日曜日は仕事なので、時間がないわけではないが絶対めんどくさくなるので行ってきた。
一応ハガキを持って、区役所まで。エレベータで3Fへ上がると、出待ちしている職員に宣誓書を手渡された。早速部屋へ入って書く。
部屋は学校の教室より少し狭い感じ。入って右手角に宣誓書を書くスペース、そのまま右手の並びに宣誓書を受け付ける職員や、投票用紙を発行する職員がいて、真ん中に長ソファ、左手奥からずらっと記名ブースがあって、左手出口に投票箱がある。ソファを中心にぐるっと左回りだ。
理由はいくつか項目に分かれてはいるが、選択するのは一つ。日付と住所氏名を書いて、担当の職員にハガキと一緒に渡すと、番号札をもらった。51番、イチローの背番号だね。
椅子に座って呼ばれるまで待つ。人がいなかったのですぐに呼ばれた。おじさんに番号札を渡すと、横のおねえさんから投票用紙三枚を受け取る。けっこうきれいな人だった。
さあ、投票用紙に記入。実は二十歳で初めて行って以来だったりする。それだけ、今回の選挙は私にとってのっぴきならないものなのである。
小選挙区、比例代表、最高裁裁判官審査の三票を、それぞれの投票箱に入れる。間違えないように。
それほど時間のかかるものでもなく、ふらっと行って充分帰ってこれるので、御用とお急ぎのない方はぜひ。
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アメリカ大統領選挙
正直なところ、ブッシュに決まってほっとしている。別に支持しているわけではない。ただケリーが嫌なだけである。
西海岸、東海岸の富裕者層は民主党を支持、中央部は共和党支持という、アメリカは見事に分断された。内政は私の関知するところではないが、対外的には、つまり日本としてはブッシュのほうがいいわけである。
で、私はなぜブッシュを消極的支持に回ったかというと、ケリーが生理的に嫌だったからである。政治的手腕や主義思想などは関係ない。なんか嫌、だったのである。
こういう直感は、意外と当たったりするものだ。
分相応という言葉がある。あまりいい言葉ではないが、一国の元首たるもの、それなりの風貌が必要である。こういうと、政治を見た目で決めるのかと言われそうだが、例えば日本の選挙でも、政策を比較して投票に行く人が果たして何人いるだろうか。
選挙は事後評価でも構わない、と思う。もっと端的に言えば、現政権の信任不信任だけで充分なのだ。投票に行かない人は、消極的支持として信任に票を組み入れれば、投票率も上がるだろう。
政治家を管理職とするなら、国民は現場である。現場を良くするのが政治家の仕事であり、現場の状況を報告するのは国民の仕事である。
悪くなれば首をすげ替える、ということでいいんじゃない?