神はやはり最後に爆弾を用意していた

大事には至らなかったということをまずここで述べておく。
夕食はお好み焼きだった。我が家のお好み焼きは、生地を私が全て担当する。母親が用意した材料を合わせて生地をつくり、一枚目が焼き終わる頃だった。
私の横でテレビを見ていたはずの甥が、どたっと倒れた。何かにつまずいたのかと思って目をやると、甥がけいれんを起こしている。
身体を小刻みに震わせて、手足を縮こませ、目の焦点も定まらない。
とりあえず救急車を呼ぶことにした。母親である妹は二人目が臨月である。あまり負担はかけられない。だがいつの間にか、妹も母親として強くなっていた。けいれんを起こした時間を何度も復唱し、救急車を待つ。私は、誘導のため外に出た。
電話をしてから数分で救急車が到着、私の脳裏に、三年前のおじいのことが思い出された。救急隊員が甥を抱きかかえて運び出してくる。妹と母が同乗した救急車を見送った。
心配して集まってきてくれた近所の人々が声をかけてくれる。こういうとき実に心強い。「どうもないか」「大丈夫やて」私の膝は震えたままだが。
結局、甥は熱性けいれんを起こしたわけで、39度から熱があった。熱があったにも関わらず、彼はこの日もいつもとかわらず暴れまわっていたのだ。
大泣きしたときにも起こるらしく、乳幼児にはよくある症状で、命に関わることはまずないそうだ。だが、あの甥の様子を見ていると、例えそうだとわかっていても怖い。ともかく、1時間ほどして元気に帰ってきた。何よりである。
こうして、恐るべき誕生月は終わった。しかし、去年仕事をクビになったのは3月だったわけだが・・・