーが唸りを上げているのだから。
今年のM-1は、ほぼ間違いない。